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粧説帝国銀行事件

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難詰



話はそれで終わりだった。今日のところは家まで送るとセバスチャンに言われ、古橋は皇居の見える部屋を出た。するとさっきのスーツの男。

エレベーターに乗り込んで、ふたり一緒に一階へ。しかし、どうすりゃいいんだと思った。あしたっからこいつと組むのか? 日本語が話せないんだろうに。

それでどうやって捜査するんだ。平沢の捜査。これまでに、やれることはすべてし尽くしたつもりでいる。もう充分にネタは揃えた。おれにシラベをさせてくれれば、落とせるに違いないと思えるほどに。

しかしパイになったのだから、新たな証拠を見つけろだと? そりゃそういう理屈になるというのはわかるよ。だがそんなもん探せば見つかるてもんじゃねえだろ。例の通帳詐欺にしても、帝銀の件に直接関係するわけじゃない……。

どうする、と思った。今日いまからできることは、なんにもないと言うしかない。すべては明日からとして、今日のところは寝るしかないと。だが、あしたにマッカーサーのサイン入り書類をもらったとして、一体何をすればいいのか。

何もできない。できることなどなんにもない。もう既に、おれにできることは全部やったのだから――そう言うしかない気がした。後はせいぜい、平沢の話がこれだけ世に出たのだから、何か知ってる人間がタレ込みをしてくれるのを待つくらいじゃないのか。

通帳詐欺の件だってそれで判明したのだから――そう思った。今におれが脚で調べて出てくるものがあると思えん。

パイにしたのだからなおさらのこと。誰かが密告してくれる見込みが増えた気はしなくもない。おれが白人を連れ、マッカーサーの委任状を振りかざして歩いたならば、伝わるところに話が伝わりそんなことになる見込みが。あのセバスチャンという男が本当に期待してるのはそれだったりするんじゃないのか。おれはそのための囮であり、あいつが求めているものを手に入れるためのいけにえ。

だったりするんじゃないのかと思った。しょせん日本人なんか、使い捨ての駒としか考えてないんじゃないのかと。

ビルを出て、通りを渡り濠端で待つジープの許へ。黒塗りの高級車がズラリと並んで停まる中でほこりまみれの軍用車はそれ一台きりだ。運転席では《MP》のヘルメットをかぶるドライバーが煙草を吸いながら、濠の向こうの皇居前広場を眺めやっていた。

自分もこんな仕事より、あそこで日本のアプレ娘と遊んでいたいと思ってるんだろうか。だろうな、と考えながら古橋は後席に乗り込もうとした。そのときだった。

「ねえ」という声がした。「今、そこで何していたの」

見ると若い娘だった。すぐそこに立っていた。なんだこいつ、と思ったら、

「これからどこに行く気なの」

と続けて訊いてくる。そんなことを知らない女に問われて応える義理はない。

とも思ったが、しかし知ってる女だっけ。こんなところで会う娘に知り合いはいないはずだと思う。けれど見覚えがある気もした。それもつい最近に会った誰かの気もするけれど、はてな。えーと誰だっけ。

とか思いつつ顔を見る。誰かに似てるだけでなく、〈別の誰か〉に似てる気もする。やはりつい最近に、そんなことを考えたような。

「何よ」と彼女はまた言った。「約束はどうしたのよ」

「約束?」

と言った。スーツの男とジープのドライバーが、何事かという眼で見てるのがわかる。

「とぼけようって言うの」

とまた彼女。声は怒りに震えているが、おれ、こんな子に何かしたっけ。約束と言っても……。

なんのことか。と考えた途端、思い出した。しまった。まさかこんなところで!

「何よ」と彼女。泣き声になりつつあった。目から涙が溢れ出るのを古橋は見た。「あなたのせいよ。何もかもあなたのせいで、あたしは……」

「い、いや」と言った。「ちょっと待ってくれ」

「ふざけないで。約束したでしょ。あれはなんだったのよ!」

彼女は叫んだ。父親譲りなのかもしれない美貌。それを怒りと悲しみに歪め、自分を咎める。平沢瞭子。古橋が守る気のない約束をした娘だった。

しかし、それがどうしてここに? うろたえながら古橋は、己が前にしているものが信じられぬ思いだった。



作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之