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粧説帝国銀行事件

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牛蒡



「帰ったら家が人に囲まれてたのよ」瞭子は言った。「『父さんが犯人だ』って言う人と、『犯人じゃない』って言う人がどっちもすごい数で。『引きずり出して木に吊るす』なんて言ってる人までいるのよ。そんな家に帰れると思う?」

「えーと」と言った。言ったがしかし、「なんだそりゃあ?」

「『なんだ』じゃないでしょ。全部あなたのせいじゃないの。あなたが約束を破るから。そもそもあんな嘘をつくからこんなことになるんじゃないの。あんな汚いやり方をして……」

「それは」

と言った。あの手を『汚い』と言われたら、返す言葉がない。もちろん。父親を犯人として捕まえれば、この子がどういうことになるか考えないわけではなかった。でありながら守る気のない約束をした。『卑怯だ』と言われたとしても釈明できない。おれは卑怯な人間だ、と古橋は思ったが、それにしてもなんでそんな……。

「なんなのよ一体」瞭子は続ける。「『ウチの息子は南方で捕虜に牛蒡(ゴボウ)を食わせたばかりにC級戦犯として吊るされた。だから事件はGHQの実験だ』って言うのがいれば、同じ理由で父さんが犯人だって言うのがいるのよ。どっちの言うことが正しいわけ?」

「うーん」

と言った。それはもちろん両方ともが問題を取り違えている。と言いたいけれど言ったところでこの子の助けにならないだろう。GHQ実験説は帝銀事件の発生直後から噂され、唱えたい人間達に唱えられた。今そこに見える濠の向こうで、日本の若い娘がGIにハンバーガーとか食わせてもらっているのが気に食わないからあの事件はGHQの実験に違いないと言う。それで説明がつくじゃないかと。

それを言うやつの本音はそれだ。その一方でGIよりも女の方が気に食わないから『金色夜叉』の話のように「ハンバーガーに目がくらんだか」と言って蹴飛ばす男がいる。どっちにしてもGHQの実験なのだ。それで説明がつくじゃないか。

説明が説明になっていないと思います。捜査会議で古橋が言ったら、係長の甲斐(かい)に怒鳴られ、タタキ(強盗)の部屋に送られた。まあ自分から名刺の捜査をやりたいと言った結果でもあったけれども、そうして見つけた平沢の容疑事実は憶測だけのGHQ実験説を軽く月まで吹き飛ばすだけの力があった。

だから警察組織の中から、名刺班から手柄を取り上げ自分のものにしようとする者達がわらわらと群がってきた。誰でも聞けば「なんだと。それならそいつが犯人に決まってる」とまずは言うだろう黒々とした証拠の山。

だから一般のマトモな人は聞いてすぐ納得したが、

「『出て来なければ家に火をつけてやる』なんて言ってる人がいるのよ。あたしにその家に帰れって言うの?」

瞭子に言われて、「いや」と応えるしかなかった。なるほど、そんな人間が出て当然と言うほどの話だ。おそらく、そう叫ぶのは戦争で家を焼かれ家族も失くした者かもしれない。

この3年間、そんな人間をたくさん見てきた。ほんとの戦犯が罪を逃れる一方で、小さな咎(とが)で吊るされた者の話もずいぶん聞いたし、巣鴨などには明日にそうなるかもしれない身の者がまだ多く処遇を待ってる話も聞いてる。

それがこの〈戦後〉の社会だ。しかしその一方で、GHQ実験説にあくまでしがみつく者もいる。

もちろん、それも当然のことだ。GHQの実験だということにどうしてもしたいから、GHQの実験だということにどうしてもしようとする。平沢がクロと示すものをどれだけ積んで見せても、「そんなものは証拠にならない」と突っぱねて主張を変えない。

そして代わりに、「GHQの実験以外にあの事件が考えられるか。考えられん。GHQの実験以外にまったく考えられないことが、GHQの実験である完全にして絶対の証拠だ」と机を叩いて怒鳴りたてる。

それが係長の甲斐だった。同じ考えの人間が日本中にゴマンといるし、検察庁のビルの中にもいるのだろう。

だから今日、平沢のやつは自由になった。首席検事が甲斐と同じ人間で、平沢をシロと言い張り考えを変えなかったからだ。

――が、その結果として、この子が家に帰れないって? それはおれのせいじゃないよ、と古橋は言いたかったが、

「あなたのせいよ。あなたのせいで。あなたのせいで……」

瞭子は自分を睨みつけて言い続ける。約束を破ってもいるがゆえに言い返せない。

――と、そこに、

「ヘイ」

とスーツの男が言った。それからペラペラペラペラと言葉を続けるがもちろん英語。ジープのドライバーが横でなんだか頷いている。

「日本語で話せ」

と古橋は言ってやったが、

「『どうするのか』って訊いてるのよ」瞭子が言った。「『自分はあなたを家に送るように命令されている』って」

「英語がわかるのか」

と言った。それから、そうだPXで働いてると言っていたな。軍の売店だ。帝銀事件があったときも、あの仮住まいの小屋でGIと一緒にいたとか。

そんな話を思い出した。瞭子は男に何か言い、対して男はペラペラと返す。

それから古橋を見て言った。

「どうするの?」



作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之