粧説帝国銀行事件
応報
「で、どうすんの。今はともかく、遅くなったら本当に長ドス持って踏み込んでくるのがいるかもしれないわよ」
とマサが言う。平沢は「そうだなあ」と返すしかなかった。家の外では「実験だ、実験だ」「犯人だ、犯人だ」のコール合戦が続いている。
時刻はまだ宵の口だ。これまではせいぜい石が飛んできて窓を割られる程度だったが、今後どうなるかわからない。
小樽で捕まり東京まで連れて来られて汽車が上野に着いた時、待ち構える群衆で駅のホームが一杯だったのを思い出す。この平沢を私刑(リンチ)にかけて殺そうという者達だ。列車を貨物の引き込み線に移して降りたのを追いかけてきて、霧山らと掴み合いになっていた。
どうにか切り抜けて助かったが、自分はあの時八つ裂きにされていてもおかしくないのだ。いま表で犯人だと叫んでいる者の中には、あの時あそこにいたやつがきっと混じっているだろう。
そのうちマサが言うように、戦時中の銃剣でも持った野郎が押し入ってきてブスリとやられてしまうかもしれない。ウギャギャー。おれのアトリエになるはずだった部屋がおれの血で真っ赤に染まる……。
そうなっても因果応報なのかもしれない。来るとしたらやはりマサが言うように、深夜遅くか明日の早朝になるのじゃないか。
「今日は無事に済んだとしてもよ。あした来るかもしれないし、あさって来るかもしれないじゃない。この騒ぎが鎮まった頃にひとりでやって来てあんたをズドンよ。戦時中に拳銃なんか手に入れて隠し持ってる人間は今の世の中にたくさんいんでしょ」
「らしいな」
「あなたはともかく、この家に火ィつけられたらどうすんのよ。あたしも死ぬじゃん。なんであんたがしたことのためにあたしまで焼け死ななきゃなんないのよ」
「なんだ、おれがしたことってのは」
言ったがマサは「ふん」としか答えないでそっぽを向いた。自分の夫を信じる気持ちは持ち合わせてないらしい。
が、考えざるを得ない。釈放されたら自由だと考えたのは甘かったようだ。絵が高値で売れるものと考えたのも甘かったようだ。やはり犯人じゃないのかという疑惑は残る。祓うには潔白を証明しなければならないだろうがそれはまず無理だろう。
おれが犯人なんだから。自分でやったことだから自分がいちばんよく知っている。外で無実だと言う者の中におれを無実と考えてるのはひとりもおらず、あの事件をアメリカの陰謀だとしたいからおれが犯人じゃないことにしようとしてるだけなのもはっきりわかることだった。前に広げた新聞には、勝也(かつや)のやつが「自分には父が犯人とわかっています。あれを死刑にしないならこの国に正義はありません」と語っているという記事が載ってる。
マサがそれを覗いて言った。「きっとほんとは相当に口汚く言ってんでしょうね」
「うーん」
「どーすんのよ、実の息子にこんなことを言われるなんて。これでもしまた警察にタレコミなんかするのが出たら……」
「え?」
と言った。それから気づいた。そうだ、そのおそれがあると。詐欺の件が発覚したのもタレコミがあったからと聞いたが、あれよりまずい事を知ってる者がどこかにいるかもしれないじゃないか。そいつが今日の釈放で警察に注進する気になれば……。
その時こそおしまいじゃないか! どうする、ひょっとしてもう既に言って出たのがいるんじゃないのか。おれが〈あの方法〉を知っているのを証明できる者がいるかも……。
そう考えて慄然とした。目の前には逮捕翌日から今朝までの新聞。最初の数日は誤認逮捕一色で、やれ人権侵害だ平沢画伯は立派な画家だ、だからすぐ疑いが晴れて釈放されることだろう、といった記事が躍っている。
が、別件の発覚で変わる。新聞に載った写真で自分を見てタレ込んだ者が出たのだ。去年の暮れに詐欺を仕掛けて失敗した相手だった。
そこから一連の悪事がバレてすべてが変わってしまう。最初の件は去年の11月25日、帝銀をやる二ヵ月前だ。世は給与日で金が動く。それを狙って平沢は都心に出て行き、大手町から丸の内へと銀行を巡り歩いた。
大金を下ろす客からその金をチョロまかすのが目的だったが、ひとつの店にそう長くは居られない。客のふりして10分くらい居ては出るのを繰り返し、丸ビル内の三菱の銀行支店でチャンスが来た。
出金を頼みながらいったん店を出て行った客がいたので後を尾け、番号札を盗み取るのに成功したのだ。それを持って銀行に戻り、窓口の者が「〇番の方」と呼ぶのに応えて金と通帳をいただいた。
しかしずいぶん危ない橋を渡った割に壱萬圓にしかならなかった。あれが十倍あったなら帝銀はやらずに済んでいただろうが、これがタレコミで露見して新聞に書き立てられることになる。
それは警察で聞いていたが、今に記事を読んでみると、
《平沢はこの件について「落ちていた番号札を拾ったところに呼ばれてつい応じてしまった」と釈明しているが、しかし不審な点が多い。現場の銀行支店にはその日に平沢の名の扱いの記録がなく、自宅からも遠いためその時どんな用向きでそこにいたのか不明という。平沢からそのまともな説明はなく、金を盗まれた被害者も「札は落とさず机に置いていた」と語っているということで、警察は計画的犯行の疑いが強いと見て追及を続けている》
などと書かれてしまっている。
「うーん」
と唸るしかなかった。こう書かれて当然なのかと読んでみれば思うしかない。新聞にはこれに続けて、
《また平沢はこの時の金をどうしたか問われて「上野の浮浪児にすべて配った」と供述しているといい、警察は非常に疑わしいとしている》
とも書いてある。訊問には確かにそう答えたし、うまい嘘をついた気だったが今に弁護士が家の外で、
『わたしは先生を信じます! 先生は深い懺悔の気持ちから、つい受け取ってしまったお金を戦災孤児に配ることを考えた。持ち主に返したところで飢えた子供らは飢えたまま。だからより善いことに使おうと平沢先生は思われたのです。ご自身は一銭も取らずにです! なんという徳の持ち主でしょうか。こんなお方が帝銀事件なんてことするはずないとわかりませんか!』
そう叫んでいるのを聞くと、それはやめろと言いに行きたくしかならない。マサに行ってもらえないかなと考えて見ると、何か察した顔でもって「ふん」と言って横を向いた。
平沢は何も言えなかった。この一件もまずかったが後にもっとまずい続きがある。このひと月後に詐欺をやろうとしてしくじったのだ。
それも三日連続で。最初は12月27日、丸ビルの件で一緒にガメた通帳を質屋に持っていき「これで拾萬圓貸してくれ」と言った。断られておしまいだったが。
だがその翌日、別の質屋に「弐拾萬貸して」とやって小切手をもらう。成功だ、と思ったけれどしかし相手は用心していた。通帳の口座を検めずには換金できぬよう手が打ってあり、そうと知らずに銀行に行って危うく捕まりかける。