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短編集75(過去作品)

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 と考えながら、札幌行きの電車の時間が近づいたので、駅へと向った。
 予定通りに電車がやってきたが、乗り込んだ車両に人はほとんどいない。このあたりの電車が定時にくるというのが当たり前なのか、希なことなのか分からなかったが、何となく得したような気分になったのはなぜだろう? このまま行けば、札幌に着く頃には、完全に日が暮れている計算であろう。
 ここに来るまで、想像していたよりも、かなり時間が掛かったように思えた。あまり変化のない車窓は、退屈を誘い、それを望んでやってきたはずなのに、気分的に想像していたよりも、かなり寂しいところだった。
 元々、東京近辺で育ち、田舎といえば修学旅行で出かけた時に、
――果てしなく続く田舎の風景、こんなところには一生住めないな――
 と感じた素直な感覚を思い出した。
 それこそ子供が感じた素直さの表れだろうが、遊ぶところも何もないことに、怖さを感じる年齢だったのだ。
――何もかも手軽に揃って当たり前――
 それが都会の魅力であり、子供にとっては当然のこととして、何の疑いもない。車窓から流れる風景はさほどではなかったが、実際に田舎に降り立った時に感じた空気、吹いてくる風、そしていかにも田舎臭さを田園風景に感じた時、そこにもはや自分がいることを打ち消す康隆だった。
 しかし、それも学生時代まで、社会に出ると、自分の中にあった社会に出ることへの不安が具体的なものとなると、それに直面していることで、却って気持ちに余裕が出てきた。
 確かに仕事ではストレスも溜まるし、相手のあることなどは、相手に合わせるために、自分の気持ちをコントロールするため、ある意味余裕がなくなっているかも知れない。だが、それは、漠然とした不安で大きくなっていた気持ちを、押し殺してきた余裕という気持ちが今では解放されようとしているのだ。康隆自身で分かっていることなので、今では社会に出て働けることの喜びのようなものも、心の奥に抱いているはずだ。
 就職難といわれたこの時代、学生時代の方が落ち着かなかったのは事実である。
 就職が決まらなければ、何も始まらない。せっかく大学まで行ったのにと思うのは、就職は何といっても学歴第一主義と考え、がんばって大学を受験した時に気持ちは遡る。何事も先を見越して考えようとするシビアなところのある康隆にとって、学生時代すべてに漠然とした不安が、生活の裏側には常に存在していたのだ。
 今でも学生時代の夢を見る。受験当日の夢や、就職試験当日の夢だったりするのだが、そんな時に友達と遊びに出かけている夢である。夢の中の自分が、その日は大切な試験であると自覚していながら遊んでいるところがいつも共通していて、夢を見ていて、実にイライラする。漠然とした不安をなるべく感じないようにしようとしていた当時の気持ちが思い出され、きっと気持ちの反動のようなものが存在したことを、今さらながらに感じさせられる康隆だった。
 旅館に到着し、食事を済ませると、途端に眠くなってしまった。何も考えずに寝ることをいつも考えていたように思う。だが、家庭を持っている以上、なかなか許されないのが現状だ。
 子供がいないとはいえ、家に帰れば嫁さんのグチを聞かされる毎日、ほとんど逆らうことをしない康隆は、妻の祥子に、
――少々のわがままは許される――
 と思われているようだ。しかし、家庭円満の秘訣は逆らわないことにあると、以前同僚に聞かされていたことが頭から離れない。
 その言葉を忠実に守ってきた康隆にとって、家にいても本当の安らぎは訪れない。
「そんなことくらいで、いちいち俺に報告しなくとも」
 という言葉が喉から出掛かったことが、何度あったことか。まるで戦場のような仕事から帰ってきた男に対して、ねぎらいの言葉もないものか、と思っても思うだけである。
 夜の生活もマンネリ化していた。年齢的にもすでに四十歳が近い康隆にとって、結婚して十年近く経っているにもかかわらず、まだ若々しい祥子は、本当であれば、誇りのように思ってもいいくらいだろう。自分が若々しいことを十分に知っている祥子は、夫が大きく出られないことをいいことに、家庭での地位を確固たるものにしようという企みが見えるのだ。
 積極的に迫ってくる妻を見ても、あまり興奮を感じない夫、自分で分かっているのは、年齢から来るものだけではない。普段の態度を考えると、どうしても相手に主導権を握られていて力も出ない。元々、奉仕の心が欠如している康隆に、夜の生活での妻への奉仕は、もはや苦痛以外にはなく、無理というものだった。
 そんな思いが態度に出るのか、励んだ後に押し寄せる倦怠感の波は、極度な睡魔を催してくる。目を開けていられなくなり、そのまま、隣で余韻に酔いしれている妻を尻目に高いびきを掻いていることだろう。
 ひょっとしてその時間が康隆にとって一番の安らぎの時間かも知れない。妻も放心状態から疲れを感じ、そのまま眠ってしまうだろう。そんな妻が横にいて、誰にも構うことなく眠れる時間とは、何とも皮肉なものだろうか。
――妻は浮気をしているかも知れない――
 と感じたこともあった。
 康隆が出勤した後の妻の行動は、まったく知らなかった。別に監視をつけておく気にもならないし、また少々くらいの浮気であれば、別に気にならない。結婚生活にマンネリ化を感じてきた時点で、康隆自身、自分の生活の半分は諦めに掛かっているようだ。楽しみなどこれといってなく、仕事だけにハリを感じる。気分転換などあろうはずもなく、会社と家の往復でさえ億劫だ。
 それが次第に妻の態度を硬化させていく。そのうちに話もしなくなり、夫である康隆を蔑むようになってきた。原因は何か分からないが、きっと修復できるところにいるわけではないだろう。
 最初は通勤時間が気分転換になっていたのだが、最近ではそれもなくなった。毎日同じ道、同じ顔を見ながらの通勤に、日にちの感覚が麻痺してくる。どれがいつのことだったかを最近忘れかかっていてボケてきたのではないかと感じていたが、きっとそれも通勤のマンネリが招いた感覚ではなかろうか。
 妻の祥子と康隆とは、熱烈な恋愛結婚だった。しかも社内恋愛。したがって会社の人たちは、康隆のみならず、妻の祥子も知っているのだ。
「陣内さん、彼女は皆のマドンナだったのに、うまくやりましたね」
「ほう、そうなんだね。それはありがたいことだ」
 と、いかにも知らばっくれていたが、それも有頂天になっていた証拠だろう。
 妻とは年齢が十歳ほど違う。
「どうしてそんな若い女性をたぶらかしたんだ? 秘訣を教えてくれよ」
 とよく言われるが、それはお門違いである。「たぶらかされた」のは、康隆の方だったのだ。
 積極的なことで定評のあった祥子は、康隆に猛アタックを示していたことは、他の女性社員がよく知っている。男性社員には分からないように密かにしていたことだが、さすがにうまく立ち回っていたのか、ほとんどの男性社員は、二人が付き合っていることを知らなかったのだ。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次