短編集74(過去作品)
自慢げに放すような内容ではないことを、さも悦に入って話す。そのことを考えただけでも、女性とのセックスが素晴らしいものだということを思い知らされた。中学時代に悪友から授業中などに嫌というほど耳打ちされて聞かされてきた。多感な中学時代を通り過ぎたちはいえ、まだ女を知らない自分が情けなくなるような言い方に、焦らなくてもいい焦りを感じさせられていたのだ。
甘いフェロモンを中和する柑橘系の香り、そこへ暗闇からの湿気を帯びた吐息、身体全体で若菜を感じる自分が分かり、血液が逆流して一箇所に集中しているような感じがしていた。
――これが気持ちいいということなのか――
若菜は初めてではなかった。どうやら私が初めてだということに最初は驚いていた若菜も、初めての相手に対し優越感を持ったのか、急に優しくなった。
「私がリードしてあげる」
と言わんばかりの仕草に思わず男の私も吐息を漏らしていた。
――私の吐息はどんな香りがするのだろう――
宙を彷徨っているかのような頭で考えていた。
暗闇に次第に浮かび上がってくる白い女体、白狐を思わせるのは、キツネの雰囲気が妖艶に思えるからだろうか?
薄れいく意識の中で思わずアゴが上がってしまっているのを感じる。若菜も同じように首に筋を立ててのけぞっている感じが窺えるが、それが女性の自然な行動であるだけに男として溜まらないものがある。
自然と指がなぞり、舌を這わせる。皆でアダルトビデオで見たことはあったが、
「なぜ皆同じような行動なんだろう」
と、不思議な疑問をぶつけたが誰も答えてくれなかった。
当然かも知れない。実際にその場になった私も無意識の行動だ。まるで人に説明する時に、身振り手振りでする無意識の行動と同じようなものだからだ。身振り手振りをどうして皆がするのかという疑問をぶつけられて答えられないのと同じ感覚なのだろう。
次第に昂ぶっていく気持ちを感じながら私はろうそくの炎を思い浮かべていた。
暗い部屋の中で昂ぶってくる気持ち、目を閉じているのか開けてるのかそれすら意識の外である。そんな状態で目の前に浮かんでくる炎は風もないのに揺れている昔感じた炎だった。
――この炎、どこかで見たことがある――
最初はピンと来なかった。感極まりつつある中で余計なことを考えたくないという思いと、気になったらそのままにしておけないという複雑な思いが交差して、何も考えられなくなっているのかも知れない。そんな時浮かんできた炎、
――どうして風もないのに揺れているんだろう――
という感覚だけが耳鳴りのように聞こえてきた。
きっとそれは私の心の叫びだったのかも知れない。知らず知らずのうちに黄色い炎が白くなっていて、余計に明るさを増してきているような気がする。それだけにまわりがさらに暗く感じ、炎の先に移った顔が確認できなくなった。
――炎に顔が写っている――
最初は炎の向こうだったはずなのだが、よく見るとそれは私の顔だった。ハッキリ写っているわけではないが、私が感じている自分の動きそのままに写っている。その時初めて思い出した。
――ああ、喫茶「クレイン」で見たアルコールランプの明かりだ――
あの時も炎に写しだされた自分の顔を感じさせられたという記憶を思い出したのだ。
風もないのに揺れている規則性がないようで規則的に揺れていた炎を思い出していた。ゆっくりと見ていると時間を忘れ、見ていることが自然に感じられるひと時、それは若菜といるひと時に似ていた。まったく違和感がなく、前からずっと知り合いだったような安心感を与えてくれる。その安心感がそのうちに信頼感へと変化していき、すべてを委ねることに何ら抵抗を感じなくなるのだろう。
きっとその気持ちは若菜にもあるはずだった。言葉にしなくとも見つめあっているだけで、気持ちが分かりあえる。そんな二人でいたいと思っているに違いない。その証拠に潤んだ目は何かを訴えているように見えるが、決してないものねだりの目ではない。自分の気持ちに正直な目なのだ。目の奥にろうそくの炎のような揺らめきを感じたのはまんざら錯覚ともいえないだろう。
その日を境に私と若菜は恋人同士になっていた。
一気に気持ちが盛り上がり、自然に身体を重ねた一夜。あの日のことはまるで幻だったように感じる。確かにあの日を境に付き合うようになったのだが、若菜の方は自然だった。それまでとどこが違うか分からないほどで、馴れ馴れしい感じも受けないしべったりでもない。かといってよそよそしさも感じないのだ。
――あれが本当の若菜なのかも知れない――
あの一夜の若菜は普段からは信じられないほどの妖艶さがあった。私も若菜から見てあの日はいつもの私と違っていたのかも知れない。それだけに夢のような一夜だったと感じるし、今でもそう思っている。
――あんな一夜をまた感じたいな――
と気持ち的に感じていたが、普通の付き合いに満足していないわけではない。もちろんお互いを求め合って愛し合うこともあるが、最初のような妖艶さは感じない。あの日がまるで違う女を抱いたような錯覚に陥るのも仕方のないことだが、決してあの日の若菜を引っ張り出そうという気にはならない。怖いというよりも自然一番だという感覚が強いのだろう。それだけ違和感のない付き合いなのだ。
交際期間は長かった。
――長すぎた春――
という言葉が頭をちらつくこともあったが、結婚しなくともお互いに思いやることで満足だった。思い上がりかも知れないが、若菜もそれで満足だったと思う。どちらかというと思っていることはハッキリいうタイプの女性なので、もし考えを押し殺しているとすぐに顔に出る。普段が自然なだけに不自然さは目立つのだ。
最初の夜の次の日から恋人同士だと思っていた。しかし時々それは錯覚ではなかったかと思うことがある。確かに若菜は私に従順だった。逆らうこともなく、しかも私の考えていることが先に分かるのか、痒いところに手が届くタイプの女性だ。それだけに気を遣うこともなく、一緒にいられたのだ。
しかしそれが恋人同士だという判断でよかったのだろうか? 私はずっと後になって感じた。それを感じたのは、私が一大決心を思い立った時である。
私は仕事が一段落した昼過ぎに、若菜の携帯に電話を入れた。
「今夜空いてるかい?」
「空いてるわよ。どうして?」
「食事でも行こうか? 急で悪いんだけど」
私の誘いに少し間があったが、
「ええ、いいわよ。じゃあ、いつものところにいつもの時間ね」
いつも決まった待ち合わせ場所がある。いつもほとんど同じコースだが、その日の私は違う店を考えていた。
なぜ若菜の返事に間があったか? それは私がいつも約束は余裕を持って取り付けるからである。急にその日になって会いたいということはほとんどなく、逆に若菜の方からその日に会いたいということがあるくらいだ。それもどうしようもなく寂しくなったといって電話をしてくるのだが、会って顔を見た瞬間にその寂しさはどこかへ行ってしまい、普段の若菜に戻っている。
そんな時出会った一瞬、若菜に感じることがある。
――この顔は以前にも見たような――
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次