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短編集74(過去作品)

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 智子は本当の意味での気の遣い方を知らない。気を遣うという言葉自体が、自分には似合っていないと思っていて、ぎこちなくなることは分かっている。おばさんたちの井戸端会議などでの「譲り合い」、あれこそ「気を遣う」ことであり、愚の骨頂にしか見えない。
「ここは私が払いますわ」
「いえいえ、私が……」
 よく見かける喫茶店でのワリカンの光景である。まるで自分から、
「人に気を遣う人間なんです」
 と宣伝したいがために、わざと大声を出す。これこそ嫌らしさの代表のようなものだと思っていた。あんな「おばさん」に自分だけでもなりたくないものだ。
 そんな思いが頭にあるからか、気を遣うということが、悪いことのように思えて仕方がない。相手のことを考えているならともかく、自分のために気を遣っていると思わせるのは、醜いことだ。では、一体、相手のために気を遣うとはどういうことなのだろう?
「人に気を遣う大人になりなさい」
 で、あったり、
「相手の身になって考えなさい」
 と言われて育ってきた智子だったが、そういう親自体が「おばさん」では、説得力などあったものではない。
――人に気を遣うということが大人になるということなんだろうか?
 考えが行ったり来たり、袋小路に入ってしまう。
 結局、自分の中で見つけた智子自身の生き方が、
――颯爽としていて、クールな女性――
 だったのだ。
 分からないものを分かったような顔をして過ごすことを極端に嫌う智子は、そんな中でもまたジレンマを抱えていた。
 気を遣わない性格の裏返しとして、指摘されると黙り込んでしまうところが、学生時代にはあったのだ。
――まわりの人が皆、自分よりも何でも知っているのではないか――
 と感じる時期があった。
 そう考えていて、誰かから指摘を受けたりすると、その指摘がすべて正しいものだと思うようになっていたのだ。元々、素直な性格の智子にとって、まわりからの影響は、多少なりとも受けてしまう傾向にあったようだ。
 顔を真っ赤にして、黙り込んでしまい、そのまま下げてしまった顔を上げることができない。それが学生時代の智子が一番嫌だった自分である。
 自分が自惚れることで、自分の実力を発揮していると思っていた智子にとって、指摘されて言い返せない自分は、屈辱的なことなのだ。それがジレンマとなり、殻に閉じこもる時期を作ってしまう。いわゆる躁鬱症である。
 薬を飲まなければならないほど酷いものではないが、定期的に訪れる鬱状態に、辛さを感じていた。目の前が黄色くなり、次第に、人の笑顔が疎ましくなる。自分の顔から表情が消えていくのが分かり、顔色も冴えていないだろう。
 自分が二重人格であることは小さい頃から意識していたように思う。それまでおぼろげだった二重人格性が高校を卒業する頃になって見えてきたのだ。
――いよいよ自分の実力を如何なく発揮できる社会だ――
 と、短大生活に希望を持っていたからかも知れない。希望の裏側には、
――発揮できる実力には責任が含まれる――
 という事実を自覚していたからに違いない。それまで狭かった視野が、一気に開けてくることは明白だった。
 しかし、最近の智子は少し違う。臆病になったとでもいうのだろうか。人へのアドバイスができなくなった。
 怖いもの知らずだった学生時代、社会に出て、そのことを思い知らされた。
 智子が付き合った男性はすべて智子を好きになった男性ばかりである。智子が、自分から好きになった男性はひとりとしていなかった。
――好かれたから好きになるんだ――
 という思いが強く、今でもそうなのだと思う。お互いが好き合っていないと、続かないと思っているからかも知れない。
 だが果たしてそうだろうか?
 最近の智子は少し自分の考えに疑問を持っている。臆病になったというのもその理由だが、臆病になった理由の一つに、
――自分のことが分かってきた――
 というのがあるが、それが、最大の理由なのだろう。自分のことが分かってきたから、人を自分から好きになったことがないことに気が付いた。
 気付いていたのかも知れない。だが、それを認めるのが怖い、もう一人の自分がいるのだ。
――もう一人の自分――
 じっと、いつも智子のことを見つめている自分。その存在を強く感じる時に、自分のことが分かっているのだと思う。
 同窓会で一緒になり、裕也に話しかけられた智子の胸の鼓動は最高潮に達していた。
――彼は素敵になってるわ――
 それまでに感じたことのない、
――人を好きになる――
 という気持ち。裕也のために用意されていたような気がしてならない。幼馴染として育ち、高校まではずっと一緒にいて違和感がなかった。そばからいなくなるなど考えたこともなかったが、いざ短大に進学して会うことはなくなっても、別におかしな意識もなかった。
――ずっと一緒なんだ――
 という思いがまるでウソだったかのように思えるほど、サラリとした気持ちだったに違いない。それとも、高校に入って、まったく違う環境への期待感のようなものがあったのだろうか?
 確かに短大は遠くの学校を選んだ。それまでの自分を変えたいという気持ちがなかったわけではなく、そのためには環境を変えたいという思いがあったに違いない。
 だが、それも漠然とである。どこか知らないところであれば、自分を知る人がいなければ今までの自分を変えることができるという安易な発想、今から思えば何と幼稚な発想だったのだろう。しかし、結果的には遠くの短大を選んで正解だったように思う。進学した短大は、芸術を専攻できるようなところで、智子は文学を専攻していた。実社会に出るための役には立たなかったが、そこで勉強したことは、きっと智子にとって財産になるだろうと思っている。その証拠に、読みやすい本ばかりに走ってしまったが、本を読むことをやめていない。
 毎日を規則正しく過ごすこと、これが最近の智子の生活モットーである。
 少しでもリズムを崩せば、身体のどこかに変調をきたすと思っている。それだけ、今の智子はデリケートなのだ。
――身体と気持ちのバランスをとること――
 これが今の智子にとって大切なことに思えた。精神的に変調を覚えると、身体が溜まらなく疼いてきそうなのだ。特に最近は、
――男に抱かれたい――
 という気持ちが強く、そんな気持ちで身体を持て余している。もう一人の自分が傍から見ていてどう思うだろう?
 本来なら、傍から見ているもう一人の自分の心境になることで、もう一人の自分の存在を感じるのだが、身体に変調を感じると、実際の自分がもう一人の自分に、
――見られている――
 という感覚の方が強いのだ。
 実際に力強い男の腕に抱かれ、気持ちが真っ白になると、もう一人の自分が見つめているだろう。智子は思う。
――なんて皮肉なことなのかしら――
 と……。
 そんな気持ちになってみたいと思いながら、なかなかなれないのは、生活リズムを崩したくないという気持ちが強いからに違いない。
 時計を気にし、時間にキッチリとした生活をするのは、そんな気持ちの表れだ。
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次