粧説帝国銀行事件
小平
そんな話を聞いて会議はお開きになった。古橋と天城は地取りの班に組み込まれた。現場付近の聞き込みだ。まわる区域を割り当てられて目白署を出る。
昨日に降った雪の残りが朝日を受けて目にまぶしい。早速に天城が言った。
「さっきの話、どう思います?」
「なんだよ、さっきの話って」
「だから未遂の話ですよ。予行だの実験だの」
「さあな。まだなんにもわからん」
「あれを真に受けるんですか」
「だからまだわかんねえよ」
言って地図を広げて見、ええとこっちの方だよなと見当をつけて歩き出す。道端の雪は夜の間にカチカチに凍り、注意しないと靴底が滑りそうだった。
進駐軍のトラックが道の真ん中を過ぎていく。今の日本で当たり前の光景だ。積み荷はチョコレートかもしれないし、原子爆弾かもしれないし、宇宙人が地球侵略にやってきて女の子を裸にするSFペーパーバック本かもしれない。
そんなことは考えるだけ無駄というものでしかない。古橋は言った。
「ホシはたぶん土地鑑はあるんだ。地取りでなんか出てくるかもしれないだろう」
「そりゃそうかもですけどね」
「でもって二度目があったのもこの辺だっていうじゃねえか。こりゃいよいよカンがあるに違いない」
「それはおれもそう思うけど」
荏原に続く二度目の未遂があったのは新宿区の下落合だが、それもこの目白の近くで椎名町のすぐ南だった。ふたつの現場は半キロと離れていない。
古橋が天城を連れていま向かうのはその一件が起きた場所だ。三菱銀行中井支店。遠くないから椎名町に行く前にそこを覗いていこうと言うと天城は反対しなかった。
「でもどうだろうなあ」反対はしなかったけどそうも続ける。「最初の荏原が品川からやっぱり私鉄で一駅くらいで、次の二件がこの池袋近くでしょ。ホシは山手線に乗ってどこかへフケてるんじゃないですか」
「肩に小型の鞄を掛けてたって言ってたな」
「でしょう? それに入るだけ金を詰めて逃げたんだ。そんなのトーシロなんじゃないの」
「だからまだわからねえつってんだろが」
「三回ともひとりでやるって、プロがそんな」
天城は言うが、それでも道の左右を見ている。デカの仕事は歩くことだ。自分がこのヤマのホシならどう考えるか推し量りながら。
道端の何が事件解決の鍵にならぬとも限らぬし、それは地図には書いてないし誰も教えてくれないのだから。自分の眼で見つけた者だけホシの尻尾を掴み取れる。
中井の未遂は1月19日月曜日、つまり本番となった昨日の一週間前に起きた。やはり午後3時過ぎ、閉店直後のその銀行を裏口から訪ねた男がいたのだ。
コートの袖に《東京都》と書いた腕章を着けていて、出した名刺に《厚生省技官 医学博士 山口二郎 東京都防疫官》と刷られていた。支店長が応対すると荏原と似たような話をしたが、ただしここではクタクタだとかオール・メンバーのような言葉は使わなかったという。代わりにその近くにある会社の名を出し、そこの某(なにがし)という人物が今日に客で来たはずと言った。支店長が「その会社と取引はない」と返すと「いいや来ているはず」と言い張る。
仕方なく調べさせると会社は違うが客の苗字は同じ券が出てきたので「これか」と訊くと男は「そうかもしれない」と答え、
「この銀行の人もお金も建物もすべて消毒しなければなりません」
と続けて言った。そうして「すぐに進駐軍の消毒班が来るからその前に」と重ねて迫る。
しかし言われる方にすれば、なんでそんなと思うような話でしかない。支店長は「この券だけを消毒するのではいけないのか」と訊いてみた。
すると男は態度を変えて「自分もそう思う」と返したという。鞄から瓶を取り出し中の液体を券に振りかけ、
「これでいいと思いますが、MPがやかましく言ったら後でまた来ます。来なければ済んだものと思ってください」
言って出て行きそして戻ってこなかった。人相・風体は他二件と同じ。腕章は荏原の時は無かったものだが、椎名町でもそれと同じらしいものを着けてたと生き残りの四人は話しているという。
「それはねえ」と天城が言った。「あれですよ。10月の時に巡査を呼ばれたから、ちっとは学んだんでしょう。クタクタだのオールメンバーなんて言うから怪しまれたと。でいちんちその銀行の前にいて、出てきた客の後を何人か尾けたんじゃないすか。うちひとりがその会社に入ってくのを見届けて、何かにナニガシとあるのを見てその名だと思ったんだ。それでうまくいくと考えたんだろうけどそうはいかなかったという」
「うん」
「いかなくて当たり前だけど、トーシロだからそれがわかんなかったんですよ。進駐軍を騙(かた)る詐欺ならいくらでもあって、やるのはみんな素人でしょう。手口自体はその典型なんじゃないかな。毒を使うところがちょいと新手なだけで」
「かもなあ」と言った。「腕章は小平(こだいら)のやつも使っていたな」
「そうでしょ」
と天城。小平義男――戦中戦後に何十人も女を強姦して殺した男だ。買い出しの女に近づき「米を買えるところに案内してあげる」と誘うのが手口だったが、相手を信用させるのに使った道具のひとつに進駐軍の腕章があった。
まだ古橋が捜査一課ではいちばん下で、天城がやってくる前の話だが、
「だからその辺はよくある手ですよ。小平てのは大陸に兵隊でいた時からそんなことやってたんですよね。これはそれと同じなんじゃないのかな。ホシは戦時に外地で略奪やってたやつ……」
「うーん」
「腕時計一個のために華僑とか殺したり、昨日のヤマみたいなこともさんざんやってきたやつなんですよ。それが最近やっと日本に帰ってきたかなんかで、毒で銀行タタ(強盗)いたろうと考えた」
「うん」
「けれどうまくいかなくて、こないだはやめて逃げたんだ。ゴリ押しすればまた警察を呼ばれると思ってね」
「まあそんなとこかもしれん」
「そうでしょう。これはね、『すぐに進駐軍の消毒班が来るからその前に』とやるところに無理がある。『なんでその前でなきゃいけないのか。消毒班というやつが来てからではいけないのか』と返されたら答えようがなくなるんですよ。詐欺なんてのは大抵がそうですけどね。こんな手に引っかかるのは滅多にいないよ。失敗して未遂に終わるのが当然なんだ」
「マギちゃんの言う通りかなあ」
などと言ううち十字路に出た。角に英語の標識があり、ここが《MEJIRO》で右へ行けば《SHIINA-MACHI》、左は《SHIMO-OCHIAI》とわかる。古橋は左に折れながら、
「でもちょっと変でもあるぞ。無理と気づいたはずなのになんでまたやったんだ。なぜ昨日は成功した?」
「それは……」
「最初と二度目の間が三ヵ月だけど、次の昨日まで一週間ってのはどういうわけだ。荏原じゃとにかく薬は飲ませられたのに、次は飲んでももらえなかった。なのにどうしてすぐまたやるんだ」
「いや、それもトーシロだから……」