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短編集75(過去作品)

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 マスターも彼女に感じる柑橘系の香りに、一種他の女性と違った雰囲気を感じているに違いない。
 しかし、それにしてもおかしな話である。今までに何度も常連としてここに来ているのに、一度も会ったことがないということ。さらには、自分が座っているこの席を指定席にしているということ。偶然にしても、少し気持ち悪さを感じる。果たして本当に偶然で片付けられるのだろうか。
 稲葉の頭の中には、まだこの間出会った時のことが鮮明に残っている。色白な顔に、真っ赤な口紅、実に印象的である。目を瞑ると完全に浮かんでくるその顔は、何となく寂しさをかもし出しているようにも感じられた。
 それにしても、香りや雰囲気は間違いなく夢ではなさそうだ。それ以外が夢だというのだろうか? マスターの話もまんざらウソではなさそうだ。夢だとしても中途半端だ。もし香りや雰囲気が夢だとすると、その夢は予知夢ということになる。
 ということは、そのうちに彼女の香りや雰囲気とともに、本当にここで出会えるということになるが、今までの偶然も信じないわけにはいかない。
 そういえば、中学の頃にこれと同じような経験があった。友達と待ち合わせるのに、お互いに同じ道を反対からやってきているので、必ずどこかで出会うはずだった。同じ時間なので間違いないはずである。
 しかし、結論から言うと出会うことはなかった。
「何で出会わないんだよ。一本道をお互いに反対から歩いてきたんだから出会うはずじゃないか」
 友達の言い分ももっともで、彼が言わなければ私が言いたかったセリフである。
「居眠りでもしてたんじゃないのかい?」
 大人は笑いながら信じてくれようとしないが、当事者の二人には気持ち悪さが残った。特に感受性の強い子供のことである。怖さをして残ったのだ。したがって、この話はその時限り、お互いにタブーにしてきた。そのため、いくら気持ち悪くとも話題にすることがなければ、次第に記憶の奥の方へと封印されていた。
 トラウマとしては残っていたのかも知れない。
――ミステリーゾーン――
 そんな言葉が頭をよぎる。そう、あそこはミステリーゾーン、だが、それから何度もその場所を通っているが不思議な経験はその時だけだった。今はすでにその場所のまわりには住宅が立ち並び、その頃の面影はなくなっていた。残っているとすれば、途中にある児童公園が、今でも稲葉の記憶の中のままである。
 その児童公園のブランコに乗ったものだ。一人で遊びにきて乗っていることもあった。一人で遊ぶことも多かった少年時代。風を切って前後に揺れるブランコが溜まらなく好きだった。
 ブランコから見える目の前の世界、実に狭く感じられた。揺れているからであろうか。少し高い位置から、そして低い位置から、それぞれを瞬時に見ることができる。それも楽しかった。
 その時にベンチに座っている女性がいたのを思い出していた。いつも白いワンピースを着ていて、その視線は正面を捉えている。目で遊んでいる子供を追っているというわけでもなく、まるで虚空を見つめているようで、虚ろにすら見えてくる。
 そう、そのベンチのその場所が、彼女の指定席なのだ。
 稲葉は毎日その公園で遊んでいるわけではない。だが、稲葉が行った時には、必ず女性が後から現われる。
――毎日来ているのかな?
 不思議なことに稲葉の来る時間はまちまちなのだが、稲葉が来てから彼女が現われるまでの時間に変化はない。まるで稲葉が来るのを見計らっているようだ。
 ブランコに乗っていろいろなことを考えていると、時間が経つのもお腹が減ってくるのも忘れている時がある。しかし、西日が夕焼けに変わる時がたまにあるのだが、そんな時は夕方の寂しさと無性にお腹が減っていることに気付くのだ。
「ハンバーグの匂いがしてくる」
 そう感じていると、その日の夕食はたいていハンバーグだったりするのだ。そんなにいつもハンバーグが食べれるわけではなく、それだけに楽しみだったのだが、西日が夕焼けに変わる時、条件反射のようにお腹が減るのは、きっとハンバーグへの思い入れがあるからだろう。
 子供の頃のハンバーグを思い出すと、ベンチに座っていた女性のことを思い出す。彼女が稲葉を見つめていたのは間違いなく、時々微笑んでいる顔に会釈をすると、彼女からの会釈が返ってくる。
 稲葉が公園に立ち寄らずにすぐに家に帰ることは希なことだった。
 一度どうしても急いで帰らなければならず、公園を横切りながら歩いていた時、いつものように彼女がベンチに座っているのが見えた。いつもより少し遅くなって、公園に寄る時間がなかったからで、公園を恨めしそうに見ながら横切っていたことだろう。
――きっと彼女は寂しそうな顔をしているだろう――
 という稲葉の想像だったが、それは勝手な憶測で、ほとんど願望に近かった。実際に横切りながら見たベンチには、いつものように夕日を浴びて微笑んでいる彼女の横顔があったのだ。
 視線は誰もいないブランコに注がれていた。稲葉が公園を横切りながら、必死で彼女を見つめていたにもかかわらず、彼女は稲葉の視線に気付く様子もない。瞬きをしていないのではないかと思えるほど熱い視線であるが、気付かないのだ。
 彼女がブランコを見つめる視線、それも瞬きの瞬間が分からないほどの熱い視線に見えるにもかかわらず、表情は穏やかである。それだけに、見つめられると気になって仕方がないのだ。
 どうしてブランコに乗っていてあれほど気になったのか、その時に初めて分かった。いつもと違った角度で見ると、見つめられている人が羨ましくて仕方がなくなるほどの視線だからである。実際に見つめられているとそれほどでもないが、視線が感情を揺るがすこともあるのだと感じた。
 たくさんの人の視線を感じるステージ、最初から緊張感がなかったといえばウソになるが、すぐに気にならなくなったというのが正直なところだ。
「君は肝が据わってるんだね」
 といわれたことがあるが、
「そうですか? 最初は緊張しましたよ」
「いやいや、すぐに慣れたじゃないか」
「そうですね。緊張感で訳が分からなかったのは最初だけですね」
 あっさりと言ってのけたところも、相手に度胸があると思わせたのかも知れない。公園で彼女の横顔を見たことで、人から見つめられることの緊張感を悦びに変えれるようになったに違いない。
 だが、その日を境に彼女を見かけることがなくなった。今までと同じ時間に同じように公園に行っているのに、出会うことはない。
――一体どうしたんだろう?
 何度も彼女を待ちわびるようにブランコに乗ってベンチを見ていた。相変わらず西日が夕焼けになる日はやってきて、ハンバーグの匂いを感じる。そして夕食はハンバーグである。何も変わっていない毎日。だが、ベンチには彼女がいない。
――何も変わっていないだ――
 と思えば思えないこともない。出会えないことは寂しいが、どうしても会いたいというわけでもない。生活リズムは変わっていないが、気持ちにポッカリ空いた穴が、自分でも意識しないところで、少しずつ性格が変わっていったように思う。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次