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短編集75(過去作品)

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 空に浮かんでいる夕日が、波に反射して歪な形、鮮やかな色で染まっている海、その中心に水平線があるようで、実に美しい。いきなり着いて飛び込んできた風景を目に焼き付けるには最高のシチュエーションである。
 宿に着くと、美津子はさっそく防波堤へとやってきた。
「まさしく前に見せてもらった絵と同じだね」
 海を見ると落ち着くといった美津子の言葉が分かるような気がする。しかも彼女の望む冬の海、これは私にも同じ思いを抱かせてくれる。
 幾重にも重なった鈍色の雲、同じような重たい色であるにもかかわらず、立体感を感じる。しかし、遠くを見ているとどこまでが実際の雲なのか分からず、距離感が麻痺しているようだ。
「吸い込まれそうだ」
 思わずそう感じたのも無理のないことだろう。
 そんな海を見ながらデッサンしている美津子、最初の日は日が暮れるまで二人で同じ海を同じ角度で見ていたのだ。
 成田が釣りに出かけたのは翌日の早朝からだった。まだ暗い時間に出かけていき、防波堤から海を見ている。昨日の夕方とはまた違った海が成田を迎える。昨日の夕方の海よりも、却って明るく感じるのは、漁船が出港していくからだろう。
「釣りは短気な人間にこそ向くものだ」
 という言葉を思い出した。元々短気なのかどうか分からないでいた成田だったが、それも仕事をしていて時々、
――自分はとても短気なんだ――
 と思うことがある。
 それは、後から思うことで、誰かに苛立っている時にそんなことは感じない。それだけ一つのことを考えているとまわりが見えなくなる性格なのだ。
 そう感じていた時に聞いたのが釣りの話だった。一度同僚に連れて行ってもらって始めた釣り、今では時々出かけている。
 釣りも絵画も、どこかに共通点があるような気がする。じっと一点を見ながら考えているところ、そこに同じものを感じる。
 その日から美津子はずっと描いていた。
 帰るまでに完成させたいということだろうが、最初の一日で、かなりなところまで進んでいるようだ。
「ここまで進んでいれば、完成も早いね」
「そうでもないわよ、ここからが大変なのよ」
 と言いながら、じっと海面を見ていた。
「やっぱり夕日が沈んでいるところが綺麗だったね」
「ええ、そうなんですの。私もそれを描きたいと思っています」
 絵に込める気持ちをどれだけ分かってあげられるか、それが成田の気持ちだった。それが美津子に近づく一番の近道だと思ったからだ。
 火曜日の夜に、成田は美津子を抱いた。それまで同じ部屋で寝ていたのだが、お互いに疲れているという気持ちからか、それぞれ遠慮して求めることはなかった。最後の夜ということで、成田の方から求めたのだ。
 捕まえようとすれば逃げるような敏感な美津子の肌を楽しんでいる成田。これが本当の女の身体なんだと感じている。それまでに女性を抱いたことは何度かあるが、忘れていた最初の頃の気持ちを思い出させてくれるように思うのも、田舎旅館の雰囲気がそうさせるのだろうか?
 抱いていて目を瞑れば浮かんでくる鈍色の雲、厚みを感じるが距離感がなく、まるで捕まえようとしても逃げる女体のようだ。それを考えていると、自然に身体の中心に神経が集中してきて、釣り糸を垂れながら見つめている海面の様子が思い出される。この至高の時を感じるためにこの村にやってきたかのようなそんな感じまでしていた成田だった。
 温泉で暖まった身体で新鮮な海の幸を食べる。それだけでも来た甲斐があるというものだが、一枚のキャンバスに作りこまれる絵を思い出していくと、そこには美津子の感性を感じることができる。最初は感性という言葉を感じたことすらなかったが、そこには自分が意識していなかっただけで、どこか身体で分かっていたようなところがあるのかも知れない。
 田舎には親と来た時のイメージしか残っていない。子供の頃のイメージが強いため、それだけにすべてが大きく感じられた。泊まっている部屋でも、最初に入った時は、
――何と狭い部屋なんだ――
 と感じた成田だった。
 自分の部屋を思い出していた。暗く冷たい部屋、それに比べて冷たいが、解放されている部屋は、何とも心地よい。
 美津子は成田の部屋へ来たいと言っていた。一度ゆっくりと連れてくるつもりではいるがその機会に今まで恵まれなかった。というよりも、今回旅行に一緒に来ることで初めてお互いの気持ちが通じたような気がするからである。電話だけは何度か入れてくれたことがあったが、いつもすれ違いで、留守電でしか入っておらず、成田が掛けなおすのだ。最初よほどの用事があるのかと思いきや、実際には大した用意ではない。
「ごめんなさいね。つい掛けてしまったの。本当は携帯電話でもいいんだけど、電車の中だと悪いでしょう?」
 と言われると、確かにそうである。電車の中で携帯電話が鳴っても出ることはない。もちろん会社からであれば別なのだが。
「そうだね。それで部屋の電話に掛けてくるんだね」
「ええ、そうなの。迷惑かしら?」
「いやいや、迷惑だなんて、そんなことはないよ」
 はにかんで話す美津子を見ていると何でも許せるように感じるから不思議だ。
 旅行の話も美津子は電話で話してくれた。どうやら思い立ったらすぐにでも連絡しないといても立ってもいられないタイプのようだ。
「善は急げっていうでしょ? だから思い立ったらすぐにあなたに連絡するの。それにあなたに聞きたいこともあるし……」
 もちろん成田にとっても願ったり叶ったりの話だった。なかなか部屋へ呼ぶことのなかったことを、
「少し悪いな」
 と思い掛けていた矢先のことでもあったし、一緒に一夜を過ごす初めての機会としては、ちょうどいいものに感じられたからだ。
 最後の夜にして初めて抱いた美津子の身体、このまま永遠に忘れないような気持ちに陥ったのは気のせいだろうか? 最初に身体を重ねた夜が田舎旅館というシチュエーションにきっと酔っているのかも知れない。そう感じる成田であった。
 朝起きて美津子がいう。
「私、絵がまだ完成していないの。もう少しここに滞在することにするわ」
「僕の方は、さすがにもう会社に戻らないとだめなので帰るけど、そんなに休みが貰えるのかい?」
「ええ、今週一週間お休みは最初から貰っているの。だから安心して絵を描くことに集中できるの」
「じゃあ、ゆっくり描けるんだね。完成した絵を見るのを楽しみにしているよ」
 そういって、成田は翌日の昼過ぎに田舎を出て、帰宅したのだった。
 さすがに旅行から帰って夕食を自分で作る気にはなれず、部屋の近くで夕食を食べて帰った。軽くビールなどを呑んで帰ったのだが、それはきっと数日部屋を空けたことを忘れたいという意識が働いてのことだったのだろう。
 ほろ酔い気分で帰ることは久しぶりだった。飲み屋にいた時間はちょうど二時間、別に測っていたわけではないが、一本呑んでちょうど酔いが回ってきた時間が二時間だっただけのことである。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次