短編集74(過去作品)
そんな生活を望んでいるわけではない。確かにグループの長にまでなっているのであれば、いいのかも知れないが、集団に埋もれることは自分の本意ではない。どうしても父親から受けてきた教育が頭の中にあり、それを払拭したいと思っているのだ。埋もれている自分など見たくはない。
だが、尾崎とはそれからも付き合っていたわけで、彼だけは私の中で別格だった。最初に出会ったという気持ちが強いだけではない。きっと、深層心理の中で彼と私は時間と空間を共有できていたのかも知れない。
それはとても心地よいものだった。友達として一番望んでいることに違いない。
そのうちに一人でいることが好きになった。そして当時の仲間からは、「変わり者」のレッテルを貼られたのだ。いくら個性のある人間の集まりとはいえ、それが集団になれば、もはや個性ではない。そんな考えが私にはあった。
――変わり者で結構――
心の中で叫んでいた。朱に交わって赤くなりたくはないし、長いものに巻かれたくもない。私の考えを分かっていても、皆から嫌われたくないので、私を変わり者と考える人もいるだろう。きっとそんなやつが一番嫌いなやつなのだ。自分の考えを封印してまで、まわりに意見を合わせたくなどないというものである。
――一人で行って、たまに人との会話ができるところ――
私は馴染みの店がほしいと常々考えていた。それは飲み屋でも喫茶店でもいい。そんな考えを持ったまま寄ってみたのが、喫茶「クレイン」だった。
白壁の綺麗な喫茶店で、駐車場も広く、郊外型の喫茶店である。いつも白めの服に赤いエプロンをつけているマスターが私は気に入ってしまった。スリムな身体に白いシャツがよく似合い、真っ赤なエプロンがさらに目立って感じる。
喫茶「クレイン」は以前から気になっていた。私が店の前を通りかかる時は、朝まだ店の開いていない時間帯か、日が暮れる少し前の時間帯だった。気になり始めたのは店ができた大学時代で、できてから初めて訪れるまでに二ヶ月ほど掛かっていた。今までであれば気になる店にはすぐに入ったことだろう。なぜか敷居が高かったのだ。
初めて訪れた日のことはハッキリと覚えている。すでに太陽が西の空に沈んでしまっていた時期で、風がとても冷たい日だった。間違いなく私はぬくもりを求めていた。コーヒーの香りとライトアップされた白壁が完全に私の欲求を満たしてくれそうな気がして、その日ほど店の存在を有難いと感じたことはなかった。それ以降もありがたいと感じたことはあったであろうが、何しろ二度目以降は最初から目的地と定めて店に入っていたので、最初の時ほどのセンセーショナルな感動はなかった。
初めて入った喫茶「クレイン」に感じたことは、
――前にも一度来たような気がする。本当に初めてなのだろうか?
というものだった。
初めてなのは間違いない。何しろ開店して二ヶ月、まだ新築の匂いの残っていそうな雰囲気が漂っている。しかし、店の造りや天井の高さなど、記憶のどこかに引っかかっている店にあまりにも似ているような気がしたのだ。
喫茶店、しかも郊外型の喫茶店ともなると、きっと同じような設計になるのかも知れない。そのため小さい頃にでも行った喫茶店のイメージがそのまま残っていても不思議ではないが、それにしてもそれはおかしい気がした。
小さい頃ということは、今よりも二十年以上も前のことになる。その頃にこのような洒落た喫茶店がそんなにあっただろうかという疑問。ないとは限らないが、これほど類似した記憶が果たして二十年経った今思い出されるほど、同じ設計であったというのも不思議である。
それよりも私が大いに気になったのは、人間というのは、自分の目線でモノを見るという観点から感じた疑問である小さい頃というのは文字通り低いところからの視線で、大人になってからの視線にくらべて低いため、それだけまわりが大きく見えるものである。
小学生の頃あれだけ大きく感じた小学校のグランドを歩きながら横目で眺めたことがあるが、その時に感じたのは、
――何と狭いグラウンドなんだ、こんなにも狭いところで遊んでいたんだ――
ということだった。それだけ小さい頃の記憶が低かった背で見たものであるかということを物語っている。いや、きっと薄れ掛けている記憶だけに少々大袈裟に記憶しているのかも知れない。きっと記憶の中で一番鮮明なのは、天井の高さということではないだろうか。
「いらっしゃいませ」
私が店内を気にしながらカウンターへと歩を進めると、マスターが声を掛けてくれた。さすがに天井が高いだけに店内にこだまして聞こえ、心地よく鼓膜を揺さぶった。まだ木の香りが新鮮な感じがするカウンターに腰掛けると、目の前で湯気を立てているサイフォンに自然と目が向いていた。
「ホットをください」
「はい、分かりました」
最初は完全な営業的な会話だった。その会話がいつ馴染みのものとなったのか、ハッキリと記憶していない。とにかく最初は私も自分から話そうとしなかったし、マスターも余計なことを聞いてこなかった。とにかく目の前で出来上がっていくコーヒーのサイフォンをじっと見つめていたのだ。
サイフォンの下で揺れるアルコールランプの火が一色ではなく数色見えることにその時初めて気付いた気がする。今までにもサイフォンで入れてくれる喫茶店のカウンターに座ったことは何度かあるが、気付かなかった。
――ああ、そうか。今まではいつも誰かと一緒で、話をしていることが多かったんだ――
見ているつもりでも、きっと漠然としてしか見ていなかったのだろう。それだけにしみじみと見ている炎の揺れに何かを思い出そうとしている自分がいるのだが、それがその時々の話だったのかも知れない。きっと思い出すことはないだろうと感じながらである。
炎は風もないのに揺れている。最初オレンジの炎が目立っているかと思うと、すぐにブルーになり、さらにオレンジに戻る。その繰り返しであった。しみじみ見ていると時間の感覚を麻痺させる魔力のようなものがあるのではないかという錯覚に陥るのではないだろうか。
きっとあまりにも見つめていると目がよってきているかも知れないと感じるくらいだ。
ランプの炎は不規則に揺れるものである。それだけ風が計算できずに吹いているという証拠なのだろうが、ここで見る炎は、なぜか規則性があるような気がして仕方がない。
不規則な中の規則性とでもいうのだろうか、力強い揺れと少し大人しい揺れが交互に襲ってきているように見えるのだ。最初に力強く、次第に大人しくなるのであれば、目が慣れてきたということで納得もいくのだろうが、また途中から力強く感じるということは、そこに何らかの規則性を見出しても不思議のないことである。
そういえば、自分の心拍数を感じるようでもある。最初に入ってきた時は息が切れていて、当然心拍数も激しかったであろう。それも次第に落ち着きを取り戻してくるにしたがって、ゆっくりとなる。炎を見つめていることで精神が安定してきたのだろう。
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次