意識が時間を左右する
だが、こうやって同窓会に出席してみると、子供の頃のまま大人になって、年相応に見える人もいれば、まったく変わっていないにも関わらず、同級生として違和感のない人もいる。
――俺はどうなんだろう?
学生時代は自分のことが嫌いだった。
ひ弱で、まるで女のような軟弱さを感じていたことで、自分がそれなりに女の子からモテていたにも関わらず、それを許せない自分がいた。そんな自分が変わったのは、教師を辞めてからだったように思う。教師になった頃はそれなりの自信とやる気で、将来がバラ色にしか見えなかった。
「将来がバラ色に見えれば、それに越したことはないさ」
と先輩は言っていたが、まさしくその通りだと思っていた。
バラ色に見えるなら、確かにそれ以上のことはない。妄想の世界であっても、考えていれば、少しでも近づくことができるからだ。特にネガティブに考えれば考えるほど泥沼に嵌ってしまう矢吹にはちょうどいいのだろう。
躁鬱症の影響は精神的なもので受け継がれている。学生時代ほど躁鬱状態になることはなかった。トンネルを意識することもなくなっていて、トンネルに入った時のイメージは夢の中でしかない。
夢の中で躁鬱症になっている意識はあった。しかし、
――しょせんは夢の中なんだ――
という思いがあるから、別に悪いことではないと思う。
むしろ、夢の中で完結してくれているのであれば、それはそえでありがたいと思っている。
「夢の中というのは、本人の意識ではどうすることもできないものだ」
と言っていた人がいたが、矢吹も最近まではそう思っていた。
「夢とは潜在意識が見せるものであって、潜在意識は実際の意識が表に出ている時は裏に隠れているものだから、自分ではどうすることもできないんだ」
というものである。
確かに夢を見て起きた時、覚えている夢はほとんどない。しかも覚えている夢というのは、そのほとんどが怖い夢であって、楽しい夢というのは夢から覚めるにしたがって忘れてしまっているようだ。
「本当は、楽しい夢というのを見ることなどできないのではないか?」
と思ったこともあった。
だが、夢が途切れてから完全に目が覚めるまでには、少しの間隙がある。その間が何を意味するのか、矢吹は考えたことがあったが、
「現実世界に戻るためのプロセスだ」
という言葉だけでは言い表せないような気がして仕方がなかった。
夢から完全に覚めるまでにかかる時間というのは、どれくらいのものなのか、考えてみた。いつも同じ時間なのか、それとも夢の内容によって、時間に差があるのだろうかということである。夢の内容によって時間に差があると考える方がり理屈としては納得がいくが、いつも同じ時間だとすれば、目が覚めるまでの間の時間に密度の濃さが違うということである。
実際の夢というのも、人から聞いた話であるが、
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める寸前に数秒だけ見るものらしいんだよ」
と言われた時は、最初信じられなかったが、目が覚める時の間隙を考えると、その話もまんざらでもないように思えた。
「数秒というのは、どんな夢を見ていようが、ずっと同じ時間なんだろうか?」
とその時、聞き返した。
するとその話をしてくれた人は一瞬ビックリしたようだったが、
「同じなんじゃないかな? そこまでは俺も聞いたわけではないのでよく分からないんだが、俺は話を聞いた時にそう思って疑わなかったような気がする。もっとも今言われたからあらためて感じたというのが本音なんだけどな」
と言われた。
「俺も今ふっとそう感じたんだよ。このことだけは確認しておかなければいけないという思いに至ってね」
時間というのは、基本的に自分の意識に関係なく、誰にでも平等に時を刻んでいるものだと思っていたが、果たしてそうなんだろうか?
時間の中には、その人が意識したことで左右される時間があってもいいのではないか。そう思うと、夢の入り口と出口はその可能性の高さからありえるのではないかと思うようになっていた。
人の意識が左右する時間があるとすれば、夢だけに限るのだろうか?
例えば、
「ふとしたことで年齢を感じることがあった時、急に我に返ったような気がするのだが、そんな時が意識が時間を左右するのではないだろうか?」
今まで同窓会に出ることもなく、いつも会う人は出版社の人ばかり、毎日ではないがほとんど定期的に会う人ばかりで、自分と同じように相手も年を重ねていくのだから、年齢について意識することはない。それが本当に久しぶりに出会った連中を見て、それぞれに年齢を重ねている。同じ時間を使っているのに、立場や仕事で老け方が違う。それこそ時間の遣い方が違うというべきであろうか。
中には意識して時間を過ごしている人もいるかも知れない。あまり意識しすぎると老け方も早いような気がする。そういう意味では少なくともこの同窓会のメンツにそんな人はいなかった。
すると、奥の方で一人孤独に酒を飲んでいる人がいた。どう見ても同級生には見えない。あの老け方は尋常ではない。背中は曲がってしまって、どう見ても、我々よりも十歳以上上にしか見えない。
しかも、その表情は目の前の一点を見つめていて、その男もまわりをまったく意識していないし、まわりも彼を意識することはなかった。矢吹はそれを他の人に話そうかと思ったが、場が壊れてしまいそうな気がして口にすることはなかった。それがこの場ではいいことに思えたからだが、果たしてそうだったのだろうか? 矢吹は何かの警鐘を感じながら、なるべく意識しないようにしようと思うのだった。
せっかくの同窓会であったが、矢吹は自分から話しかける勇気はなかった。時々話しかけてくれる人もいたが、何を話していいのか分からず、話に合わせているだけの時間が少々続いたかと思うと、相手の方が気まずくなったのか、すぐに、
「じゃあ」
と言って、離れて行く。
――これも、皆同じ時間配分のような気がする――
と、矢吹は話しかけられたことよりも、相手が自分の関心の中にいる間の時間の方が気になっていた。
最初に坂田や星野が話しかけてくれたのが、かなり前だったような気がする。そう思うと、
――同窓会も、すぐに終わってしまうな――
と感じた。
時計を見ると、開催時間の三分の二を過ぎていた。ほとんどの人は会話に集中しているせいか、誰もそのことを言及しない。
「時間なんか気にしていたら、楽しめるものも楽しめないさ」
と言わんばかりである。
矢吹は、卒業してから、皆も自分と同じ時間を過ごしてきたのか疑問だった。自分とだけではない。皆それぞれの時間を持っていて。その時間の中で過ごしてきた。人と関わっている時間だけは時間を共有していて、一緒にいる時間の長かった人は、同じように年齢を重ねているだけのことなのかも知れないと思った。
時間の違いは次元の違いであり、一般的に言われている三次元の世界に時間を加えると四次元の世界というものになるのだろうが、矢吹は四次元の世界というのは、人によって違うものではないかとも思うようになった。
それを人に話すと、
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次