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意識が時間を左右する

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 この歳になってこの手の申告の一つ一つが、精神的な痛みを伴うものであり、本当は知らなければいけないものなのかも知れないが、知ることがもっとも怖いことでもあるのだろう。
 四十代までは、
「まだまだだ」
 と思っていた年齢への意識が、四十歳を超えた時点で、切実な問題になってくるということなのだろう。
 他人事になることが気が楽になる一番だと思ったのもこの頃であり、まわりの人を見てその人が他人事のように見えてきたということを意識できるようになったのも。この頃だった。
 矢吹はそんな意識を感じながらその日は通勤していた。普段からいつも何かを考えるようになったという意識を持って毎日を過ごしているこの頃の矢吹だったが、いつもその感覚は次の日になったら、いや、すぐにでも忘れてしまっていたかも知れない。しかし、この日の感覚は数日間は覚えていた。それは少なく十同窓会の日までは間違いなく自分の中にあった。これが年齢的なものによるのかどうか、矢吹にも分からなかった。
 だが、確かに毎日毎日に変化というものが乏しく感じられるようになった。
「乏しい」
 と言っているのに、感じられるようになったという表現はどこかおかしいような気がしているのだが、毎日見えているものに変わりがないはずなのに、感じ方が違ってきていることで乏しいと感じるのであれば、それも致し方のないことであろう。
 きっと、その乏しさが、一日一日を変化のないものに変えてしまい、変化を感じていた時に比べ、毎日をあっという間にしているのかも知れない。それは感じているはずのその時でも同じことで、後から思い返してもその思いは変わることはない。要するに感じることへの変化が、年齢にともなって現れてきたのであろう。
 こうやって綴ってみると、当たり前のように感じるが、自分に言い聞かせてやっと納得できるものである。特に年齢が絡んでくると、自分の中で認めたくないという思いが強くなり、考えが希薄になっていくのであろう。
 同窓会の日が近づいてくると、まるで学生の頃に戻ったかのような新鮮な気分になっていた。
――こんな気分になったのはいつ以来だっただろう?
 フリーライターになった時、それまでになかった自分の人生を妄想し、新鮮な気分になったのが最後だったような気がする。
 その時の気分をいつまで持続できたのかは覚えていないが、思っていたよりも長かったような気がする。何かを自分で作るという喜びが好きだったということを改めて思い出させてくれたというのが一番の理由だろう。
 何かについて改めて思い知らされることが、新鮮さを継続させることであるとその時初めて感じた。そういえば自分がフリーライターになった時の面接で、
「何かを新鮮に感じるというのは、それまで自分の中にあったものを改めて感じるということなのではないかと思います」
 と言ったのを思い出した。
 あの時、面接してくれた編集部長がその話を聞いて、驚いたような表情をしたかと思うと、すぐに、
「うんうん」
 と頷いてくれたのが印象的だった。
――あれが契約してくれる決め手になったのか・
 と思っているが、ほぼ間違いがないように思えた。
 その時に感じた思いを、今度の同窓会でできるのではないかと感じたことが、今まで忘れていた新鮮な感動を思い出させてくれていると思っている。
 教師になった時にも新しいことを追求できることを切望していたはずだった。しかし実際になってみると、自分の思い描いていた世界とはまったく違い、教育委員会の定めた教育方針に従うことが優秀な教師としてのレッテルだったのだ。何かを改革しようなどという考えは、
「出る杭は打たれる」
 の発想から、必ず打ち消された。
「お願いだから、俺たちを巻き込まないでくれ」
 と、先輩や同僚に言われたものだ。
 その言葉を聞いて、矢吹は教師というものに疑問を持つようになり、事件をきっかけに退職に追い込まれ、
「やっぱり俺には合っていなかったんだ」
 と教師に対して幻滅だけを残して辞める羽目になったのだ。
 フリーライターになってからも、教師に対して偏見を持っていた。内部を知っている人間にしか分からないわだかまりや、生徒との距離、上下関係、さらには教育委員会への気遣いなど、聞いただけでもへどが出る言葉しか出てこない。
 社会派の記者であれば、教職に対してのゴシップを書くこともできたかも知れない。しかし今から思えばただの私恨でしかないその時の自分が、冷静に批判記事が書けるのかと言われると、実際には自信がなかった。書いたとしても、その記事に自信が持てることはなかっただろう。下手をすると、書くまでは自分の理論や不満を全面にぶちまけていたにも関わらず、書いてしまってそれを発売されてから読者の目で冷静に見ると、他人事のようにしか思えないかも知れないと思うと、ゾッとするのだった。
 しかし、書いたことには変わりない。その責任を書いている間に感じることなどないはずで、
「糾弾することこそが正義」
 として、平等ではない目で一方的な理論から振りかざした正義に、本当の正当性があるのかと言われると、自信がない。
 正当性などという公共の感情ではなく、自分の中でさえ理解させることができるのかと思うと、きっと冷静になって思うと、他人事にしか思えないに違いないとしか思えないだろう。
 同窓会の面々にはまだ自分が教師をしていると思っている人もいるだろう。何しろ同窓会などほとんど出席したことがなかったからで、いつの頃からか、案内が来ても返事すら出さなくなっていた。そのうちに案内状も来なくなっていたが、忘れた頃にやってきた「お誘い」に新鮮さを感じたとしても、
――それだけ自分が寂しさを裏で隠し持っているからではないか――
 と感じさせ、それが同窓会への出席を前向きに考えた理由の一つであった。
 果たして同窓会の日がやってきたが、本当に何年かぶりにスーツに袖を通して、ネクタイを締めた。新鮮な気分というよりも、首が締まるような感覚に苦しさすらあったが、年齢的に太ったのだろうと感じさせた。
 会場は気軽な居酒屋だった。ほぼ初めてと言っていいくらいの参加なので、居酒屋というのは気が楽だった。
 結構早めに会場に入ったが、集まってくる最初の数人は誰もお互いに話をすることもなく、異様な雰囲気に包まれていた。
――来るんじゃなかったかな?
 と思わせるほどで、皆席をいくつか空けて座っているので、会話が成立するはずもなかった。
 そのうちに見覚えのあるやつが入ってきた。
――あれは星野じゃないかな?
 高校時代からほとんど変わっていないような気がした。
 星野という男は人に気を遣うのがうまいという印象があった。いつも自分は誰かを立てる役で、決して自分が目立とうとしなかった。そのため、
――一体、何を楽しみに生きているんだ?
 と思うこともしばしばだったが、確か大学に進んでから、地元大手の会社に入社した仲間うちでは出世頭という話をしていたような気がする。
 彼とは矢吹が教師をしていた三年目くらいまで連絡を取り合っていたが、それ以降は連絡を取り合っていない。お互いにそれどころではなくなっていたからだ。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次