粧説帝国銀行事件
行李
平沢は行李(こうり)を背負い、鞄を手にして庭に出た。
中身は絵描き旅行に出るときに持つのと同じだ。着替えがいくつかに、絵を描く道具がひと揃い。かなりの大荷物であり、ズッシリと肩と背中に重さがくる。人が見れば戦争中、どこかの戦場に行こうとする兵隊のように見えるだろう。
逃げるための荷物である。逃げるしかない、だから逃げる、という考えのもとに逃げる。そのための大荷物だが、しかしただ逃げるだけのつもりもまた平沢になかった。逃げながらに絵を描くのだ。
平沢貞通は画家である。テンペラ画界にその人ありと言われるほどの大画家である。そう言うと知らないやつは『てんぷら画とはなんですか。絵を油で揚げるのでしょうか』と怪訝(けげん)な顔でよく訊くが、てんぷらでなくテンペラだ。その大家(たいか)であり、描いた絵は、ものによっては何萬圓もの値がつけられる。
だからこれから、逃げながらに絵を描くのだ。戦前に〈放浪の画家〉と呼ばれたのがいただろう。山下清(やましたきよし)。あれだ。〈裸の大将〉だ。あいつが放浪の画家ならば、おれはこれから〈逃亡の画家〉になってやろうと平沢はいま考えていた。これから描く絵は、後できっとものすごい高値がつくことになるぞ。フフフ、ザマア見ろ。それでメデタク逆転勝利だ。
という考えで逃げるのだから、これは逃げるわけではない。旅先にはおれの無実を信じる人がたくさんいて、おれを匿(かくま)ってくれるだろう。おれはお礼に絵を描いてあげる。相手はきっと『まあ、先生』と感激して言うだろうな。『こんな素晴らしい絵をワタシに。一生大切にしますワ。無実が晴れる日を信じて祈っておりますワ』とか言っちゃって、ウヒョヒョヒョヒョ。
そうだきっとそうなるのは間違いないと平沢は思った。しかしあの霧山と、〈マムシのナナ〉とかいうあの刑事が、おれを追いかけてくるかもしれない。おれはそいつを間一髪のところで躱(かわ)し、『へへーんだ。あさっての方でも捜してろ!』と笑って次の街へ行く。そこではまた美人がおれを見つけて言うのだ、『アッ、アナタは平沢先生!』
そうして美人から美人へと渡り歩いていくのだ、ひゃっほう。これはスリルとサスペンス、そして涙の連続絵巻となるだろう。紙芝居やラジオドラマや続きものの映画になって、日本中みんながおれの逃走劇に喝采を送るに違いない。そうしておれの味方が増えて、なんか代わりの無関係な運の悪いやつが捕まり、『こいつが真犯人だ』ということになってくれるに違いない。
そいつが死刑で、おれは晴れて自由の身。なんと完璧な計画だろうと考え、平沢はウンと頷(うなず)いた。それでいいのだ。いざその旅の第一歩を踏み出すのだ。
それからまずはいま出てきた自分の家を振り返って見る。やれやれ、と思わざるを得なかった。7ヵ月前、最後に見たときこの家はまだ建築中で、工事が柱を組んだところで止まってそれきりのものとなっていた。すべてはこの家を建てるためやったようなものと言えるが、しかしずっと東京を離れて落成を見ることもなく、今日になって初めて見たが一夜すら明かさず去ってゆかねばならない。
これで自分の家と呼べるか。これでは一切が無駄ではないか。この家におれはいつか住めるんだろうか。
そう考えるとさすがにあまり楽天的になれない気がした。表(おもて)の方では『犯人だ、犯人だ』『実験だ、実験だ』のコール合戦がまだ続いている。弁護士が『GHQの実験だから』とか『てんぷら絵の大家だから』などと繰り返すばかりなのに対し、『引きずり出して殺してやる』と言う方は『なぜ偽名で預金していた』とか『その日に丸ビルで何してたんだ』とか『なんでこの家ほったらかしてずっと小樽にいたと言うんだ』と叫び立てている。
現時点では明らかに護りの方が分(ぶ)が悪そうに感じられた。おれを無実だと言う者は〈GHQの陰謀だから無実〉ということにしたいだけで、ちゃんとものを考えておれを無実としてるのじゃない。
それがはっきりと感じられる。だからむしろ『吊るしてやる』と叫ぶやつらに吊るされていいと考えている。そうすれば、おれは〈悲劇の犠牲者〉ということになってくれて左翼のマルクス主義者なんかにはかえって都合がいいことになるのだ。弁護士どももそういう眼でおれを見てるのが感じられたし、今に表で『GHQの実験だから』『てんぷら絵の大家だから』と呼び立てるのも結局そういうことなのだ。
ただそれだけでおれを無実だと言ってやがる。これでおれが逃げたとなれば、この家はどっち側とも知れないやつに火をつけられてしまっておしまい。
ということになるかもなあと平沢は思った。マサも焼け死んだりして。それで一切がパーだ。なんのためにあれをやったかいよいよもってわからなくなる。
そうなったらどうしよう。まあそのときは、もっといい家おっ建てて若い美人を妻にしよう。そう考えて振り返るのをやめ、家の庭に向かい直した。建築中の仮住まいとしていた掘っ立て小屋があり、その脇に、その小屋用の便所としていたさらに小さな小屋がある。
犬小屋の背を高くしたようなものだ。平沢は裏隣との境へ行くためその横を抜けた。今はもう使っていないはずだが近づくとプンと匂いが鼻をつく。
それを感じて、そうだ去年にこの便所を使っていた頃、夏の間は特にたまらない思いをしたなと、平沢は記憶を呼び覚まして考えた。ずっと小樽にいたから忘れていたけれど、今年の夏もけっこうやっぱり匂っただろうな。9月になり夜は涼しくなったと言っても今こいつの扉を開けたら、すごい匂いでまだ息がつまることになるだろうな。
そんなことをふと思ったが、思っただけで素通りして裏隣との境の塀に取り付いた。まず鞄を上に乗せ、行李を背負ったままの体で塀の上に手をかける。五十路(いそじ)を過ぎた運動不足の身にはもうそれだけで相当にきつい。
塀の高さはせいぜい自分の胸くらい。さして高いものとも言えぬが、ジタバタと身をもがかせてようやくその上に這い登る。
そしてサアどうやって向こう側に降りようか、と平沢は思った。そのときだった。
「今だ、撮れ!」
声とともにバタンという音がした。便所小屋の扉だ。それが開いて、中から人が飛び出してくる。
え?と思った。ひとりではなく、出てきたのは3人もいる。今まで、あんなところに人が? 3人も? そんなバカなという考えで、まずは頭が一杯になった。中は途轍もなく暑く、臭くてとても人間がいられる場所でないはずだ。
そこにこいつら潜んでいたのか。ひとりでも有り得ないのに、3人も? いつからいたんだ。もしかして、昼間っからか? まさかそんなと思う一方、もしそうならこいつらなんて見上げた根性なのであろう、もしかするとガダルカナルやビルマとかから生きて帰ってきたのだろうか。
などといった考えが一瞬、頭を支配する。3人はいずれも手に大きなカメラを持っていた。