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粧説帝国銀行事件

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古橋は目白に帳場が出来てからずっと泊まり込んでいるが、困るのが洗濯や着替えの用だ。所帯持ちの刑事ならそれを妻にやらせておいて自分は親の葬式にも出ないことになるのだが、独り身ではそうはいかない。
 
だからたびたび時間を見つけて長屋に帰ることになる。事件発生から一週間のこの月曜、洗濯物を抱えて行くとおかみさんが待ってたようにやってきた。
 
「古橋さ〜ん」
 
「なんですか? おれはいま仕事を抜けて来てるんですよ。すぐ戻らなきゃいけないんすけど」
 
「わかってるよ。帝銀だろ? こないだあんたに呼び出しが来たすぐ後で大ニュースじゃないか。他にあんたが出張るようなどんな事件があるっていうのさ」
 
「おれは一課では下っ端ですよ」
 
「何言ってんのマムシのナナが。ほら、みかん」
 
言ってみかんを一個出してくる。ずいぶんと安い情報料だ。
 
「捜査の秘密は明かせません」
 
「カタいこと言わないでさあ」
 
言ったがしかしこのヤマの捜査で秘密はひとつくらいしかない。〈米軍秘密機関による毒の実験に違いない〉だが、刑事がみんな誰にでもしゃべってるので公然の秘密になっている。
 
案の定、おかみさんはそこを突いてきた。「で、どうなの。メリケンの実験だてえ噂があるけど」
 
「捜査の秘密は明かせません」
 
「つまりやっぱり本当なんだね」
 
「あのですね。人の話をどうしてそういう受け取り方するんですか。後でおれから聞いたと言って人にそう話すんですか」
 
「そんなことは絶対しないよ」
 
「まったくもう……」
 
これでは話してやる他ない。古橋はみかんを受け取って言った。
 
「いいですか。おれが見るとこ、これはトーシロの仕業ですよ。バカな素人がヘタ打って、捕まれば死刑になるのも考えずに毒を使って銀行をタタくような真似をした。結果12も死んだから大騒ぎになってるだけで、軍の秘密機関があんな人目を引くことやるもんですか」
 
「それがマムシのナナの見立て?」
 
「そう。小切手の換金なんかやるのがその証拠ですよ。ヘタな変装してたとか名を呼ばれて気づかなかったなんて話も聞いてるでしょう。それがプロのやることかって」
 
「でも換金したんだろうに」
 
「だからトーシロと言ってるんです。拾陸萬じゃ足りないからあともう少し欲しかったんだな。それでプロなら絶対やらないそんなボケをやったわけだ」
 
「いやちょっと待って。古橋さん、ラジオなんかも言ってんじゃないか。現場には盗られた分の何倍もお金が残ってたって……だから暗殺の実験で、金は強盗に見せかけるためちょっとだけ持っていったんだってみんな言ってることだろうに」
 
「みんなって、ラジオで話す人間のことですか」
 
「そうだよ」
 
「はっ、バカらしい」
 
と言った。そんなことを言い出す者がすぐ巷に現れて、解毒剤説と同じく世の定説にもうなっているようでもある。そんな噂を根拠にして新聞・ラジオも帝銀を何者かの実験であり陰謀だと決めつける報道をしていた。
 
〈メリケン(米国)の〉とは言わないが言っているのも同然の与太を。ラジオでは専門家とされる者らが口を揃えて言っている。ハイそうなのです、戦争中に日本軍が青酸の解毒剤を開発していた話がありましてですね、ワタシも当時聞いたのですが、それが最近闇の組織にどうも渡ったらしいという、そんな話も聞いてまさかと思っていたのですがこんな事件が起きたのを見るとあれは本当だったとしか……。
 
なんてフカシを。甲斐係長もまだ諦めてないらしくてこれを聞くたび刑事をそんな学者の許に送り続けているが、それとは別に椎名町のゲンジョウにはホシが盗んだ拾陸萬の隣の机にその倍以上の現金があった。これが見えないはずがないのになぜ持って行かなかったかというのが、おかみさんが言うように世では謎とされている。
 
ラジオが「ですからそれは目的が毒の実験だからですね。強盗に見せかけるためそれだけ掴んでいったとしか考えられないでしょう」と言うことになってる。これを聴いたら普通の人はおかみさんと同じようにすぐ頷いてしまうだろう。
 
だが帳場では甲斐係長もこの話には首を振ってた。古橋は洗濯物からワイシャツを一枚取り出して、その場にあった雑誌数冊と空き瓶二本を風呂敷のようにくるませておかみさんに見せてやった。
 
「ほら」
 
と言って差し出してやる。シャツはもうそれだけで西瓜を包んだようになるのがおかみさんもすぐわかった顔になった。
 
「持ってみなさい。結構重いですよ」
 
「あらほんと」
 
入れた雑誌はちょうど札束16ほどだが、これで目方はほぼ4キロになってるだろう。袖を使って肩に掛けたらズッシリとその重さがのしかかるはずだ。
 
「ね? そいつはこのくらいの鞄を肩に掛けてたという。でもこんなの札束を16も詰めたら一杯に決まってんですよ。それ以上は重くって持ってけなくて当たり前」
 
「ええと……」
 
「ラジオでしゃべるようなやつらは、こんなことにも気づかないわけ。口が達者でもっともらしいことをベラベラと言えてもね」
 
あのゲンジョウに残っていた金の現物を見た者には、それがひとりで運べる量でないのがわかる。紙幣は全部で30キロの重さになり、前に天城が言ったように背負子でもなきゃ持ってけないのが――だから帳場のデカはひとりもこれを謎とはしていないのだ。おかみさんも「なるほど」と言って頷いたが、
 
「でも現場近くにさ、進駐軍のジープが停まってたっていうじゃないかい。なんか中尉か大尉くらいの軍人が乗ってて、銀行の方をずっと見てたという話が……」
 
と反論の言葉を続ける。そんな話もまた出ていて、事件の裏に米軍がいた決定的証拠のように人が言うことになっていた。帳場の中でも甲斐係長が振りかざして「ホラ見ろ」と下に言うことになってるのだが、
 
「バカらしい。そりゃガセですよ」古橋はみかんの皮を剥きながら言った。「妙な噂が広まると、それをほんとにしようとして話を作るやつが出るもんなんです。去年もなんかあったでしょう。アメリカのどっかで空飛ぶ皿とかいうのを見たって言うもんが出ると、俺も見たって言うやつがすぐゴチャマンと出たという……おまけにどっかに落ちたとか、中で蛸(たこ)が死んでたとか」
 
「いや、そんなのと違うだろ」
 
「同じですよ。進駐軍のジープなんて今の東京のどこにだっているでしょうが。だからどうにでも言えるでしょうが。見てないものを見たと言うことが簡単にできるし、おととい見たもんを事件の時に見たことにできる。士官なんか乗ってないのを乗っていたことにできちゃうし、500メートル遠くで見たのを現場から50メートルのとこだと言える。どうにかして噂話を本当としたいと考えるやつは、そんなことを平気でやって嘘を嘘と思わないわけ」
 
「いや、ほんとかもしれないだろ?」
 
「まあね。でも直接に会って話せばその手合いはすぐわかりますよ。地図を見せてジープがいたのはどこだと訊けば、石を呑み込んだみたいになって『実は自分が見たんじゃなくて友達が見た話を聞いた』と言うから」
 
「え?」
 
とおかみさん。古橋はみかんの房をひとつ食べて、
 
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之