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短編集75(過去作品)

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ささやかなる決意の旅



                 ささやかなる決意の旅


 静かに座って窓の外を見ている。先ほどまで明るかった空が、すっかり西日が山に隠れてしまい、目の前を通り過ぎる電柱の影すら見えなくなっていた。
 車窓に自分の姿が写るほど表の暗さを感じられるが、車内もそれほど明るいわけではなかった。どこまでいっても闇を感じさせる風景は、すでに山と空の境目すら分からなくなっている。
――こんな田舎が存在するんだ――
 いつもの通勤ラッシュからは、とても信じられる光景ではない。こんなところに住んでいれば、考え方も人生も、まったく違っていただろう。
 陣内康隆は、人生の悲哀を感じていた。会社に行けばそれなりの役職に就いているが、それが何なのか、ふっと感じてしまったことがいけなかった。考え始めると、どうにもならなくなる康隆に、アドバイスできる人間すらいるはずもなかった。
 アドバイスされても、きっとアドバイスとして受け取れるかどうか、本人自身が不思議に思っている。皮肉に聞こえてしまったら、元も子もなくなってしまう。
 いつものように朝出かけてきたつもりだったが、吊り革につかまって電車に揺られていると、中吊り広告にふと目が行った。
「北海道かに旅行」
 と大きく紙面を占領した文字は、旅行雑誌の広告であった。赤い棘棘しい甲羅に、歪な爪が印象的な、女性が見れば、
「何ておいしそうなのかしら」
 といわんばかりに、文字に修飾させられて描かれている。写真かと思ったが、よく見ると絵で、絵の方が却ってリアルに見えることを思い知らされた。
 しかし、康隆は「かに」に興味を持ったわけではない。かにのバックに見えるのは、北海道の形をイメージしたシルエットだった。かにや文字を前面に押し出しているために、ともすれば見忘れられがちな図形に、康隆は興味を持ったのだ。
 じっと見つめていた。これも、前面のかにが印象的だからかも知れないが、北海道の形を見ているうちに、大きなイメージが膨らんでくる。
――北海道なんて行ったことがない――
 見渡す限りの平野に、まっずぐな道、まわりには民家もなく、果てしなく走り続ける自動車、そんなイメージが頭を掠める。
 いつも降りる駅に到着した康隆は、降りる気はなかった。降りる時に電車が到着する少し前から降りる用意をして、ホームに滑り込む時は、扉の近く似ないと気がすまない。なぜなら、扉が開くや否や走り出し、いち早く改札を抜けないと、ダラダラとしたその他大勢の集団に飲み込まれることを何よりも嫌うからだ。
 ダラダラした集団に朝から巻き込まれることは、リズムを大切にする康隆にとって、一番嫌なことなのだ。
――ええい、今日はもういいや――
 扉が開く瞬間に、扉に張り付くことが無理だと判断した瞬間から、すでに会社に向う気は失せていた。いや、ひょっとしたら、最初から扉の近くに寄ろうとはしなかったのかも知れない。朝のラッシュで、扉の近くまで人を押しのけて向うことは、かなりの神経と体力を消耗するのだ。それでも、しなければ嫌な自分の性格を、康隆は嫌だと思ったことはない。
 そんな康隆が、今日に限って自分の気持ちに逆らった。会社に行くことがどんなに嫌な時でも、とりあえずは電車からは降りていた。今まで会社をズル休みしたことがないわけではない康隆も、一旦は改札を抜けていた。
 そんな時は駅構内のカフェでコーヒーを飲み、一段落してから、また電車に乗る。それもなるべく遠くへ行きたいと思い、隣の県まで遊びに行ったこともあった。
 さすがに昼過ぎて夕方が近づけば自己嫌悪に陥る。誰かと知り合えでもしたら、そこまで自己嫌悪はないのだろう。知り合うということは、それだけ有意義だということだからである。
――サボりたい――
 と思う気持ちの裏側には、
――誰かと知り合いたい――
 という気持ちが隠れていることは明白だ。だが、そんなことを考えている間はなかなか出会いなどあるわけもなく、ほとんど虚しい気持ちで帰ってくる。
 家に帰れば女房が夕食を作って待っている。そう考えるだけで、嫌悪感は増してくるのだ。
 妻のいる康隆が仕事をサボって知り合いたい相手、それは、その日だけの恋人である。
――後腐れなく出会いたい――
 そんな気持ちは、誰もが持っている。しかし、それを実現する行動力は、年齢とともに失せていくだろう。それとも、自分が年齢とともに責任や地位の重さを感じているから?
 いや、押し潰されそう気持ちを、グッと耐えようとしている反発心なのかも知れない。
 もちろん、今までに衝動的に出かけるとしても、隣の県ほどで、いくら妻と喧嘩した翌日のやるせない気持ちの時でも、それ以上の冒険を考えたことはない。
――ささやかな抵抗――
 まさしくそんな自分が情けなくなる康隆だった。
 季節は、梅雨が終わり、夏本番を迎えようとしていた。梅雨の間にタップリと降った雨のため、湿気が気持ち悪く、気温よりも湿気で不快指数が一気に膨れ上がっていた。午前中でも居たたまれない毎日、セミの声が何とも恨めしい。
 会社に着けば、それなりにクーラーは効いているが、電車の中は蒸し風呂状態。クーラーは効いているのだろうが、ラッシュアワーにそんなものは関係ないといわんばかりである。ポケットから取り出したハンカチで顔を拭いても。後から後から噴出してくる汗に、無駄な努力を繰り返すばかりである。
 気がつけば、羽田空港に着いていた康隆は、何のためらいもなく千歳行きの航空券を購入していた。ついでに宿も予約して、とりあえずは、今夜の寝ぐらだけは確保した。だが、行って何があるというわけではない。ただ大平原にまっすぐに続く道、それだけが頭の中にあるだけだ。
 康隆は車で移動しようとは思わない。元々、電車が好きだというのもあるのだが、以前から車を長時間運転すると頭痛を催していた。何の変化もない道をひたすら走ることの気持ち悪さを想像しただけで、怖くなってくる。千歳について宿に荷物を置くと、どこでもいいから、とにかく電車に乗り込み移動する。
 行き着いた現地で、何をしたというわけでもないが、かなり遅い食事をして、少し歩いただけで、また札幌へ戻る予定にしていた。時間的にはそろそろ夕方と言ってもいいくらいである。
 時間的な理由で、何も観光していないが、一日目はそれでもよかった。海岸線にある駅にフラリと下りて海を見に行った。国道沿いに位置していたので、食堂があったことも、途中下車するのにちょうどよかった。
 駅を降りると、女性が一人海を見ていた。さすがに夏とはいえ、海岸沿いで、しかも風が吹いている北海道の海である。風が冷たく、じっとしていると勝手に身体が震えてくるのを感じた。
――何をしているのだろう?
 康隆も一人で海を見ていたいと思うこともあるので、女性を見ていると、まるで自分を見ているようで妙な気持ちになったが、所詮心の中まで読めるわけではない。相手が気付いているわけもないので、後ろからこれ幸いに見ていた。普段なら声を掛けてもよいのだが、今日は黙って見つめていたい気持ちである。康隆自身、一人になりたかったに違いない。
――明日のあの姿は自分だな――
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次