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粧説帝国銀行事件

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第1部



「古橋さーん、警察の方(かた)よーっ!」

と呼ばわる長屋のおかみさんの声がしたとき、古橋は自分の部屋で炬燵に当たって雑誌を読んでるところだった。

はっきり言って、エログロナンセンス、などと呼ばれる類(たぐい)のものだ。江戸川乱歩の『怪人二十面相』を真似たような小説が載ってて、戦争中に軍が極秘に開発した飲むと透明人間になる薬を手に入れた男がそれで銀行を襲おうとする。透明だから銀行員などには自分の姿が見えないので盗みをやるにはいいわけだが、問題はカネだ。お金は見える。掴んで持っていこうとすると札束が宙をフワフワ過ぎていくのが人の目に見えてしまうのだ。ハダカでやらなきゃいけないので一度に持っていける額も手で掴める百圓札100枚の束がいくつか。数萬圓がいいところだ。

で、どうするか、というところで《次回に続く》で終わっていた。『この野郎』と思ってから、そいつはこんな寒い日にはどうするんだろうなと考えた。窓の外を眺めやる。朝に降った雪が白く少し残っているのが見える。1月末のただでさえ一年でいちばん寒い時節だが、そのうえ今日はこの通りだ。

炬燵からは出たくない。ハダカの透明泥棒は、今日にやるなら身が凍える覚悟をせなばならないだろう。

などといったバカな考えを振り払い、「はーい」と応えて表(おもて)に出る。寒い。寒いがしかたがない。巡査がひとり立っていて、古橋を見て敬礼した。

「いいよ敬礼なんかしなくて。呼び出し?」

「はい。本庁から電話です」

「ご苦労さん」

と言った。もちろん自室にも長屋にも、電話なんかあるわけがない。電話するには近くの交番まで行かねばならない。道はぬかるんでいるけれど、古橋は走ることにした。

透明人間の泥棒ならばこの雪解けのぬかるみ道をハダシで行かねばならんのだろうな、と思いながら。カレンダーを見た。1月26日、月曜。時刻はちょうど日が暮れたところだ。

マフラーを首に巻いて上にコート。それで走って交番へ。電話を借りて本庁の一課にかける。

「古橋です。なんですか」

『目白署管内で殺しだ。十何人かぶっ倒れてる』

「は? じゅーなん?」聞き間違えたのかと思った。そんな数の殺しは今まで見たことがない。「『じゅーなん』てのは、10と何人か死んでるってことですか」

『そうだよ。早く行け。場所は……』

言われた先をメモしてから、

「何があったんすか。ヤクザの出入り?」

『そんなんじゃねえ。すぐ行け。タクシー捕まえてな』

「はあ。誰か、機関銃でも撃ったんですか」

『だからそんなんじゃねえ!』

怒鳴られて、そこで切られた。横でさっきとは別の巡査が古橋を見ていたので顔を向けると、

「なんか、大変な騒ぎになってるようですよ。銀行で大量毒殺とか……」

「なんだそりゃ?」

と言った。わけがわからんが、行くしかないものは行くしかなかろう。

けれどもまず、行き先の見当をつけることにした。巡査に地図を出してもらって、

「豊島区の椎名町。つってもそりゃあ、一体どこだよ」

「池袋からひと駅ですね」

「ふうん。タクシーで行くにしても……」

「ええと、こっからなら、まずは都電で……」

行き方をメモする。「ありがと」と言って交番を出た。

もう完全に暗くなってる。街は英語の看板と標識だらけだ。それが今の東京だ。終戦から2年半になる今もチラホラと焼け跡が残り、人が住むのはバラックばかり。

そんな街を眺めながら、都電からタクシーを乗り継いでその椎名町のゲンジョウという番地のあたりへ。着いてみると路地が人で一杯だった。

この寒いのに集まってきた野次馬だ。何が見えるというもんでもなさそうなのに首を伸ばして路地の奥を見やっている。

その数は軽く100人以上。なるほどえらい事件が持ち上がったらしい。古橋は、「警察です。通してください」と言いながらその人垣を掻き分けていった。

それにしても道の左右は木の板塀が連なる路地だ。ゲンジョウは銀行だと聞いたがこんなところに銀行? やはり全部が何かの間違いじゃないのかと思った。銀行の支店を建てるような場所に見えない。野次馬の頭越しに覗く行く手の突き当りには、普通の民家のように見える家が一軒あるばかり。

怪訝に思いながら進んでいくと、その民家と思(おぼ)しき家の前に制服の警官が何人もいて、野次馬やブン屋を止めていた。普通の宅の門柱にしか見えないものに《帝国銀行椎名町支店》と書いた看板が張ってある。

看板にはそう書いてあるが門構えは普通の日本家屋だった。戸は格子戸だ。『看板に偽りあり』というやつじゃないのかしらんとやっぱり思った。

そこから私服の刑事らしいのが何人か出てくる。中に見知った顔を見つけて古橋は近づいた。

「すみません。いま来たとこなんですが」

「うん? おれもそうだけどな」

「なんすか、ここ。『銀行』って聞いたんですが」

「ああ、銀行だよ。そうは見えないだろうけど」

「ほんとに銀行?」

「中に入ってみればわかる」

入ってみることにした。するとなるほど、内部は銀行の支店らしき造りだった。今は警察の人間が店舗スペースを突き抜けて、奥の従業員区画に忙しく出入りしている。

古橋もそこに入ってみることにした。銀行の中の中なんて、映画などでも見たことないがどんなふうになっているのか。

まず事件よりそっちの方が気になったが、するとやっぱりそこもまた、普通の日本家屋のような造りだった。それも古い。まるで東京が江戸と呼ばれたサムライの時代からここにあるんじゃないかというほど何もかもが煤(すす)けている。

やっぱりこんな銀行ってあるのか、と首をひねる設(しつら)えだった。やはりここが他とは変わっているのであって、他の一般的な銀行はまるで違うのだろうな、としか思えない。奥への入口には沓脱(くつぬぎ)があって下駄箱が据えられ、靴を納めてスリッパに履き替えるようになっている。今はそんなもの無視されて、土足で踏み荒らされてるようだが。

沓脱の先は木の板を張った廊下になっていて、その左右に戸が襖(ふすま)の部屋が並ぶ。まるっきり普通の日本人の住まいだ。襖が開いた部屋もあり、床には畳が張ってあるのも見える。古橋はそこまで行って中を覗き込んでみた。

人間の死体がいくつも並べ寝かされていた。



作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之