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短編集74(過去作品)

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 しかし今度は見続けていると、炎から目が離せなくなってしまっている自分に気付く時がある。その時に自分がまるで金縛りにあったかのように動けないことを悟ると、それが焦りとなって心拍数に多大な影響を与える。それが炎の勢いが戻ってきた瞬間なのかも知れない。
 気がつけば炎に向って息を吹きかけている自分に気付く。思わず固まってしまった私は恐る恐るあたりを見渡してみるが、マスターは後ろを向いていて気付いていない。
――よかった――
 どうしてこんな行動を取ってしまったのか分からないが、とりあえずこんな恥ずかしい姿を見られずにホッとしていた。もし目でも合わせていたら。さっきの金縛りをまたしても味あわなければならず、それはもういやだった。
 そういえば、子供の頃の誕生日、ケーキを目の前にして息を吹きかけた瞬間を思い出した。母がいて、友達がいて、そしてその中心に私がいる。明かりを真っ暗にし、目の前で揺れるろうそくの炎。目を瞑れば浮かんできそうな光景である。
 力いっぱい吹いても、なかなか消えるものではない。一回で消すことができずに何度も挑戦してみる。やっとの思いで消すと、その瞬間に真っ暗な中から拍手が沸き起こるのだ。
 ろうそくの炎の中に浮かび上がった母親や、友達の不気味な顔は今でも覚えている。顔の絵院核がくっきりと写ることの怖さを初めて味わったのが、ろうそくの炎に映し出された顔だったのだろう。子供心に恐ろしかったのだ。
 沸き起こった拍手の中、一気に消えたろうそくの炎だが、部屋には消えた炎の焼けた匂いが立ち込めていた。ケーキの甘い匂いに誘われながら匂いを嗅ごうとすると、否応なしにろうそくの匂いも匂ってくるのだった。
 私はその匂いが嫌いではなかった。ライターの火でも少し匂ってくる時があるが、ガスの燃える匂いでも嫌いではない場合もある。それと同様、コーヒーができる時のアルコールランプの匂いも嫌いではない。きっと子供の頃に感じた誕生日ケーキのろうそくの匂いを覚えているからかも知れない。
 特にその日は、晩秋の風が吹きつけていて、まるで木枯らしを思わせるような寒さだった。銀杏並木の紅葉が足元を蹴散らすように舞い上がっている。身体の芯から冷えてきそうな雰囲気の中、歩いてきた私の身体は冷え切っていたのかも知れない。店に入るなり、思わず手の平を合わせて、息を吹きかけていたのではないだろうか? 猫背になってじたんだを踏んだようになっている私の行動は実に滑稽に見えたことだろう。
 私を別に意識することなく動いているマスターが、実に大人の人に見えた。大人の雰囲気を持った男性にあまり出会ったことのない私は、マスターに見られたらそれだけで緊張してしまいそうだった。そんな私の気を遣ってか、
「お客さん、初めてですよね?」
 雰囲気そのままの重く渋い声でマスターは私に話しかけてくれた。
「ええ、以前から寄ってみたいと思っていたんですけど、なかなか機会がありませんでした」
 恐縮したように頭を掻きながら話す自分が思ったより落ち着いているようで、自分でもビックリしている。
「ここは結構常連が多くて、皆さんいい人ばかりですから、これからも贔屓にしてください」
 カップを乾いたタオルで拭いているマスターの姿は、実に様になっていた。キュッキュと音がしてきそうで、それだけでも静かな店内に響き渡りそうである。
 店内には静かなクラシックが流れていた。軽音楽に近く、昼下がりのコーヒーもいいのではないかと思えるほど、すっきりとした気分に誘われる。そんな中で香ってくるコーヒーの香りが音楽にエッセンスを織り交ぜているようで、贅沢な時間をふんだんに賞味できた。
 それが喫茶「クレイン」の常連となるきっかけだったのだ。その日はかなり店にいたはずなのだが、後から思い返せばあっという間だったように思える。いろいろなことを感じる充実した時間の方が、きっと後から思い返した時の時間が、あっという間に過ぎてしまったような気分になるのであろう。
 どちらかというと孤独が好きだと思っていた私だったが、常連になることで、同じ考え方を持った人たちと一緒にいたり話をしたりすることの素晴らしさを知ったのは、ここ喫茶「クレイン」に寄るようになってからだ。
 それまではあまり人と話すことを自らが拒否し、それをできる相手は尾崎だけだったかも知れない。しかも尾崎と話すにしても、時間的に自分の中で区切っていて、ある程度の時間が過ぎると、私の中で異変が起きていた。話をすることが極端に億劫になり、途端にそれが表情に表れるのだろう。尾崎にもそのことが分かるらしく、すぐに気まずい雰囲気になってしまう。
 それは時間だけの問題だった。話の内容がいかに自分に興味のあることであったとしても、身体が覚えている時間きっかりに異変が起こるのだ。
 額からは汗が滲み、身体の奥が熱くなる。まるで何かに追いまくられるように逃げ出したいような気分になり、焦りがすぐ近くまでやってきているようで、それが恐ろしい。尾崎の顔を見るとそんな私を哀れんでいるように見える。しかも実に冷静で、感情をあまり感じることがない。きっと尾崎自信にも同じような経験があるのかも知れない。お互いの立場を客観的に見ているようで、私もそれ以上言葉が出てこない。
――我ながらよく分かるものだ――
 そういう状況に陥った時の私は結構相手の気持ちが分かる時がある、きっと私も客観的になって冷静に見ているのかも知れない。尾崎を見ているようで自分を見ている、そんな気分にさせられる。
――同じような顔をしているに違いない――
 これがいつもの心境だ。
 しかし、喫茶「クレイン」を知ってからというもの、私にそのタイムリミットを忘れさせてくれそうであった。
 そんな私を尾崎は分かってくれたのだろう。女性を紹介してくれるという。それが若菜だったのだ。それまでは女性と付き合ったことのない私だったが、若菜も男性と付き合ったことがないらしい。お互いに意識してしまい、最初は会話すらなかったのを鮮明に覚えている。
 そんな時の時間とは実に長く感じるもので、何度か二人でどこかに出かけたことがあったが、とてもデートといえるものではなかったような気がする。
 しかしそれでも、話すようになると彼女の性格がすぐに分かるようになった。素直な性格だからだろうか、見た目どおりの知的な感じで、彼女の求めている男が、
――同じ時間と空間を共有できる人――
 だと感じたのは、話をしてからというよりも、かもし出す雰囲気から感じ取ったものかも知れない。
 若菜は最初からあまり自分のことを話す方ではなかった。私もあまり自分から曝け出す方ではないので、なかなか会話にならなかった。しかし、
――お互いに話したいと思った時が、それぞれの恋の始まりなんだ――
 と思うようになっていた。それでもなかなか自分のことを話さない彼女に半分業を煮やしながら、静かに見守っていたいという複雑な心境だったのだ。
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次