粧説帝国銀行事件
ジョーカー
『次のニュースです。本日午後3時頃、東京都豊島区で毒を用いた強盗殺人と見られる事件が発生した模様です。現場となったのは銀行ですが、十数名が毒を飲まされうち数人が既に死亡。何人かが病人に運ばれ手当てを受けているとのことですが……』
ラジオが言うのが聞こえたとき、瞭子は炬燵でトランプのカードを手にし扇に広げていた。やっているのはババ抜きのゲームだ。
気にしないで続けていたが、卓の向かいに座る男が、
「ゴートーサツジン?」
と言った。エリー。米軍のGIだ。日本語はほんの少ししかわからない。
が、ほんの少しならわかる。ラジオが話すことがいくらかわかったらしい。英語で瞭子に、
「バンク・ロバリー(銀行強盗)と言ってるの?」
と言った。しかし訊かれても、ニュースなど瞭子は聞いていなかった。それに自分はやっといくらか英語が話せる程度に過ぎない。
「さあ」
と言ったが、
「何十人も殺したみたいに聞こえたぞ」
「そうなの?」
と言った。ラジオに耳を傾けてみたが、何がなんだかわからぬうちに別のニュースに移ってしまう。
「またこないだのベビーキラー(嬰児殺し)みたいなのかな」
「どうかしら」
と言った。エリーが言うのはほんの10日ほど前に世を騒がせた〈寿産院(じゅさんいん)事件〉のことだろう。産院を経営する夫婦が赤ん坊を預かりながらカネだけ取ってものを食わせず100人以上餓死させていたというものだが、
「ちょっと違うんじゃないの」
「ふうん」
「そんなこと、アメリカでは起こらないよね」
「そうでもないさ。禁酒法の頃なんて、ずいぶんいろいろひどいことがあったそうだよ。強盗だって……」
難しい話になりそうだった。自分の英語力では理解できないし、英語ができても理解できないことかもしれない。思いながらにエリーの手札を一枚取ると、
「ヤーイ」と言われた。「ババヒイタ」
日本語だ。こういうのばかり覚えて使う。
「ふたりでババ抜きやって何がおもしろいのよ!」
こっちも日本語で言ってやったが、
「ボクワオモシロイ」
おもしろいらしい。エリーは月曜が非番とかで、ここのところ毎週ここでこんな時間を過ごしている。このGIにはそれがおもしろいらしいが、瞭子にすれば複雑だった。
この家は、〈家〉と呼べない掘っ立て小屋だ。家が出来上がるまでの仮住まいとして建てたもので、隙間風が吹き込むし天井から雨漏りがする。
それがなんだと言う人間はいるだろう。東京じゅう、どこもかしこもバラック小屋ばかりの時勢だ。しかしこの中野のあたりは戦争中も空襲を逃れ、そのなかでもここはまわりにお屋敷が並ぶ高級住宅地。
そう呼ばれるところにあって、自分達だけバラック小屋に住んでいる。本来ならば去年のうちに出来てるはずの家の工事が柱を組んだところで止まり、何ヵ月もそのままになっているからだ。この小屋はその庭になる場所に建っており、窓にはその柱だけの家が見える。
この1月末の寒い時節にだ。今朝は雪が降っていた。トタンの屋根にうっすら積もっているようだけど、解けてポタポタ天井から水が漏ってくるかもしれない。
それも、今すぐにも。それを思うと気が重くなるが、何もかもいいかげんな父親のせいだ。
無計画でやることなすことデタラメ。そして無責任。あんな父親……などと瞭子が考えたところに、
「帰ったぞおっ!」
その父親が帰ってきた。戸がバンと開き、狭いところに冷たい風がビュウビュウ吹き込む。
「早く閉めてよ!」
「おう、すまんすまん」
言いながら父はまず、手にしていた大きなバッグを床に置いた。それから戸を閉めたけど、ただの薄板である戸はガタガタと木枯らしに震える。
父は靴を脱ぎ上がってきて、
「おっと、トミー君じゃないか。また来とったのか」
「オジャマシテマス」
「何しとるんだ。ババ抜きか? ふたりでやって何がおもしろいんだ?」
「おとーさんの知ることじゃないでしょ」
「そう言わずに、おれも混ぜてくれ。外は寒くてしょうがない」
「なんなのよそれ」
「炬燵はひとつしかないんだからしょうがないだろう」
「それもおとーさんのせいでしょ」
「だからそう言わずにだな」
と、言ってるところに流しにいた母のマサが、
「今日はいきなり何しに来たのよ」
言いながらにやって来る。一家の主(あるじ)に対して妻が言うセリフじゃないが、この一家の主の男がいつもどこで何しているかはまったくわかったものではないし、ろくに帰ってくることもないのだ。
瞭子は時計を見てみた。午後8時を過ぎたところ。特に妙な時刻と言うほどでもないが、
「何。静香(しずか)んところでタドンをもらってきたんでな」
「ふうん」
と母。静香というのは結婚して家を出ている瞭子の姉だ。父は床に置いたバッグをまた持ち上げたが、ずいぶん重そうな感じだった。大きなボストンバッグがパンパンになっている。
「それ、全部タドンなの? またずいぶんな量ね」
「ソレワナンデスカ?」
とエリー。父は、
「タドンだ。今その炬燵に入れるところを見せてやろう」
「やめてよお父さん」
「何を言っている。これだけあるんだ。ケチケチしないで四つくらい……」
母が、「ふたつで充分でしょう」
「四つだ」
「ふたつで充分よ」
「わからない女だな。この平沢大璋が『四つ』と言ったら四つなんだ」
「何がヒラサワタイショウよ」
「まあ見とけって。すぐにもあの家、また工事を始めさせてやるからな。拾萬圓の絵を描く仕事が入ったんだ」
「またいつものホラが始まる」
「今度は本当だ」
と言った。バッグの口を開け、中から黒い玉ころを取り出す。
なるほどタドンで、バッグの中は同じものがギッシリ詰まっているようだった。燃料用に炭を丸めたものであり、手で触れば黒く汚れる。エリーにも見てそれがわかったらしく、手は出さずに父が炬燵に入れるとこだけ興味深そうに眺めていた。