意識が時間を左右する
本人は分からなかったが、それは完成品と偽って、保険のつもりで未完成品を収めることにしたという、
「巡らせすぎるくらいの策を弄した」
ということの反動だったようだ。
まさに灯台下暗しと言えばいいのか、目の前のことに気付かなかったという典型的な例であろう。
悪の結社が刺客を送り込んでくる。それを自分を守ってくれる主人公のロボットが撃退、あるいは破壊してくれ、自分は難を逃れることができる。
しかし、次第にその果てしなさと、執拗な攻撃に、以前までとの違いを感じた主人公のロボットは、以前の攻撃が決して科学者を傷つけないように作為的に行われていたことに気が付いた。
主人公のロボットは、科学者が企んだことすべてに気付いたわけではない。あくまでも科学者を信じていたし、その思いが少しでもある以上、彼には科学者を本当の意味で疑うことはできない。つまり彼の本当の意志をはかり知ることはできないと悟っていたのだ。
この思いがロボットの中で大きなトラウマとして残ってしまった。
――俺はどうすればいいんだ?
主人と言ってもいい相手を信じているがゆえに、本心を知ることができないというジレンマは自分がロボットであるがゆえに、人間の命令に服従しなければいけないという思いに忠実になれないことで、自分を未完成だと思い込んでしまう。
ロボットがジレンマに陥ると、人間と違って動けなくなってしまう。思考回路の停止は、行動能力の停止も一緒に招くことになる。
悪の結社の攻撃は激しくなる。彼らも必死である。科学者が生きていれば、国家全体の破滅に繋がるからだ。
「邪魔者はすべて消す」
というのが彼らの理念である。
悪というのはどこまで行っても悪であり、悪を守るためには必死になる。それは彼らが世間に受け入れられるはずのない団体であるということを一番よく分かっているからだ。
それでも彼らには他の人間との違いを感じている。それは、
「俺たちは、考えていることが間違っているのか正しいのかということが大切なのではない。自分たちの中で理論的に正しいと思うことが大切で、我々の考えているテーマをまったく考えようとせず、これから起こるであろう現実から目を背けている連中が自分たちよりも正しいという考えは間違っている」
という理論によるものだった。
確かに彼らには彼らの理論があり、理路整然とした考えであろう。主人公のロボットにもここまで説明されると理解できることなのかも知れない。
しかし、ロボットには三原則があり、それに沿うと秘密結社のやっていることを容認はできない。
しかも、そんな彼らを「利用」しようとしている自分の主と言ってもいい科学者に対しては、
「この人は何を考えているのか分からない」
としか思えなかった。
一度は別の悪の結社から救ってあげたのに、自分の行為を裏切るようなことをした科学者ではあるが、逆らうことはできなかった。彼が設計図を体内に埋め込んだ時、ロボットの中に、自分を主人として命令に服従するような回路を一緒に入れていたのだ。
だからこそ、彼はジレンマに陥ったのであるし、ジレンマが彼を苦しめることになり、彼の苦しみとは別のところで、
「化かしあい」
が行われていたのだ。
ロボットは悪の結社から主を守ろうとしていた。実際に何かを考える暇がないほどの攻撃を、相手から受けていたからである。
だが、ロボットはそのうちにいろいろ考えるようになった。
「自分に関係のないところでの人間同士の醜い争いに、どうして自分がまきこまれなければいけないのか?」
という理不尽さである。
普通ならこんな思いをロボットがすることはない。なぜならロボットは人間が危害を加えられるのを見て見ぬふりをしてはいけないということを最優先の第一条で定められているからである。
しかも、第二条での絶対服従の命令を下すのは、主であるこの科学者である。これに逆らうこともできない。
だからと言って、悪の結社の理論もロボットの感覚としては無視することもできなかった。
――俺はどうすればいいんだ?
またしても、ロボットはそこに行き着いた。
同じ考えにまたしても戻ってきたのだ。
究極の考えといえばそれまでなのだが、堂々巡りを繰り返していることに気付いたロボットは、その時にハッキリと自分の限界を感じた。そして自分がロボットでいる理由がないと思うようになり、
「人間になることもできない。ロボットでいることもできない中途半端な存在になってしまったんだ」
と思った。
しかしそれは後からなったわけではなく、最初からそういう存在だったのだと思うと、ロボットなる存在を作った人間が憎らしく感じられるようになった。
身体の中に内蔵された回路の、
「ロボット工学三原則」
それが人間のエゴであることに初めて気づいた。
今までのロボットが誰も気づかなかった考えてみれば当たり前の理論に気付いた時、
「俺が間おらなければいけないものは何なんだ?」
と自問自答を繰り返したが、
「そもそも誰かを守らなければならないというのはどういうことなんだ?」
と感じた。
つまりは誰かを守るということがロボットの存在意義であり、その誰かというのは人間に他ならない。
そう思うと、自分たちに関係のないところで争っていて、その手助けをするためにロボットが開発されたのだとすれば、それはただ巻き込まれただけだということになり、人間よりも耐久性や判断能力に優れているにも関わらず人間に服従しなければいけないというのは、本当に人間のエゴから自分たちが生まれたということの証明のように思えた。
それに間違いはないだろう。そしてこのことをウスウスではあるが気付いているロボットも少なくないに違いない。
そう思ったロボットは人間に危害を加えるのではなく、ロボット全体がこの世からなくなってしまうことを選択した。その間にロボットを守ろうとする秘密結社や主である科学者は邪魔だった。
つまりは、人間の命令に服従しなければならないということは、我に返った時点でロボットは破ったことになる。そして、邪魔になった人間を葬ることで、一番優先順位の高い第一条を犯すことになる。そして最後は自分たちを自分たちの手で破壊するのだから、第三条も結局は守られない。ここに、
「ロボット工学三原則」
という理念は完全に崩壊したのだ。
これがマンガの中での大きなあらすじであった。
その中でロボット同士が戦うという子供向けの内容も盛り込まれていたが、内容は完全に。
「大人向けのマンガ」
だった。
しかも、ストーリーは三原則に照らして解説されるかのように描かれていたことで、三原則がこの漫画のテーマであることは確実だった。人間のエゴから生まれたロボットが、最後は自らの手で自滅する。これは神様によって作られた人間の、
「自らを滅ぼすのは自分たちだ」
ということへの警鐘なのかも知れない。
作品名:意識が時間を左右する 作家名:森本晃次