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粧説帝国銀行事件

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銅貨


 
「あの泥棒が羨ましい」
 
雪でぐちゃぐちゃな夜の道を歩きながら天城が言った。古橋は寒さに身を縮めながらその隣を歩いていたが、「なんだいそれは」と返してやると、
 
「江戸川乱歩の小説ですよ。『二銭銅貨』。知りませんか」
 
「知らないな。怪人二十面相か」
 
「じゃなくて、短編。確か処女作じゃなかったかな」
 
「ふうん。それがなんなんだ?」
 
「今日のヤマ(事件)と似ている気がしたもんすから」
 
「はん? つったって、まだなんにもわかんねえだろが」
 
「それはそうなんですけどね」
 
天城は古橋の後輩で、捜査になればあしたから組んで歩く相棒だ。〈捜査になれば〉というのはホシがドジを踏んでいて今夜のうちに捕まるとか、タレコミなどでアッサリ割れてくれなどすれば捜査の必要も無くなるわけで、乱歩の探偵小説と違って現実のデカの仕事ではよくあることだ。そして今日のこのヤマでは、そんなことになりそうかどうかも含めてまだなんにもわからぬに等しい。
 
その状況で本庁捜査一課の刑事が今日にできることは何もなく、すべては態勢を整えて明日の朝から始めるしかないということになった帰り道だった。時計を見れば午後9時半。所轄のデカは馴染みのヤクザを尋ねまわって「お前の仕業じゃねえのか」とやってるところなのだろうが、それは古橋の仕事ではない。
 
天城は言う。「ある会社をひとりの男が訪ねてくるんです。名刺を出して『自分は新聞記者だけど社長さんと話がしたい』と」
 
「それが乱歩の小説なのか?」
 
「そう。でもって社長室に通すんですが、そのうち『ちょっと失礼』と言って出てってそれきりになる。どうしたのかと社長が思っているところに社員がやってきて『大変です。隣の部屋にあった大金が無くなりました!』」
 
「ええと……」
 
「つまり名刺一枚で信用されたその男は泥棒だった。うまいことやったもんだなあ、その泥棒が羨ましいと」
 
「ははあ」と言ってから、「待てよ。名刺はいいとして、隣の部屋に大金ってなんだ。そいつはそこに金があるのを知っててそのやり方で簡単に盗めるのがわかってたのか。でもそんなの変じゃねえか? それは一体どういう部屋で、なんで簡単に盗れる形で金が置いてあったんだよ」
 
「なんだったかな。その辺のとこは忘れちゃった」
 
言って天城はニヤニヤ笑う。ほんとは憶えているけれど教える気のなさそうな顔だ。古橋は睨みつけてやったが、
 
「小説のお話ですよ」
 
「わかるけどさ」
 
「とにかく名刺を出してっていう、そこは似てると思いませんか」
 
「うん」
 
と言った。今日の被害者は16人で、それだけの数が一度に毒を飲まされたらしい。見つかって救助の手が入った時には既に十人が絶命しており、六人が病院に運ばれたがうちふたりがまもなく死亡。四人は助かりそうというがまだ事情を聞けるような状態にない。
 
それでもひとりが発見時にどうにか口を利くことができ、言葉をいくらか残していた。それによって何があったか大雑把な推測はできてる。
 
銀行を閉店させた午後3時過ぎ、裏口から男がひとり入ってきて名刺を出し「東京都の衛生員だが支店長は」と言ったらしい。
 
そこはなるほど天城が言う乱歩の小説と似るようだが、支店長が風邪で休んでいたために代理の者が応対すると「近くで伝染病が出たのでこの銀行の全員が予防の薬を飲まねばならない」という話だった。そこで皆が集められ、男が湯呑に分けた薬を指示に従って一斉に飲んだ。
 
けれどもそれは青酸系の毒であり、皆がもがき苦しむ間にその男は姿を消した。おそらく店の中にあった金を持てるだけ持って――。
 
という、その程度しかまだわからない。口が利けたそのひとりが4時頃に店を這い出し通りがかりの人に救けを求めたことで巡査と医師が呼ばれ事態の発見となる。
 
だが初めに集団中毒と思われてしまい、近所の人が救助に呼ばれてドカドカと中に入り込んだ。そのために場は泥靴の足で荒らされてしまう。
 
のだがもっと悪いのはブン屋だ。どこでどう嗅ぎ付けたのか警察よりも早く現場に押し寄せてきて、手当たり次第に中をバシャバシャと撮りまくった。
 
救助の手も妨害し、記者同士で互いを押し退け合いながらだ。表玄関と裏口の他にもうひとつあった通用口まで見つけてブチ破る始末で、おかげで建物の内外は事件と関係ないところまで雪混じりの泥だらけ。
 
ゲンジョウに入って古橋が見たのは転がる死体の山だった。まず簡単な所見を取るのと解剖のために運び出すため別室に並べる手伝いをしてると、そこにもブン屋が入ってきてボンとフラッシュを焚きやがった。追うとそいつが逃げてったのがその破られた通用口で、古橋が出たところに閃光の一斉放射を浴びる始末。
 
あれもどうせ違う話に変えて警察批判の記事にされ、識者面した人間が飛びつくネタになるのだろう。ラジオはまだ詳細がわからないのをいいことに、日本を恐怖のズンドコに落とそうとする魔人が現れたのだからきっと次々に同じことがだなんて放送を始めてるらしい。
 
が、それよりも問題なのはホシの狙いが現金強奪にあったとしてもいくら盗られたかまだ知りようがないことだ。店内には紙幣の束が山と積まれ残されていて、ホシはそこから持てるだけを持っていったと思しいのだが、元はいくらあったのかがわからなければどれだけ無くなっているか算出のしようがない。けれども帳簿や入出金の記録を警察の者がいくら見たって勘定なんかできるわけない。
 
帝国銀行の人間に見てもらうしかないのだが、今日いますぐと言っても無理な話だった。明日の朝から来てやってもらう手配をつけて今日は終わり。
 
指紋の採取といったこともあれだけ荒らされてしまった場所の暗い電球の灯りだけでできるようなことではない。だからすべては明日からとなり、古橋は天城とともに塒(ねぐら)に帰ることになった。この時刻から今日のうちに自分達にできることがあると思えぬというのはふたりとも納得している。
 
今頃どこかで巡査に「ちょっと」と呼び止められた男が金をブチ撒けながら逃げ出し、捕まえたら毒の瓶を持っていましたなんてなってたりするかもしれない。そいつの手柄で事件はもう解決となってしまっているのかも。
 
刑事という商売ではそれがいつものことでもある。アテもないのに闇雲に行動してもしょうがない。だからやっぱりすべては明日の朝からなのだが、
 
「ナナさんの言う通りですよ」天城が言った。「乱歩の小説ね。あれが本当の話としたら、ホシはその部屋に大金があって簡単に盗めるのを知る人間てことになります」
 
「ん?」と言った。「かもだけど、それがなんだ?」
 
「だから捜査は内部を洗うことになるでしょう。あるいはよく出入りして事情をよく知る人間ですね。その辺から割れる見込みが高いとなる。初動捜査は大切だし、おれ達は今日は帰れず駆けまわされることになってんじゃないすか」
 
「まあ」
 
と言ったがその小説を読んでないからコメントしようがなくもあった。
 
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之