意識が時間を左右する
三十代の頃まで交流のあった連中と再会できるのも楽しみだった。皆それなりにおじさんになっていることだろう。どれだけ変わっているかというよりも、変わっていないでほしいという思いの方が強かった。なぜなら自分が学生時代から比べて一番変わってしまったと思っているからで、それならせめて知り合いくらいは変わっていないでほしいと思うのも無理もないことだった。
同窓会が待ち遠しいと思いながら、今週も始まった。取材で出張していない限り、週に一回は出版社に顔を出すようになっているので、何もなければ月曜日にしていた。週の始まりということもあり月曜日に決めていた。
綾香との出会い
その日も朝から出かけるつもりで前の日から用意をして、朝慌てることなく出かけられるようにしていた。あまり整理整頓が得意なわけでもなく、朝の慌ただしさが嫌いな矢吹には、これくらい用意周到な方がよかった。朝の喧騒とした雰囲気は、学生時代から嫌いだった。別に眠いからだというわけではない。まるで働きバチのように、朝から皆が黙々と同じような行動を取っているのを見るのが嫌で、しかも自分もその中の一人だと思うことが一番嫌な理由だった。
朝、少し早めに出かけて、早めの電車に乗って出版社のある駅までいく。そしてその駅にあるカフェでモーニングを食べるのがいつもの行動だった。
「いや、待てよ」
そういえば、先週の月曜日も同じように出版社に行ったのだが、その時電車を降りて駅前のカフェに寄ろうとした時、その店が改装工事のために閉まっていたのを思い出した。ガラス窓に貼り紙がしてあって、リニューアルオープンには一か月近く掛かるということだった。そのことを駅への道を歩きながら思い出した矢吹は、予定の変更を余儀なくされた。
「どうしようかな?」
と思った時、自分がこれから乗る駅の近くに喫茶店があり、そこにもモーニングがあるのを思い出した。実は以前から気になっていた店であり、これを機会に行ってみるのもいいかも知れないと思ったのだ。
元々、起きてすぐには食べられないことから家で食べずに表で食べることが多い矢吹は、そそくさと用意して家を出るまで起きてからそれほど時間を費やすことはない。だから家を出てから駅までの徒歩の間にちょうどいい塩梅で目が覚める。徒歩という適度な運動が、それまで受け付けなかった胃袋を活性化させ、空腹状態に持って行った。
そういう意味で、朝の一番空腹な状態の時は、駅前に差し掛かったあたりであった。それから少し空腹を我慢しながら電車を待っていると、そのうちに慣れてきて、電車に乗る頃には空腹にも慣れてくるというものだ。その間が約十分、他の人との比較では分からないが、この時間が長いのか短いのか、矢吹には分からなかった。
だから、その店のことが気になっていたのである。それでも先に電車に乗るのは、先に食事を済ませて電車に乗ると、時間的に朝のラッシュのピーク時間にちょうど当たってしまうからで、それを避けるという意味と、お腹が満たされた状態で、電車に揺られるというのが想像しているよりもきついことだと感じたからだ。しかもまず座ることのできないラッシュの時間、いろいろな異臭が漂っていないとも限らないので、気持ち悪くなる可能性が限りなく高いと感じた。
矢吹はそういう意味で結構理論的にものを考える方だった。それはきっと教師をやっていた頃からの癖なのかも知れない。いや、癖だというのであれば、教師を目指すようになってからのことであろう。成長期に身に付いた癖は、そう簡単に抜けるものではないと思えた。
「それならもっと遅く家を出てくればよかった」
別に朝の出勤時間にキッチリ合わせて出版社に行かなければいけないわけではない。ただ、フリーとして雇ってくれ、そして今でも契約を続けている出版社に対しての最低限の礼儀だと思っているからだ。それに朝早く行動して、早くフリーな時間を作り、その日を有意義に過ごそうという気持ちもあった。中途半端な時間に訪問しないのもそれが理由だった。
「皆が出払った後に行ってもね」
という気持ちもあった。
月曜日だから、社員の出社率は高いだろう。そしてその週の計画を会社に報告して出かけることになるだろうから、午後十時くらいまでは人がいるだろう。それまでに行けばいいのだが、それだと中途半端だと思うのは、
「喧騒とした雰囲気の中に途中から飛び込むこと」
それを嫌ったからだった。
その日は駅までの道中で、いつもと行動を変えなければいけないということに気付いたことで、それまでとは違った感情を抱くようになった。そのためか、いつもと同じ風景を見ているはずなのに、何かが違っているように見えたのは、矢吹の気のせいだったのだろうか。
駅の手前に目指す喫茶店はあった。カフェだと思っていたが、チェーン店のカフェとは少し違い、店内はシックな感じだった。
それは表から横目に見たのでは分からないもので、どうして今までそのことに気付かなかったのか、不思議で仕方がなかった。しいて言えば、気にはなっている店ではあったが、よほどのことがない限り立ち寄ることはないという先入観から、
――あまり興味の持てる店ではないんだ――
という自己暗示を自分に掛けていたのかも知れない。
その店は二階に上がっていく店で、アーケードの残る商店街の一番端に位置していた。狭い階段を上がると、そこには小さな自動ドアがあり、中に入ると、すぐに目についたのは、大きな植木鉢に植わった観葉植物だった。
この瞬間から、古風な喫茶店の様相を呈していると確信した。観葉植物を横目に見ながら中に入ると、全体的に暗い照明の中で、まばらな客が思い思いの行動をしているのが見えた。
奥の窓際の席に腰かけた矢吹だったが、最初から窓際しか見ていなかった。まわりの雰囲気を流し目で見るようにしてそそくさと奥のテーブル席に腰かけた矢吹は、そこから見下ろした光景に少し感心していた。
アーケードの切れ目のようなところに人知れずという雰囲気で存在している喫茶店、どうしてここが喫茶店なのかということが分かったのかというと、商店街の通りを歩いていると、二階の少し大きめのガラス張りのスペースにテーブル席が見えたからだ。満席のことはほとんどなく、いつも二、三人だけが下を見下ろしているか、携帯をいじっているかなどの思い思いの行動をしている。そんな状態を見ていたので、カフェだと思っていたのかも知れない。
下から見ている時は、まるで手が届くくらいに近く感じられたテーブル席だったのに、テーブル席から逆に下を見下ろすと、想像していたよりも通りが遠く感じられた。上を見上げるのと、上から見下ろすのでは、見下ろす方が遠くに感じられるという錯覚は想定内のことだった。しかし、想定を考慮に入れても、今見ている光景は矢吹にとって想定外のことだった。ここまででかなり自分の想定していたことと違ってきていることを思うと、その日は普段と違って特別なのかも知れないと感じた矢吹だった。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次