短編集75(過去作品)
ピチピチ弾ける身体に、康隆はメロメロになってしまった。それまで女性と付き合ったことがないわけではないが、これほどの年下はもちろん初めてで、ある程度若い身体を諦め掛けていた年齢だった。
「君は僕のどこを気に入ったんだい?」
どこから見ても、それほどいい男ではないと思っていた康隆は、それが不思議だった。
「あなたは気がついていないのね。年齢が増してくるたびに、渋くなってくるように私には見えるの」
という返事だった。
そういえば、学生時代の自分は嫌いだった。年齢的には若いくせに、鏡で見ても三十代にしか見えない顔に、イキイキした雰囲気など感じなかった。それだけに、彼女ができると離したくない思いは、人一倍だったはずだ。
祥子との結婚は、なりゆきのようなところがあった。元々、好きになられると、気落ちが盛り上がる方で、普段はクールなのだが、祥子が女神に見えた。
積極的なアプローチは、祥子の方からだった。活発な性格の女性は、あまり好きではなかった。それでも祥子に惹かれていったのは、今までに知らなかった女性の雰囲気を彼女に感じたからだろう。いや、一度知った女性の雰囲気を持っていたからなではないだろうか。
香りを感じていた。香水の香りに混じった女の香り、色香とでもいうべきだろう。そんな色香に康隆は酔ってしまった。しかも、まわり全体が、康隆と祥子の関係を公認のように見ていたので、すっかり康隆自身、その気になっていたのだ。
まわりが作った雰囲気に酔ってしまい、さらに相手の色香に参ってしまう。その頃の康隆は女性にたいしてウブだった違いない。それが、結婚という気持ちに拍車を掛け、そのままゴールインしてしまった。
康隆の人生は、考えればすべてその繰り返しだったように感じる。自分から積極的な行動を取ることはなく、なりゆき任せ、これまで悪いこともなかったが、それほどいいこともなかった。きっと、無難な人生を歩みたいと思って、臆病になっていたのだろう。
それは分かっている。分かっていても今さら性格的なことを変えられるわけではない。
そんな康隆が仕事をサボって旅行に出るというささやかな抵抗も、本人にしてみれば、清水の舞台から飛び降りるほどの決断だった。しかし、実際に東京を離れてみれば、それほどの思い込みなどなかったように思う。
――何をいつもそんなに躊躇ってばかりいるのだろう――
と不思議に感じるほどだ。感覚が麻痺してきたのだろう。
飛行機のシートベルトを締め、離陸体勢に入って停止した位置からの加速、まるで、自分の気持ちもそのまま浮遊してしまいそうに感じていた。眼下に広がる家並みが豆粒のように小さくなっていく様を、ジックリと見ていた。同じ一人旅でも学生の頃の旅行とは、一味違って新鮮だ。
千歳空港について感じた寒さは、久しく忘れていた感覚を思い出させてくれた。学生の頃の旅行で、確か信州に行った時ではなかっただろうか。夏に行く避暑とは違い冬の雪が降っていたころ、スキーを目的としない旅行をする人はそれほどいなかっただろう。
あの時声を掛けられたのを思い出した。
「お一人ですか?」
「ええ、当てのない旅行なんですが、あなたも旅行ですか?」
第一印象で、少し年齢的には上に見え、おねえさんタイプだと感じた。それまであまり年上の女性を意識したことのない康隆にとって、他の土地で女性に声を掛けられること自体が新鮮だった。女は笑顔を見せているのだが、何かしらの含みがあるように見え、それが、さらに妖艶な雰囲気を醸し出していた。
冬の観光地を二人で訪れ、ゆっくりとまわったのだが、あまり口数の多い女性ではない。彼女は絶えず私の先に立って、誘導してくれる。どうやら、そのあたりを訪れるのは初めてではないようだ。
静かな女性を横から見ている。そんなシチュエーションに、少し自分で酔っていたのかも知れない。どちらかというと、スリムで背が高い方の彼女、名前を美紀と言った。ストレートに肩まで伸びた髪の毛が印象的で、風が吹けばサラサラと靡いている。その瞬間だけは、寒さを感じることもなく、仄かな暖かさを感じるのだった。
美紀が泊まる予定の宿に私も泊まることにした。幸いこの時期は空いていて、シングルを予約していた美紀は、康隆のために、ツインを予約しなおしてくれたのだ。それがどういう意味なのか頭では分かっていたが、初めて会った女性だけに、ピンと来ないところがあった。
「シャワーを浴びてくるわ」
部屋に入ってどうしていいのか分からない康隆を制して、シャワールームへと美紀は消えていった。静かな部屋にシャワーの音が聞こえてくるようだ。本当に聞こえてきたのか疑問だが、入った時から効いていた暖房と耳に入ってくるシャワーの音のため、室内がかなり湿気ているように感じられた。
香水の香りが、またしても充満して感じられた。美紀に初めて感じた香水の匂いを、二人だけの部屋で感じている。美紀がシャワールームに消えてからどれほどの時間が経ったのか、すでに分からなくなっている。
かなりの時間が経っていたように思えたが、
「ねぇ、いらっしゃい」
という声がシャワールームから聞こえてきた時に、康隆は我に返った。時間的にかなり経っていたという感覚は失せていて、たった今部屋に入ってきたような錯覚に襲われていた。そそくさと服を脱いで入ったシャワールームでは、湯気の向こうに夢にまで見た女体が輝いている。
女性経験はそれまでにもあったが、明るいところで女性の身体を見るのは、初めてである。着痩せするタイプなのか、最初に感じたスリムさよりも、しっかりと出るところは出ている豊満さを感じるのだった。
シャワーを背中から掛けてくれた美紀は、手馴れているようにも見えた。康隆が、後ろを振り向き何か言おうとしたのを、後ろから抱き付いてくる。
――言葉なんかいらないんだ――
と感じた康隆は、しばし背中に当たる美紀の胸の感触を楽しんでいた。じっとしていれば初めてでも、十分楽しむことができる余裕が生まれてきた気がしたからだ。
しばらくしていきなり後ろを振り向いた康隆は、相手の表情を確認する間もなく、唇を塞いだ。息が荒くなっているのを自分で感じながらであるが、それを察しているのか、美紀もひたすら求めてくるような口づけだった。
――甘い香りがする――
香水は柑橘系の香りだったにもかかわらず、美紀の口からは甘い、まるでイチゴのような味がしてきた。それまで感じてきた大人の女性のイメージが、女の子のイメージへと一瞬変わったのだ。
それが、康隆を積極的にする瞬間だった。
しかし、そこから先のことはあまり記憶にない。リードされていた時のことは、残っている頭の中から出すことはできるのだが、自分が主導権を握ってからのことは、おぼろげなのか、思い出すことはできないである。
――それだけ最初があまりにも新鮮だったんだ――
と感じる。
おねえさんとは翌日別れた。少し未練が残っているような康隆を残して、朝起きた時にはベッドがもぬけの殻だった。
「幻だったのかな?」
しばらく目が覚めてもベッドから出る気にはなれず、そのままボーッとしていたが、なぜかサッパリした気分になっていく自分が不思議だった。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次