短編集74(過去作品)
いわゆる過保護なのだろうが、小学生時代は、言われると、
――すべて僕が悪いんだ――
と言い分があっても、その言葉を飲み込んでいた。親に逆らうことができないのだ。なぜ親に逆らってはいけないかという理屈も分からないまま、ただ怒られる原因のすべてが自分にあると思っていた。
いわゆる「被害妄想」なのだ。
そのためか、人から何か言われると、いくら言いたいことがあっても、少し口ごもってしまう。一旦言葉が出ないと、言い訳する自分が情けなくなってしまい、一切言葉が出なくなり、ストレスとともに自己嫌悪しか残らないのだ。
それでも、小学生の低学年の頃は一生懸命に言い訳をしていたような気がする。さすがにその頃は訳も分からずにしていた言い訳。後から考えるとしなくてもいい言い訳だったような気がする。そんな思いもあって、責められると何も言えない自分が出来上がっていた。
しかしまわりはその方が一番嫌がるということを、ずっと分からないでいた。
「お前、俺の言っていることが分かっているのか?」
何度もそう言われたが、言葉が出てこない。出てくる言葉は、
「すみません」
たったこれだけなのだ。
仕事で失敗したり、指摘されると、すべて自分が悪いと思ってしまう。確かに悪いのは私なのだろう。だから先輩や同僚から指摘を受けるのだが、本当は言い訳を聞きたいわけではないに違いない。だが、謝ってばかりの相手に対し注意するということは、ぶら下がっているタオルにパンチを浴びせるようなもので、力を入れれば入れるほど、空回りしてしまうのが実情なのかも知れない。自分が相手の立場に立てばすぐに理解できることでも、注意されたことで自分のまわりに勝手に膜を張り、オブラートに包んでしまっている。明らかに自衛本能が働いているのだろう。
いくら会社の人に注意されても、子供の頃に注意を受けた親に対しての思いほど強いものではない。確かに注意されたその時はつらいと感じ、場合によっては、立ちくらみを起こしそうなくらいに自己嫌悪のオブラートに包んだりもしていたが、それでも、親から受けた注意ほど強いものではなかった。
それがトラウマとなっていたのだろう。友達と一緒に遊んでいても、絶えず親の目を気にしていたりした。何しろ遊ぶ相手に対してでもいろいろ口を挟むような親だった。今でこそ理由が分かる気はするのだが、小学生で、しかも低学年の私に分かるはずなどなかった。
「あそこの奥さんとはあまり仲がよくないから、何かあった時に話すのが嫌だ」
と、いったような理由だったに違いない。確かに大きくなれば気持ちは分からなくもない。しかし、それを子供に押し付けるのはいかがなものだろうか? 訳分からないまま、ただ、
「あの子と遊んじゃいけません」
と理由も聞かされずに言われるのは気持ちのいいものではない。しかも何にも悪くない友達でも、
――遊んじゃいけない奴なんだ――
そんなことはないと思いながらも親の言うことを聞いてしまう私は、親に叱られるのが怖いだけで、遠ざけていたのだ。
元々、理屈に合わないことをするのが嫌な性格だと自覚していた。それは小学生の低学年の頃からで、一番最初に自分の性格を感じたのは、その時だったような気がする。
この二つのことは相反することで、それが私を苦しめた。いわゆるジレンマに陥ることもしばしばで、
――どうして僕が悩まなければいけないんだ――
と感じていた。
もちろん一番強いのは親に対しての思いで、どうしても逆らえない自分が情けなくて、友達に一線を引いている自分も嫌だった。きっと相手によって見る目が違ったであろう。
「お前のことはすぐに分かるよ」
「どうしてだい?」
「気持ちがすぐに顔に出るからな」
と最初に言われたのが中学時代、それから何度となく同じことを言われてきた。数少ない友達のほとんどはそう思っていたかも知れない。親しみを感じるという意味ではまんざら嫌というわけでもなかったが、言われていつも苦笑いをしていた。
一人でいることが多いくせに、人がいる時もあってほしいという矛盾した考えを持つようになっていた。それはきっと、一人でいる時に考えたことを話す相手がほしいと思っているからだと思う。誰かに聞いてもらって、
「確かにそういう考え方もできるな」
という返事を貰うのが一番の理想だと考えているのだ。
きっとまったく同じ考えだと不満かも知れない。嬉しいことには違いないのだろうが、私が人と同じだということを嫌う人間だからである。
少しでも人と違うと言われたいという思いは小学生の頃からあった。
――平均的にできる人より何か一つでも秀でた人間になりたい――
という考えを持っていて、それと同じ感覚なのかも知れない。そして、それは親の教育への反動でもあった。普通のサラリーマンをしている父親は完全に厳格で、平均的に何でもこなす人間がうまく世の中を渡っていけるという考えが根底にある。
怒られていても言葉の端々に出てくる。
「人にバカにされないような人間にならないとダメだ。大きくなって人に後ろ指を刺されないようにしないといけないぞ」
などと、当たり前のことを言っているのだが、私には当たり障りのない平凡な大人になれと言っているようにしか聞こえない。
――そんなものになるために怒られているんだ――
と、いつも理不尽さを感じていた。それが反動へと結びつく。
――絶対、平凡な人間になんかなるものか――
怒られながら、絶えず考えていた。時には父親を睨みつけていたこともあったかも知れない。
「何だ、その顔は。文句でもあるのか?」
そう言ってさらに怒りを強めることもあった。父親は説教している相手に逆らわれることを極度に嫌っていたのだろう。その言葉を発する時はいつもゆでだこのように、顔を真っ赤にしていたものだ。
私の考え方は友達に恵まれるかどうかで変わってくるものなのかも知れない。私の場合は高校時代にたまたま同じクラスになったやつが同じような考え方を持っていた。絵を描くのが好きなやつで、将来は芸術家になりたいらしく、美術大学を目指していた。時々彼に私の考えをぶつけ、彼も私に自分の考えを話してくれた。
――切磋琢磨した考え方――
お互いにうちにこめた考えがあり、相手の話を聞いているうちに分かってきた結論である。袋小路に入って同じようなことを考えていたつもりだったが、建設的な考えであると分かった途端、考えることが再度好きになったと同時に、人と話すことの大切さを感じたのだ。
結局その友達とは進路の違いもあり、高校でだけの付き合いで終わってしまった。だが大学というところが個性のある人の集まりであるということを話していて感じると、途端に嬉しくなった。自分から話しかけていろいろな意見を聞く。次第に友達も増えてくる。
しかし、友達が増え、いろいろ話すうちに自分が知らず知らずにグループに埋没していて、その中に埋もれてしまっているのに気付いたのだ。時々、もう一人の自分が現れ、客観的に自分を見ているという意識がなければ分からなかったことである。
――いったい、どういうことなんだ――
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次