短編集75(過去作品)
それからしばらく公園に行っていたのだが、急に寄らなくなった。まるで前日までの自分とまったく変わってしまったかのように思える時である。それが、友達と待ち合わせをしていて、双方から歩いてきているのに出会えなかった少し前だったのだ。公園やブランコへの興味は薄れてしまい、一歩大人に近づいたような気がしていた。その頃から、ベンチに座って微笑んでいた彼女のことがまるで幻だったかのように記憶の奥に封印されていったように思う。
――匂いだけが本当で、あとは夢だったんじゃないかな?
と感じたのはベンチの女性の顔を思い出せなくなったからである。
それまでは感じたことがなかったが、稲葉は人の顔を覚えるのが苦手だった。覚えようとすればするほど忘れてしまう。違う人の顔を見た瞬間に忘れてしまうこともあるくらいで、覚えようとする気持ちが強すぎるからだと思っている。覚えようという気持ちを次に見た人の時にも感じているので、却ってはるか以前に見たような気になってしまうのではないだろうか。
狭い範囲に広がった目の前のことしか対応できない。融通の利かない性格だということは、よくいえば素直で実直な性格でもある。それだけに、治そうと考えても真剣になれるものだろうか。きっと、どこかで治したくないと思っていることだろう。
――長所と短所は紙一重――
という言葉をよく聞く。「よく言えば」、あるいは「悪く言えば」などという言葉は、長所が短所の裏返しであることの証拠のように思える。それだけに自分の性格で一番の特徴を考えた時、それが長所なのか短所なのか分からない。
――人からどう思われているんだろう――
などという結論が出そうにもないことを考えていると、考えが袋小路に入ってしまう。
その頃見た夢で、影に追いかけられたことがあった。それが自分の影なのか人の影なのかわからない。影というのは、自分の位置から自分の影を見るから、それが自分だというのが分かるのである。
――もしも自分の足元から伸びている影が、違う人の影だったら、気付くだろうか――
という唐突なことまで考えていた中学時代。影を見ながらずっと下を向いて歩いていた。自分の影を見つめているということは、影も自分を見つめているということである。実に不気味なことだ。
西日を背に歩いていると、影が次第に長くなっていく。学校を出てから帰りつくまでの数十分で沈む太陽を影によって感じていたのだ。
――もし自分の影が、意志を持ったら――
想像力は留まるところを知らない。自分の嫌な部分を吸収してくれればありがたいのだが、それこそ勝手な想像である。
――いつも誰かに見つめられている気がする――
と思うことがあるが、意外にもそれは自分の影からなのかも知れない。明かりがないと現われることができない影、しかもそれが深夜の閑静な住宅街を歩いている時のように、街灯だけに照らされていると、まるで分身したかのように足元から四方に広がっている。歩くたびに角度を変え、あらゆる方向から見られているようだ。夜、街灯だけが灯っているところを通るのが気持ち悪いのは、影を見ているからに違いない。
では、明かりがない時はどうだろうか?
曇っていたり室内の明かりだけだったりして影を感じない時がある。見えているのかも知れないが意識することがまったくない時、影は存在しているのだろうか?
稲葉は、それでも影は存在していると思っている。忍者のように気配を消し、石ころのように目立たない存在、それが影なのだ。光があるから影があるのではなく、影が影として意識されているのは、光がある時だけである。それだけに、本当に影として目立たず意識されない状態の方が、考えると怖いものなのだ。
自分の意識の外にある時ほど、後から考えれば不気味なものはない。過ぎ去った時間を取り戻すことができないのと同じで、その間に起こったことが得てして自分にとって大切なことだったのだと思えて仕方がない。それが、狭い範囲に広がった目の前のことしか対応できない性格であり、融通が利かないところなのだろう。
公園にいた女性、彼女は影のような存在ではなかったのだろうか?
そう感じるようになるまでに、かなりの時間が掛かったように思う。それが結論だとは思えないが、自分の中でモヤモヤした気持ちに終止符を打ちたいがために感じたように思えてならない。
だがそれも一つの結論である。
喫茶店で感じた柑橘系の香り、それがはるか以前に感じた子供の頃に忘れ去ってしまった女性の雰囲気を思い出させてくれた。顔はすっかり忘れてしまっているが、きっと忘れているのではなく、思い出せないのだ。いや、覚えているのだが、意識して記憶の奥に封印してしまっているだけなのかも知れない。
それを感じるのは、喫茶店での彼女に影を感じたからだと思う。
――室内なのに影を感じる――
足元から稲葉の後ろの方に伸びているように感じていた。だがそれは後になって感じたことで、その時はそこまで感じなかった。
――おかしいな、何か変だ――
と思いながら、その原因がまさか影にあるなど、その時は思いもしなかった。
時々幻のようなものを見ることを、それまで意識していなかった。きっと自分に自信があったからだろう。幻であっても、自信のある自分が見るのだから、決してそれは幻ではない。そんなおかしな自信過剰さがあった、
しかし、その自信過剰も理不尽さを感じることがないから成立したこと。自分が人を無意識に見下ろしていることに気付いた稲葉は、それまでの自分の考え方の根底が覆ってしまうのではないかという不安に苛まれていた。
恐ろしいのは一つの歯車が狂ってしまうことである。自信過剰な考え方は、一つ柱のような大きな考え方があり、そこに規則性を持った他の考え方がくっついていることで形成されているはずなのだ。その柱を根底から覆されては、すべてのコントロールを失い、制御することができないだろう。
脆いといえば脆いのだが、合理性を欠いてしまえば根底を揺るがすことになるであろうことは、最初から分かっていたことだ。怖いからなるべく考えないようにしていただけである。
それを感じ始めたのが、最初に鬱状態に陥ったのを感じた時だ。
鬱状態に陥る時には、自分で分かるのだ。まわりの雰囲気が変わってくる。その時の稲葉もそれを感じていた。
――何かがおかしい。だけど、こんな思いは初めてではない――
遠い昔に感じたような……。いや、本当に遠い昔だったかというのも怪しいものだ。最近ではないかと言われればそんな気もするが、少なくとも大学時代ではなかったように思う。
自信に満ち溢れていた時ではないはずだ。もしそうなら鬱状態へ向っているという意識がないというのはおかしい。これだけハッキリと鬱状態への入り口であることが分かるのは、自分が自信過剰だという意識をしっかり持っていたからだ。大学時代の稲葉にはハッキリとした自信過剰という意識があった。それだけでも、大学時代でないことは間違いない。
前が暗くなり始める。それでいて、暗くなった時に見える信号やネオンサインの色がやけに鮮やかに見えてくる。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次