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短編集74(過去作品)

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 田舎のことなので、山の中腹にある神社の境内が縁日会場に変わる。それが一般的な田舎の光景であると知ったのは、後になってからのことだったが、田舎に住んでいるという意識すら欠如してしまうほど、生まれたこの土地が好きだったに違いない。
 初めて出てきた都会が狭い世界に感じられたくらいだ。
――コンクリート・ジャングルとはよく言ったものだ――
 今でこそ死語になったコンクリート・ジャングルという言葉、当時は私にセンセーショナルな感覚を与えてくれて、言葉自体が新鮮に感じられた。都会に出てきて、田舎のことを思い出そうとして最初に浮かんでくるのが、祖母のことだった。
 しかし、浮かんでくるのは、送り出してくれた時の、少し寂しそうな顔である。笑顔を忘れるはずはないと思うのだが、不思議と思い出すことはなかった。
 私はきっと何不自由なく育ってきた方なのだろう。両親は健在で、祖母は優しい。家は大きな屋敷で、友達に嫌われているわけもなかった。
 だが、どこかに心の隙間があったことを、大人になった今感じている。子供の頃にも感じていたはずなのだが、感覚的に麻痺していたのか、感覚に流されやすいタイプなのか、自分の心に隙間があったとしても、まるで他人事のように思っていたに違いない。
 きっと鬱状態に入る時に、感覚的には来るぞと思うのだが、それを止めることができず、ただなす術なく鬱状態の到来を待っている感覚に似ているのかも知れない。下手に意識しないようにしながら、まるで他人事のように感じることで、なるべく嫌な時期を早く送り出したいという思いがあったに違いない。
 人と同じことをするのを極端に嫌っていた子供時代、今でもそうなのだが、いや、今の方が極端である。電車から降りる時でも、いち早く改札を抜けるようにしているが、群衆の中に入りたくないという思いが強い。ダラダラ歩くのも嫌いだし、せっかちなのだろう。
「お前は育った環境と性格が一致しないんだな」
 と友達は笑って話していたが、まさしくその通り、自分でも分かっていて、どうしようもないことだ。性格を変えるつもりもないし、何よりも嫌とは自分で思っていない。
 だからといって「一匹狼」という感じはない。友達と一緒にいる時は楽しいし、話をする友達もそれなりにいる。一緒にいて話をして、それで満足するのも、皆と同じはずである。
「一匹狼」と言われると、嫌な気はしない。だが、どうしてもなりきれないところがあるのだ。
――誰かに甘えれたい。甘えられたい。頼りにされたい――
 などといった感覚はいつも心の中にある。だが、まわりはそんな目で見てはくれない。
「君は一人でいろいろ考えている方が、様になっている」
「その方がより力が出せるんじゃないか?」
 無責任な発言には違いないが、納得できる自分も自分だ。
 躁鬱の気があることに気付いたのは、そんな時だった。小学生の頃からあったのかも知れないが、一人でいることの方が多かったのに、そのことに違和感を感じることがなかったので、気付かなかったのだろう。だが、異性に興味を持ち始めた頃から自分に躁鬱の気があることに気付いた。まわりを気にするようになったからだろう。
 まわりを気にすれば自ずと自分のことが気に掛かってくる。鬱状態は周期的に訪れていたのだが、季節感としては冬の頃の方が重たかったように思う。
 日が沈むのも早く、冷たさが身に沁みるからだったに違いない。だが、夏になった鬱状態は、果てしなく続きそうな不思議な感覚をかもし出している。
 私の鬱状態は、半月くらい続くだろうか。誰とも話すのが億劫で、立ちくらみがした時に感じる嘔吐のような気持ち悪さがある。そういう意味では私はよく夏になると立ちくらみを感じる。身体が宙に浮いたような感じがあり、気がつくと手足が痺れている。
――ああ、このまま倒れこんでしまうんだな――
 という意識の元、しゃがみこんでいるようだ。
「大丈夫ですか?」
 近くにいた人が声を掛けてくれる。
「ええ、何とか」
 と答えるが、本当は声を掛けてほしくない。できればそっとしておいてほしいので、なるべく立ちくらみを起こす時は、まわりに人のいないことを願っている。下手に声を掛けられたり心配されると、却って意識してしまい、気持ち悪さが倍増してしまう。要するに私は自己暗示に掛かりやすいタイプなのだ。
「夏風邪は長引く」
 というのも当て嵌まるような気がして、そう感じれば感じるほど、長引いている。何を基準に長いか短いか分からないが、ひどくはならないわりに、治りそうで治らない感覚、それが長引かせているように思えて仕方がない。
 鬱病もそれに似ている。冬のように空気が重たいわけではなく、ただベタベタと湿気を帯びた気持ち悪い空気、身体から出た汗が身体にへばりついたようで、逃れられないように身体に纏わりついてくる。
 あまり重たくなく、ひどいという感覚はないのだが、セミの声などを聞くと、条件反射のように乾いてくる喉が、身体のだるさを感じさせる。まったく身体が自分の意志のもとに動かないのではないかと思えるほどにである。
――今度の風邪も長引くんだろうな――
 長引いて何が心配というわけではない。漠然と、考えているだけだ。考えればきりがないので、考えないようにしているだけなのかも知れない。
 私はそれからしばらくして退院できるようになった。本当であればもう少し掛かるかも知れないと言われたのだが、脅威の回復力だということである。
 病室の窓の外から聞こえていたやかましいくらいのセミの声、今ではもう聞こえない。季節は確実の秋の気配を感じようとしていた。
 毎日のようにやってきてくれるユカリは、いつも私を車椅子に乗せて病院の庭へと散歩に連れて出てくれる。
「もう、すっかり季節は秋なのね。そんなに熱くないわ」
「そうだね、今くらいが一番いいのかも?」
 とっくに九月も中旬を過ぎていた。入院したのが確かお盆明けだっただろうか? 一ヶ月近く入院していたのだが、今から考えれば短かった。
 最初は、
――何と長いんだろう? このままずっとここにいるのではないだろうか――
 と考えれば考えるほど鬱状態に入っていきそうな気分だった。夏の鬱状態が長引くように……。
 会社のことも心配だった。仕事が山積していることは分かっていて、ゆっくり英気を養う気分でいればいいのだろうが、元々がせっかちな性格で、ついつい先の事を考えて苦しむことの多い私らしいといえばらしいのだ。
「あまり心配することなんてないわ」
 ユカリは言ってくれるが、言われれば言われるほど気分は落ち込んでしまう。それだけ病院のベッドというのは、気分的におかしくさせられる魔力のようなものがあるのかも知れない。
 両親が時々来てくれる。
「勇作、大丈夫なの?」
 心配してきてくれているのだが、
「ユカリさんがいれば大丈夫ね。ユカリさん、勇作のことをお願いね」
 といって安心しきっている。両親の目にユカリは素敵なお嬢さんに写ったようだ。
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次