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意識が時間を左右する

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 考えてみれば、自殺事件がなくても、矢吹は教師という職業に限界を感じていた。あの時は壁にぶつかったという程度にしか思っていなかったが、実際には限界という壁だったように思えてならない。
 数か月ほど仕事をする気にはならなかったが、さすがに季節が変わると気分も変わってきて、
「そろそろ職を探さないと」
 と思うようになった。
 ハローワークに通ったりいろいろしたが、すぐに見つかるものでもなく、またしても現実の厳しさを感じ始めていた時だったが、そんな時、天の助けか、大学時代の友人に出会った。
 彼は出版社に就職し、今は社会部の記者としてバリバリに働いているという。
 彼の誘いで呑みに行って話をしたが、
「社会部ともなると、結構大変でな。なかなか自分の時間を取ることもできないくらいなんだ」
「そうなんだ」
「ところでお前は教師を目指していたんだよな? 教師になれたのか?」
 と言われて、どう答えていいのか分からず、返答に困っていると、
「そうか、いろいろあるんだな」
 と言われて、
「あ、いや。俺は教師にはなったけど、辞めたんだ」
 と言って、これまでの経緯を話した。
「なるほどな、世間的にはよくあることだと思うが、実際に自分がその立場になれば、いたたまれない思いなんだろうな。大変だったな」
 と言われ、思わず眼がしらが熱くなるのを覚えた矢吹だったが、それを久しぶりに呑んだ酒のせいにして、何とかごまかすことができた。
「大変だったな」
 という言葉がなければ、ここまで目頭が熱くなることはなかっただろう。
 その時矢吹は、たった一言で救われた気持ちになれることを知った。
――言葉ってすごいな――
 と思った。
 そして言葉には魔力があり、魔力は人を助けることができると感じた。逆に凶器にもなるということが分からなかったわけではないが、その時の心境は、
「藁をも掴む」
 という思いだったこともあって、完全に救われる気持ちが優先していた。
 彼とはそれからも何度か呑みに行く機会があった。なかなか就職活動もままならない時期だったので、彼との会話は癒しには十分だった。
 そんなある日、彼から一つの提案があった。
「お前、フリーライターにならないか?」
 と言われた。
「フリーライター?」
「ああ、うちの文芸の方で、フリーライターを募集しているんだ。社会部のように毎日が戦争状態と違って、一応の締め切りはあるが、さほど厳しくはないので、まだ就職が気合っていないならフリーでもいいんじゃないか?」
 と言われた。
「フリーか」
「矢吹は学生時代から文章を書くのが好きだったじゃないか。特に風景や情景を文章にするとうまいと俺は思っていたんだぞ。これはいい機会だって思わないか?」
 確かに矢吹は自分が書く風景や情景を描いた文章を我ながらいい文章だと思っていた。ゼミの先生からも褒められたことがあった。
「君の文章には引き込まれるものがある。楽しいものをウキウキした気分にさせることのできる才能というのかな? 目でしか感じることのできないものを、胸でも感じることができるようにさせる力がある」
 最高の誉め言葉だった。
 もし、教師になりたいという意思がなければ、文筆家を目指したかも知れないと思うほどだ。
「少し考えてみようかな?」
 と友達に言ってその日は別れたが、すでにその時には大いに興味をそそられて、断る理由が見つからないほど積極的に考えていた。
 すぐに返事をするのはなぜか気が引けたので、一週間ほど経ってから彼に、
「面白いと思うので、せっかくだから、話だけ聞きに行きたいんだけど」
 というと、彼も矢吹が乗り気なのを喜んで、
「そうか、それはよかった。じゃあ、文芸部の編集長には俺の方から話しておく。大丈夫だ、紹介者が内部の人間ということであれば、結構大きなコネになるからな」
 と言ってまるで子供のような喜びようだった。
 さっそく数日後に矢吹は出版社を訪れた。
「矢吹さんは、カメラワークはどうですか?」
 と言われた。
 それまでは文章に関しての話であったが、友人が最初に話をしてくれていたのだろう。さほど聞かれることもなかったが、カメラワークの話になると、さすがに一瞬引いてしまった自分がいた。
「カメラに関しては、まったくの素人です」
 と正直に答えたが、
「大丈夫ですよ。うちにはカメラ専属の人もいますから、その方とペアを組んでいただきます。カメラだけはプロ級でも文才に関しては素人の人ですから、フリーのライターさんと組んでくれることは私たちにとっても彼を生かすことができるのでありがたいことだと思っています」
 といい、一人のカメラマンを紹介された。
 彼は矢吹よりも年齢的には少し上ではないだろうか。矢吹はその時二十代後半、そのカメラマンは三十代前半というところであろうか。
「よろしくお願いいたします」
 ということで、矢吹の採用は決まり、パートナーとなるカメラマンも一緒に決まることになった。
 彼の名前は南郷譲二と言った。最初に見た通り、彼は矢吹よりも五歳ほど年上の出会った当時は三十四歳だった。彼の経歴は聞いてみると興味が湧くものであり、彼に対しても興味が湧いていた理由が分かった気がした。
「私は元々画家を目指していたんですよ」
 というのだ。
「画家ですか。それが今はカメラマンなんですね?」
「ええ、画家になりたいと思ったのは中学時代。それも急にピンときたというのか。画家になりたいと思うとそれ以外のことは頭に入らなくなったんです。そしてそれから画家になるための勉強をしました。大学も芸術大学に進学し、美術絵画の道に進んだんです」
「それで?」
「大学二年生の時にパリに留学したんですが、それから私はパリでの生活が気に入ってしまい、帰国時期になっても帰国せずにパリで過ごすことを選択しました。大学も中退して、パリでの生活を本格化させました」
「じゃあ、パリでプロとしてデビューされたんですか?」
「そんなにすごいことではないんですよ。ただ感じたのは、パリでの中途半端な実力のまま日本に帰っても、中途半端なままで終わるって思ったんです。だから、日本で中途半端に終わるくらいなら、パリで今の生活を貫徹させようと思うようになったんですね」
「それで大学も辞めて? 後悔はなかったんですか?」
「後悔がなかったといえばウソになるかも知れませんが、少なくともその時は後悔はしないと思っていたんですよ。それで十分だと思ったし、だから、後になって後悔はしたかも知れないけど、あの時に後悔することはないという思いがあったからこそ、この程度の小さな後悔で済んだのだという気持ちになりました」
「ポジティブなんですね」
「いや、これはポジティブだとは思いません。もしポジティブだと思ってしまうと、考え方がすべてに優先しているように感じるでしょう? でも私が感じたのは考え方がすべてに優先しているわけではなく、感情が優先しているということだったんですよ」
 と南郷は語った。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次