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意識が時間を左右する

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 という言葉に違和感を感じるようになっていたが、別の意味でその言葉がしっくり来ていることを不思議に思いながらも、その言葉が対面の挨拶として定着していたこともあって、言葉を発することに対しての違和感はなかった。
 三十代になると、久しぶりという言葉は普段でも口癖のようになっていた。毎日を充実している人も、時間に追われる人も、時が過ぎるのをあっという間に感じているからに違いない。
「一日一日は長いんだけど、一週間になると、あっという間なんだよな」
 という人もいれば、
「一日一日はあっという間なんだけど、一週間は結構長く感じる」
 という人もいる。
 それは会うたびに同じ感覚になっているわけではなく、次に会う時にはまったく正反対の感覚を口にする人がほとんどのような気がする。かくいう矢吹も同じように思っていて、どんな時にその感覚が違ってくるのか、よく分からなかった。
 忙しさや充実感だけでは言い表せないものがあるような気がする。形式的な感覚だけではなく、内面的な感覚からも溢れ出るものがあるのではないかと思うのだ。
 三十代の半ばで、連絡を頻繁に取っていたにも関わらず、途中から急に連絡が疎かになり、集まることもほとんどなくなっていた。その理由はハッキリとしていて、中心にいた星野の行動がそれほど活発ではなくなってしまったことが原因だった。
 星野の行動が鈍ってくるのと平行し、後のメンバーも次第に消極的になってきた。
「ちょうどよかったかも知れないな」
 と他の人も思っているかも知れない。
 矢吹もそこまで露骨ではなかったが、一人がトーンダウンしてくると、自分もどこか冷めた気分になってきて、
「ぎこちなくなるよりも」
 という気持ちも強く、人と関わることが極端に減ってきた。
 それでも、仕事での取材は別で、取材の場合は仕事と割り切るというよりも、聞きだすことがメインなので、毎回違った人に出会うという新鮮な気持ちが優先し、それなりに楽しんでいたような気がする。
 矢吹は学生時代から一人でいる時間と人といる時間を明確に分けていた。それができることが自分の長所だと思っていたが、それは自分だけの特徴だと思っていたこともあり、独自の考え方が形成される要因になっていた。
 それを個性と言えば個性なのだが、同じ性格でも人それぞれだという当たり前のことなのに、それを自分の個性だと考えられることこそ、矢吹の長所なのかも知れない。
 さらに矢吹は自分の考え方や性格を人に押し付けることはしない。それを罪悪だと思う傾向にあり、そうなったのは、中学時代の友達に、自分の性格を相手に押し付けるようなやつがいたからだ。
 アニメなどを見ていると、ひとりくらいいるキャラクターであった。昔で言えば、
「ガキ大将」
 と言えるような人で、一口に言えば、
「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」
 というのを信念にしているようなやつである。
 本人には悪気はなのだろう。それだけにこれ以上の迷惑はない。なまじ意識があれば、説得もできるのだろうが、本人に意識がない分、意識させる必要がある。しかし。それを意識させることがどれほど難しいか、矢吹は分かっているつもりだった。
いわゆる、
「反面教師」
 というのだろうか、そんなやつを見ていると、決して自分はそんな風にはならないという意識をしっかり持つようになった。
 矢吹は中学時代まで、本当に目立たない少年だった。高校時代も同じだったのだが、中学時代までと違って、皆が目立たないことを信条にしていたので、クラス全体が暗い雰囲気で三年間を過ごした気がした。
 高校時代は、人間関係以前に、皆がぎくしゃくしていた。要するにまわりは皆ライバルであり、ハッキリ言って敵なのだ。
 敵でないとしても、人のことには関心しないという気持ちが基本であり、誰もが他人事のように思っていたのだ。
 だから、高校時代は一日一日はなかなかすぎてくれなかったはずなのに、三年間はあっという間だった。その理由は、その三年間のうちに何ら印象に残ることが一つもなかったということだった。
 大学に入るとその反動か、友達をなるべくたくさん作ろうと思った。とにかく友達と言えるような人をたくさん作ること。それが先決であった。そこから本当の友達になれそうな人を選別するのは、ゆっくりでもいいと思っていたのだ。
 大学に入ると、挨拶だけをする人が結構いた。それを友達と言えるかどうか疑問だったが、そういう意味で挨拶だけはしっかりするようになったのは、いい傾向だったに違いない。
「あいつの挨拶は実に気持ちがいい」
 という理由から友達になってくれた人もいるくらいで、友達になる理由は数多いに違いないが、きっかけはある程度決まっているのかも知れない。
 同窓会もその間に何度かあった。
 中学、高校の同窓会も誘いのはがきは来ていたが、どちらも行く気がしなかった。そもそも、誰がいたのかすら印象にはなく、特に高校時代のクラスメイトとはもし会話になったとしても、何を話していいのか分かったものではない。
 それは自分が感じているだけではなく、相手も同じことを思っているだろうから、それを思うと、同窓会など最初からいかない方がいいに決まっていると思うのだった。
 そんな矢吹に対して、大学時代の友達で、三十代くらいまで定期的に会っていた仲間の一人である星野から連絡があったというのは、正直意表を突かれたようでビックリしていた。
――なぜ今頃?
 と感じ、誘いを掛けてきたことに何かの意図が感じられたが、無碍に断ることもできず、とりあえず話を聞くのも悪くないと思った。
 矢吹は自分の高校時代を思い出していた。決して楽しい時期ではなかったからなのか、同級生の名前を聞いてもピンとくる顔が思い浮かんでくるわけではなかった。
――皆の顔がまるでのっぺらぼうのようだ――
 と、思い浮かべたとしても、顔は逆光になっていて、確認することができなかった。
 ただ先生だけは思い出すことができる。別に教育熱心だったわけでも、生徒思いの先生だったわけでもないが、同級生を見ているよりもマシだった。
 同年代ではないという思いが大きかったからなのかも知れない。先生の授業は内容のわりには結構面白かった。もちろん先生全員が面白かったわけではなく、つまらない先生が大半だった中で、気になる先生が二人か三人ほどいたという程度である。
 それまで将来のことを考えたことのなかった矢吹が、初めてやってみたいと思った職業が学校の先生だった。それまでは漠然とも将来について考えたこともなかったのに、教師というものに興味を抱くと、その思いはどんどん大きくなっていくのを感じた。
 大学への進路は教職の取れる各部を目指した。進路指導の先生とも話をしながら、無理のない受験計画を立て、それに沿った勉強ができたため、無事に現役で大学にも合格することができた。
 大学に入ってからは、友人をたくさん作るという目標と、先生になるという目標を並立させて、恰好のいい表現、いわゆるベタに言えば、
「青春を謳歌できた」
 と言えるのではないだろうか。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次