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粧説帝国銀行事件

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「『その友達の名を言え』と言えば全部嘘ですと白状するんだ。おれが話を聞いた相手はみんなそうだったんですよ」
 
言ったが古橋と天城以外に、人に対して地図でどこだと問う者はいない。おかみさんも「うーん」と言って黙り込んだ。これは鞄の話と違って納得しきれぬようすだったが、
 
「それに大体そんな軍人がいたんだったら、なんで犯人ひとりだけで銀行の中に入るんですか。その中尉だかと一緒に入って『ワタシは通訳です』とやれば、名刺なんか要らないし先にやって見せなくても店の者らは毒を飲んだんじゃないの」
 
と重ねて言ってやると「え?」とまた目を瞬(しばた)かせた。
 
古橋もまたみかんを食べて、 
 
「単独だから名刺が要るし、先に薬を飲んで見せなきゃならなかったんですよ。仲間なんかいないから拾陸萬しか持って行けず、もっと欲しいから小切手も盗んだ。二件の未遂は不手際だらけだ。荏原では怪しまれて巡査を呼ばれ、中井じゃ飲むのを拒まれている。ジープで銀行の前に停まって白人の尉官とふたりで入って、そいつに店の人間を猿としか思ってない眼で見させりゃあ、そんなことにならなくて荏原で全部できてんじゃないの」
 
「それは……」
 
「30人がみな死んで、生き残りも出ないから一体何があったのか皆目見当もつかずに終わる。これが人の言うような米軍の完璧な作戦だったら、そうなってんじゃないですかね。それがなんだい人相書きが新聞に載って〈これが毒殺魔人の顔だ!〉って」
 
「それは……」
 
と言ってまた黙る。古橋もおかみさんにしばらく考えさせるため黙ってみかんを食べ続けることにした。
 
そうして何房か食べたところで、
 
「ねえ。ですからホシは素人。弐拾萬くらいの金をどうしても必要としただけのやつです。おれが思うに荏原の時は人を殺す気なかったんじゃないかな」
 
「それは誰でもそう言うんじゃないの」
 
「うん。そうだけど荏原の薬は色も味も醤油みたいだったという話でしょう。それはちょっとの青酸を醤油で薄めたんだと思う。銀行員らがもがいてる間に鞄一杯の札束を持っていければよかったんだ。でも量が少な過ぎて失敗し、巡査を呼ばれもしたもんだからこれはやめようと一度は思った」
 
「うん……」
 
「次の中井まで三ヵ月の間が開くのはそのためです。いよいよ金が必要になってやはりやるしかないとなった。それに今度は殺す気にね。けど途中でやめたのは無理強いすればまた巡査を呼ばれるという考えもあったんだろうがそれ以上にこの時はまだためらいがあったのかも」
 
「ためらい?」
 
「そう。殺す気で行ったけど、支店長と話すうちにやっぱり殺しなんかできないという気になっていったんじゃないかな。中井は事件全体の中でも特に話がいろいろ変でしょ。それはためらいがあったからとすれば……」
 
「説明がつくと思うわけなの?」
 
「わかりませんけどね。ホシは結局一週後に椎名町をやっている。七日(なのか)の間にまたどうしても金が必要となっていったか……」
 
「って、どんな」
 
「いや、だからわかりませんが、とにかく人を殺してでも弐拾萬くらい作らなきゃならなくなった。それでためらいを捨てたから最後までやれて成功したのかもしれんが、あと弐萬圓欲しいなら札束ふたつコートのポケットに入れりゃよさそうなのにそこに頭がまわらなかったんですよ。まあどんなプロだってすべてを完璧にできないでしょうが、これはズブの素人だから小切手を盗むバカもやったんだと思うね。で、どうしてもそれが要るから危険を冒して換金した……」
 
「それがあんたの見立てなのか」
 
「そうです」
 
と言った。前に天城に「まだ何もわからない」と言ったがあれは事件翌日のことだ。一週間あれば考えもまとまってくる。
 
あのとき天城に話したことには自分なりの答を出した。荏原と中井の間が三ヵ月なのになぜ次の椎名町まで一週間なのか。荏原では巡査を呼ばれ中井で飲むのを拒まれたのになぜすぐ次を決行したのか。
 
盗んだのは大金といってもしかし小さな鞄一杯。その程度の額のためになぜ大量殺人をやったか。そしてまたこんな手口がなぜ三度目で成功したのか。
 
という、これらの点にはとりあえずの自説を立てた。今おかみさんに話したのがその一部だが、
 
「でもなんでそんだけの金がそいつは必要だったと思うの」
 
とおかみさんが自分もみかんを食べながら残りの肝心な部分をまた突いてきた。どうやら全部話してやる他ないらしい。
 
古橋もまたみかんを食べながら、「さあねえ。案外ほんとに軍の特務隊員だったりしたのかもしれんが……」
 
「うん? それはプロってことじゃないの?」
 
「ええでも、さすがにまったくのカタギってこともないでしょう。人を殺したことがないやつということはない」
 
「ああなるほど。元軍人なら……」
 
「戦争中に何人か殺(や)ってておかしくないですよね。でもってそんな兵隊くずれがカストリ酒やヒロポンとかの闇商売をやってたりするのが今の世の中じゃないすか。そこで例の名刺です」
 
「例の何?」
 
「だから松井蔚ですよ。軍で防疫をしてたやつなら酒やヒロポンも造れるだろうし、毒薬も手に入るんじゃないですか。ホシはその医学博士のかつての部下かなんかかもしれない。それが闇をやってたんだが、ドジを踏んで弐拾萬くらいの金を誰かに払わなきゃならなくなった。払えなければタマ(命)を取られる状況になったところで手許に松井の名刺と青酸」
 
「それがあんたの見立てなんだね?」
 
「今んとこはね」
 
言いながらまたみかんの房を食べる。不明なところは多いけれど事件の状況と合っているしスジは通っていると自分では思っていた。
 
素人が闇商売に手を出して荒稼ぎをしたのはいいが死体が川に浮かぶことに――なんていうのはこの戦後の二年半にゴマンと例があることだ。ホシがそれなら中井の後の一週間でどうしても殺しをやるしかなくなりもしよう。
 
それで必死になったためにためらいが消えて最後までやれた。最初の荏原で松井の名刺を使ったのもその学者とどこかで繋がっているからだ。戦争中に部下や仲間であったりしたか、名刺を交わした相手のひとりかその連れとかいったところ。
 
でなけりゃそんな名刺が東京で出るわけがない。それにそんなもの使うところもホシが素人である証(あかし)だ。古橋はみかんのへたを取って見ながら天城の言葉を思い出した。
 
『二銭銅貨』という小説だ。読んでいないが天城はその泥棒をリュウをたどって捕まえると言っていた。
 
それだ。人と交換された名刺は九十何枚しかないという。ホシは素人に違いないから、それを当たっていけばきっと……。
 
と思ったが古橋は捜査一課ではまだ下っ端だった。今日もこれから寒空の下を盥(たらい)で洗濯した後すぐに割り当てられた地取りの捜査に戻らねばならない。
 
それにまだ一週間だ。案外今日に訪ねるところに似顔絵と同じ顔のやつがいて、名刺の交換相手のうえにカストリ酒の闇商売人だったりするかもしれない。
 
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之