意識が時間を左右する
そんな状態でフリーライターをずっと続けてきた。その間に二、三人の女性と付き合う機会があり、結婚を考えたこともあったが、結局五十代になるまで独身を貫いてきた。
「いまさら結婚というのもな」
と思い、このまま独身でもいいと思っていた。
フリーライターになってからというのは、大学を卒業してから教師をしていた時期に比べて時間の進み方はまったく違った。
確かに年齢を重ねれば重ねるほど、時間が経つのはあっという間だという話を聞いたことはあった。しかし、ここまであっという間だというのは想像もしていなかった。教師をしている時に比べてフリーライターになってからの方が自由ではあるが、いつ仕事がなくなるか分からないという不安が絶えず頭の中にあることで、自由を凌駕する不安を絶えず抱えていることになる。
それでも、フリーライターの仕事は自分に合っていると思った。幸いにも仕事がないという時期はほとんどなかったので、それなりに食いつないできた。母親もフリーライターになってすぐくらいに病気で亡くなったこともあって、本当に一人になったという自覚の元、気が付けばこんな年齢になっていたのだ。
その間、南郷さんとのコンビは結構長く続いた。ずっと一緒に取材していたのは、二十年くらいになるだろうか。それでも数年前から南郷さんの方からコンビを解消したいと言い出した。理由を聞いてみたが、
「これと言った理由があるわけではないが、俺もそろそろ潮時かと思ってな」
というだけだった。
実は南郷は、体調を崩すことが時々あり、
「自分が思い描いている写真が撮れなくなってきたんだ」
とよく呑みに行った時、こぼしていた。
南郷の気持ちはハッキリいうとよく分からなかった。フリーライターという職業は、文章を書いてなんぼである。芸術という域に達していなくてもできる仕事だと思っていた。
しかし、カメラは違うようだ。
カメラマンとして仕事をしていくには、自分が納得できる写真を撮れる間はプロ意識を持った状態でテンションを保ったままいられるのだろうが、一度納得が行かなくなると、負のオーラに包まれるようで、下手をすると鬱状態に入り込んでしまい、仕事どころではなくなってしまうようだ。
今までも何度かそういう状態もあったようなのだが、南郷の奥さんができた人で、そんな状態の時、いつも陰で支え、南郷を復活させていたのだ。矢吹はそれを分かっていたので、
――今回も奥さんが何とかしてくれる――
という程度に思っていた。
しかし、ある日その奥さんから話があると言われて会ってみると、
「実は主人なんだけど、今回だけはかなり重い状態のようなの、私が何を言っても半分聞いていないし、完全に自分で自信を失っているのが分かるの。本当に彼の思いとは程遠い写真しか撮れないのかも知れないわ。だから、今回のことであの人がどんな結論を出しても私は受け入れる覚悟をしたの。だからあなたにもそのつもりでいてほしいと思ってお話をさせてもらっているのよ」
と言った。
「そうなんですね。南郷さんには本当に今までお世話になってきたので、急に目の前からいなくなるというのは想像もつかないんですよ。まるで夢のような気もするし、ただ、南郷さんがそういう状態にあるのであれば、本当に彼のしたいようにするのが一番なんじゃないかって思いますね」
と、矢吹は自分がその覚悟をしなければいけない時期に来ているのだということを感じた。
そういう会話があり、二人が別れて一人になってみると、矢吹は自分もそれなりに歳を取ってきたことを痛感していた。
気持ち的にはいつも若いつもりでいた。
三十歳を過ぎてから、あまりにも時間が経つのが早いせいか、二十代から歳を取っていないような錯覚に陥ることがあった。
それは肉体的にというよりも精神的にというべきで、むしろ肉体的な面でいえば、年相応の気がして仕方がなかった。
南郷ではないが、自分も五十歳を過ぎて、身体のあちこちにガタが来ているというのは分かっていた。
腰が痛いことも多く、視力も落ちてきた。胃が痛いと思うことも増えてきて、どれも大事に至ることはないのであまり深くは考えていないが、それもすべてを年齢のせいだと思うことで自分を納得させているからだった。
精神年齢と肉体年齢の差を、自分の中でギャップに感じていることで、自分の中が中途半端になっていることに気付いた。
一日一日の長さに比べて、一週間、一か月、一年と長さが大きくなるにつれて、どんどん実際の時間よりも短く感じられ、本当にあっという間だったという感覚に陥っていた。
それだけに、過去のことを振り返ってみると、そこにあるはずの時系列が曖昧になっている。
――あれ? どっちがどっちだったかな?
という感覚である。
それを年齢からくるものだとは思いたくない。しかし、そう思わないと、まるで自分が痴呆症にでもかかってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。それだけは認めたくなかった。
アルツハイマーなのかも知れないとも思うが、これも認めたくない。まだ五十代という年齢で、いつも一人でいる自分は中途半端な存在だと思うことで、自分を負の要素で包むことは怖いと思うのだった。
中途半端な年齢を感じていたそんな時、同窓会の話が舞い込んできた。
――そういえば、高校時代、女の子にモテたという気がするが、両親の離婚というのもあって、恋愛ということに関して相当冷めていたんだな――
と思った。
モテるくせに冷めた状態だった矢吹なので、男性から嫌われるのも無理もないことだと今なら思う。
――何様だって思われていたんだろうな――
と感じたが、まさしくその通りであった。
同窓会に参加する気になったのは星野からの電話が最大の理由だが、三十代まで連絡を取り合っていた仲間に会ってみたいという衝動に駆られたのも事実だった。
「仲間に会うというよりも、あの頃の自分に会ってみたいという感覚のような気がしている」
と思った。
仲間内での話をする場合は楽しかったのだろうが、三十代までに同窓会に出席していればどうだっただろう?
皆は、昔のことを忘れてくれているだろうか?
確かに自分もあの頃に比べて人間が丸くなった気がする。だが、人によっては環境でいくらでも変わる世の中なので、逆に意固地になっている人もいるかも知れない。下手に話をして、「地雷」でも踏んでしまうと、取り返しのつかないことになりそうで、それも怖かった。
ただ、同窓会などたまにしかないものだ。その時に恥をかいたとしても、それがその後の生活に何か影響があるかといえば、ほとんどないだろう。そう思うと別に余計な意識をする必要などない。気軽に参加すればいいだけのことではないだろうか。
同窓会の日取りは金曜日の夜と決まった。場所は以前に行ったことがある店だったので迷うこともない。時間は午後七時からと、自分にはそれほど難しい時間ではなかった。
そもそもフリーなので会社の勤務樹幹に縛られることはない。それよりも取材で地元にいない場合の方が問題であったが、ちょうどその時は今の仕事が一段落している頃だったのも幸いだった。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次