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粧説帝国銀行事件

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話はそれで終わりだった。古橋はセバスチャンから今日のところは家に送ると言われて皇居が見える部屋を出た。
 
するとさっきのスーツの男。エレベーターで一階へ。そいつに横に立たれると自分はその顎の高さにも背が届かない。
 
こんなのと戦争したらそりゃ敗けるよな、と思い知らされる気分だったがしかしどうしたらいいのだろう。あしたっからこいつと組むのか? 日本語が話せないんだろうに。
 
それでどうやって捜査するんだ。平沢の捜査――そんなもん、やれることは全部やってる。自分が取調べをすれば自白を取れるだけのネタは揃えたつもりでいた。
 
その後はおれも知らない〈犯人だけが知り得ること〉を引き出し裏を取ればいい。平沢のやつはいくつもそれを知ってるに違いないのだ。それで証拠は完全となって、裁判でたとえゴネても無駄ということにできたはず。
 
なのだけれども事はそうならなかった。護送の後で古橋らは捜査本部から締め出しを喰らい、「自宅に戻ってしばらく休め」と言われたのだ。「長い捜査と北海道行きで疲れたろうから」なんて理由で。
 
ために訊問できなくなったが、そんなの口実に決まってる。手柄を奪って自分のものとしようとする人間が警察の中に多くいて、裏で手を回したのに違いない。
 
古橋はそう睨んでいた。まあ確かにあの護送は凄くもあった。平沢を撮りに群がる写真屋は飢えた野犬のようなもので、カメラを叩き壊してやっても後から後から押し寄せてきた。網棚の上を這ってきたのまでいる始末で、おかげで古橋らはみんな二日のあいだ眠れず飲まず食わずだった。
 
けれどもそれが新聞には刑事が無実の平沢を食わさず水も飲まさずだったと書かれる。上野に着いたら平沢をブチ殺そうと詰め掛けた暴徒でホームが一杯で、それを庇う自分達がまず殺されるところだった。どうにか抜け出した時にはみんな、服はビリビリに破け体じゅう傷だらけ。
 
ではあったがそれがなんだ。容疑を固めてオフダ(逮捕状)を取りショピイ(連行)てきた人間がシラベをさせてもらえないなんて話があってたまるか――そう抗しても上の言うことは変わらない。実は刑事調べを飛ばして検事が平沢を絞ってたという。
 
それも幹部連中の手柄の横取り合いからだろう。あのイモリのようなやつらの――古橋はそう睨んでいた。
 
北海道まで平沢を捕りに行く前日、準備をしていた自分らの許に捜査一課の庶務係主任が来て言ったのだ。「君らの代わりにボクが逮捕に行ってきてあげよう」と。
 
霧山さんが「はあ?」と返すのを古橋が横で聞いてると、そいつは続けて「事案が事案だからヘタに新聞を騒がせてはまずい。ボクならば新聞記者に顔を知られていないので穏便に事が運ぶ」なんてこと言いやがった。
 
霧山警部補より上の階級を盾にして、平沢を捕る手柄を奪おうとしたのだ。大学卒というだけの理由で幹部候補として入ったが仕事ができずにデカ部屋の隅に座ってた名ばかり警部が。むろん鄭重にお引き取りを願ったのだが、あのとき転がって逃げていったあの大将が上の者に「どうかワタシに取調べをさせてください」と願い出たのだろう。
 
そして桜田門のビルには、あんなイモリのような男がウヨウヨといる。壁に張り付き出世のチャンスを狙っているが、その望みはほとんどない下級官僚。それがそれぞれの上役に「どうかワタシに」「いいえワタシに」と訴えて、その連中も「ウチの伊守に」「ウチの井森に」と言い合って譲り合わないことになった。
 
しかしイモリ官僚の中に捜査の現場を知るのはいないし、取調べをやらせてできたもんもいない。無理に決まっているのだがそれを認める者がないため、手順を飛ばして検事がやることになってしまった……。
 
ということでないかと思える。だがそれでは平沢は落とせん。霧山警部補以下のおれ達名刺班の刑事でなければダメだ。
 
古橋はそう考えていた。足で歩いてネタを集め頭に叩き込んでる刑事が矛盾を突いてゆかなければ、ノラリクラリのホシは落とせん。平沢はそういうやつだ。煮ても焼いても食えないドブ川の貝だとか、ゴキブリやゲジゲジのように食用にならない生き物。
 
〈自白を取る〉とはただホシに「やった」と言わせることではない。完全に観念させて犯人だけが知り得ることを吐かせてその裏を取る。それができて初めてのものだ。これはデカの仕事であって、検察ができることではない。鼠を捕る猫でないのができるようなことではない。
 
刑事は猫だ。猫だけが落としの技も身に付けられる。碁や将棋と同じことで、敵がどのように考えてこちらを出し抜こうとしているか嗅ぎ取ることのできない者にはホシを捕まえられないし嘘を見抜くのもできないからだ。この捜査をやってきたおれ達四人の猫以外に平沢のやつは決して落とせん。
 
そう古橋は考えていた。考えていたが実のところ、もうひとつ何か欲しい気もしていた。
 
崖を登るには手掛かりや足掛かりが要るだろう。平沢を落とすために仕掛ける何か力のあるネタ。
 
それに欠けているように思う――いや、今だってたとえ自白が取れなくても裁判で有罪にできる証拠は揃えた気もあるのだが。
 
〈出所不明の拾捌萬圓〉のひとつだけでも確定のはずだ。そうも思ったがGHQ実験説に狂うイカレた連中を黙らすには充分じゃないらしい。
 
何しろ今日に平沢をパイにしやがった主席検事がそのひとりなのだから。どうする。今から別のネタと言われてももうさんざん歩いて探した。マッカーサーの委任状とやらをもらっても、何度も訪ねた同じところをまた巡るしか思いつけない。
 
それを厭(いと)うていては刑事は務まらないが、しかしひとりで何ができるか。自分の足で歩くよりここはタレコミを待つ手じゃないか。
 
そう思った。平沢が娑婆に出たことで、何か知ってる人間が名乗り出てくるかもしれない。マッカーサーの委任があれば、それを頼りに新たな道を切り開けるのじゃないか。
 
だから、望みがあるとすればそれか……考えながら男について道を渡り、濠端で待つジープの許へ。黒塗りの高級車が並ぶ中で、ほこりまみれの軍用車はそれ一台きりだ。
 
運転席に座るMPのドライバーが濠の向こうの皇居前広場を眺めやっている。自分もこんなところにいるよりあっちで日本のアプレ(戦後)娘と楽しくやりたいと言いたげな顔だ。
 
スーツの男はそれに向かって何か言い、古橋に後席に着くよう促した。自分は助手席の脇に立ち、古橋の後で乗る構え。
 
古橋はジープに乗ろうとした。その時だった。
 
「ねえ、そこで何していたの」
 
声がした。見ればすぐそばに女が立ってる。いつの間に寄ってきていたのか、古橋を睨むようにしていた。
 
「は? ええと」
 
おれに訊いてるのか? しかしこんなところで人に話しかけられる憶えはないぞ。それともこれがこの場所では普通に起こることなんだろうか。
 
だったらそこのふたりが知ってておれを助けてくれるんじゃないか――そう考えて男らを見た。しかしどちらも戸惑い顔でこちらを見返してくるばかり。
 
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之