短編集74(過去作品)
知り合ってから時々は会っていた。それでも絶えず会いたいという気持ちになることはなく、お互い何となく会いたくなったから会ったという感じなのだが、それでもタイミングはバッチリで、会いたいと思い始めた時にいつも若菜から連絡をくれる。
――ひょっとして相性はピッタリなのかも知れないな――
知的な雰囲気のある若菜に最初はあまり女としての妖艶な部分が見えてこなかった。女性と付き合ったことのない私は、どこが女性の妖艶な部分なのかハッキリと分かっているわけではないが、あまりにも心も身体も反応しないのだ。無表情で物静かな女性で、そばにいることがただ自然なだけの雰囲気だった。
彼女というよりも妹といった感じかも知れない。
私に女姉妹はいないので、妹というのはそばにいて違和感のない人のことで、女性として見ることのできない人だろうと勝手に解釈していた。当時の若菜がちょうどそんな感じだったに違いない。女性というものを必要以上に意識していた時期であっても。若菜に性的意識を感じたことがなかった。きっとそれだけ一緒にいることに違和感のない女性だったに違いない。
知り合ってからそろそろ三年が経とうとしていたある時期、それはそろそろ就職活動に向けての心構えをしっかりしなければならない時期のことだった。
いつものようにそろそろ会いたいと思った時である。若菜から連絡があった。
「会いましょう」
言葉少なだったが、そこにはいつになく重々しさがあったような気がする。いつもより声のトーンが低く、幾分かハスキーな声だった。それが私にとっての妖艶な若菜とダブったような気持ちになり、胸がキュンと高鳴るのを感じた。
その日の若菜はいつもジーンズのような恰好だったのに、スカートを穿いてきた。短いスカートというわけではないが、それだけでも私には若菜がいつもと違う気持ちであることを悟るに至ったのである。
普段ジーンズを穿いている若菜は活発な女の子という雰囲気があり、妖艶さとはかけ離れていた。まるで高校生のような躍動感を感じ、かなり年よりも若く見えたからである。しかしその日の若菜はいつもと違って落ち着きを感じていた。その落ち着きがどこから来るのか分からなかったが、若さという意味でいえば、普段と変わらない雰囲気を見せている。
――若さというよりも幼さを感じる――
そんな若菜にオンナとしての魅力を感じるであろうか?
いつもと違う若菜に私は複雑な心境を抱いていた。
まず、会いたいと思った。そして若菜も私に会いたいと告げる。現われた若菜はいつもと違ういでたちで現われる。それだけの事実関係が私の頭の中でクルクルと廻っているのだ。
いつものようなデートコースと、街でショッピングしたり食事をしたりが多かったのだが、その日頭に浮かんだのは遊園地だった。若菜の恰好を見て遊園地以外が思い浮かばなかったのだ。若菜の手を引っ張るようにして遊園地へと向ったのだ。
何もかもが新鮮だった。季節は春で新学期前だったので、気候的には最高だ。時折吹く風が心地よく、少し歩いただけで汗ばむようなその時期にしては思ったより暖かい一日だった。
普段の若菜の笑顔と少しも違わぬ満面の笑顔で遊んでいるのを見ると、遊園地に来たことが正解だったと思えてきた。無邪気に遊ぶ若菜はまるで初めて出会った時のような新鮮さがある。若菜もきっと私に同じことを感じてくれていると信じている。
そういえば初めて若菜と知り合って、二人きりで出かけた時、若菜も私も同じ心境だったと話したことを思い出した。あれはその日の最後に公園に出かけた時のことだった。確かブランコに乗ってゆっくり揺られていた時のことだったと思う。
「初めて会った気がしないわ」
たった一言だったが、この一言が私の中には常にあった。この気持ちは私も感じていたからである。
「僕もだよ。同じことを感じていたんだね」
今まで女性と二人きりで出かけたことなどなく、何を話していいか分からなかった私だったが、この一言で救われた気がしたのだ。
「今度もまた一緒にお出かけしましょう」
「そうだね、君さえよければ一緒に出かけよう」
あまり自分たちのことを話さないで終わった一日だったが、最後にその会話ができたことで、次に会った時にはぎこちなさは消えていた。そして最初に二人きりでいたその時間を新鮮なものとして私の中に残すことができたのだ。
そんな会話が今でも頭に残っている。
遊園地を後にして近くのベンチに腰を下ろすと、すっかり日は暮れていて、目の前に広がった海に遠くの明かりが波間を煌かせていた。きっとムードは最高だったのだろう。
ほとんど会話をすることもなく、唇を重ねていた。暖かい唇、かすかに震えていたその唇は濡れていた。私もドキドキしてきて、会話などあるはずもなく、そのままずっと唇を塞いでいたかった。
吐息が漏れる中、目を瞑って交わす唇を放すと、潤んだ目で見つめるその顔に初めて妖艶さを感じていた。
「静かなところへ行こうか?」
「ええ」
普段なら歯が浮くような照れ臭いセリフであるが、その日は何の抵抗もなく口から出てくる。実に自然な行動に我ながら驚いているが、今までになかったことが不思議なくらいその時の自分が大人の男性に見えていたに違いない。
部屋に入るまでの記憶は完全に飛んでいた。手を引っ張るようにして足早で部屋に入ったという記憶があるだけで、もう一度そのホテルに行けといわれても、たぶん二度と行くことができないような気がするくらいだ。
「真一さん」
「若菜」
お互いに名前を初めて面と向って呼び合った。今までであれば恥ずかしさが先に来て、考えられなかったのだろうが、部屋の雰囲気がそうさせるのか、それとも求め合うそれぞれが雰囲気から分かるのか、実に自然である。きっとどちらの要素が欠けても、そんな気分にはならなかっただろう。
初めて見る女性の身体、その日一日がずっと新鮮だったことを再認識させてくれる。
「暗くして……」
若菜がそういいながら頭のところにある照明を落とした。さすがに最初はまったく見えずに、甘い吐息だけが聞こえてきたが、そのうちに白い蠢くものを確認できた。
まったく見えない方が妖艶ではあった。吐息だけで重くなった空気が湿気を帯びて感じ、隙間なくへばりついてくるきめ細かな肌がほんのりと汗ばんで感じた。震えているのか小刻みですぐには分からなかったが、緊張しての吐息も含まれている気がした。
甘い吐息とは本当である。口臭スプレーでも使っているのか、ほのかに柑橘系の香りも混ざっている。それ以外は何ともいえない甘さを感じたが、それが女性特有のフェロモンであるということに最初は気付かなかった。
――そういえば、大学の時に初体験をしたやつが自慢げに話していたっけ――
女性を知らない私としては、聞きたいのもやまやま、しかし露骨に耳を傾けることが簡単にできないのが男の性だとも思っていた。それでも入ってくるものを拒むことはできず、知らす知らずに頭の中にインプットされていたのだ。
「オンナって、甘いものなんだぜ。甘い蜜に群がるミツバチやアリの群れと同じなのさ、男なんて動物は皆同じ生き物なのかも知れないな」
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次