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袋小路の残像

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 おじさんもこんなに少ない遊園地を見たことがないのか、あすなよりも余計にキョロキョロしている。戸惑っていると言ってもいいだろう。その様子を下から見ていて滑稽に感じたので、おじさんには分からないように、クスクスと笑っていたのだった。
 遊園地では、アトラクションも並ぶことはなかった。逆に、
「今のままではお客さんはおひとりですので、ほんの少しで結構ですから、他にお客様が来られるまで、お待ちいただけますか?」
 と言われたほどだった。
 別に構わなかったので、
「いいですよ」
 と答えたが、それほど客が少ないということなのか。
 なろほど、まわりを見渡すと、客よりもスタッフの数の方が圧倒的に多い。最初に感じた通りだった。スタッフは余裕があるのか、雑談している人もいるくらいだった。
 考えてみれば、土曜日曜はこんなことはないはずだ。アトラクションには家族連れがたくさん並び、園内は人でごった返しているはずだからである。
 あすなもそんな光景しか見たことがなかったので、最初から平日は少ないと思っていたのだが、この光景は想定外だった。貸し切り状態は分かっていたが、ここまで自由だと、今度は寂しいくらいである。
――おじさんは、どう感じているのだろう?
 横顔を下から覗き込む分には、あまり何も感じていないようだ。
 どちらかというと、心ここにあらずとでもいうべきであろうか。その顔はまったくの無表情に感じられた。
 おじさんの顔を見ていると、自分とそんなに年齢が違わないように思えてきたのはどうしてだろう?
 遊園地という環境にいるからなのか、それとも父親や先生以外で、なかなか年上と接する機会がないから、新鮮に思う反面、年齢が離れているという感覚が嵩じて、年の近さを感じてしまったのかも知れない。
 父親や学校の先生といつも接しているという思いはあるが、接しているというほど親密感を感じたことはない。
――相手は大人なんだ――
 という思いが強く、近づけない存在であるという感覚があったのだ。
 だが、それだけではなく、
「近づきたくない存在」
 という思いも確かにあった。
 特に親とは隔絶した思いがあったような気がする。それは肉親という切っても切り離せない既成事実が存在しているからに他ならない。学校の先生にも一線を画したところがあるが、そこまで隔絶した感覚を持っていない。
 学校の先生に関しては、
「別に関わる必要もない存在」
 という思いがあったからだ。
 肉親という既成事実があるわけではなく、義務教育の中で、勝手に大人が決めた自分の担任というだけだ。既成事実以外で逃れられないものはないと思っているあすなには、勝手に決められたことを自分が義理がたく感じる必要などないという思いがあったのだ。
 おじさんに対してはどうだろう?
 血族という意味ではそうなのだが、肉親というほどの既成事実でもない。中途半端な気持ちになってしまうが、別に毎日顔を合わせなければいけない相手でもないし、何よりもあすな自身が嫌いではなかった。
 たまにしか会うことはないが、会った時に嫌な気分になったことなど一度もなく、どちらかというと、
「いつもお小遣いをくれる優しいおじさん」
 というイメージが大きく、会えることが楽しみなのは、やはり小学生の気持ちだからだとあすなは感じていた。
 今日は、そんなおじさんと一緒にいられることが嬉しかったはずなのに、最初の待ち合わせで見たおじさんの雰囲気がいつもと違っていることで、
――あれ?
 と一瞬感じたが、すぐに笑顔になったことでその思いは消えてしまった。
 だが、遊園地で覗き込んだその顔には感情が見えてこないことで、
――やっぱり今日のおじさんはいつもと違っているような気がするわ――
 と感じた。
 あすな自身、小学生なのにこんなに人間観察において、細かいところまで見ている自分に少し違和感を感じていた。
 人間観察をすることは嫌いではなかった。ただそれは駅で待ち合わせをしている時など、暇つぶしという意味での人間観察であって、その中でいちいち相手の感情まで思い図ることはなかった。
 しかし、今のあすなはおじさんの気持ちを思い図ろうとしている。この感情は一体どこから来るのか、自分でもよく分かっていなかった。
 おじさんは、しっかり前を見ている。いつものおじさんとは確かに違っていた。いつもであれば、もう少しあすなの方を見て、あすながどんな表情をしているのか確認しようとしてくれていると思った。
 この日はあすなのことよりも、自ら何か悩みでもあるのか、どこか上の空に感じられる気がする。
――これではいつもと逆じゃないの――
 と思ったが、悪い気はしなかった。
 いつもは助けられているという感覚があったことで、甘えていた部分もあったが、今日はあすなも精神的に落ち着いている気がしたので。
――今日は私がおじさんの癒しにでもなれればいいかも知れないわね――
 と感じた。
 元々、自分では面倒見がいいと思っていたあすなだったが、今まではそれを発揮できる機会がなかっただけだった。
 まわりからはきっと、
「あすなは自分のことばかりしか考えていない」
 とクラスメイトなどからは思われていたことだろう。
 あすなはあざといことが嫌いだった。わざとらしさが少しでも見えれば、やりたいと思ったことでも思いとどまってしまう。思いとどまったその時、自分がしようと思ったことを他の人にされることも結構あったが、その様子を見て、本当にあざとさが見えてしまうことで、
――やらなくてよかった――
 と感じさせられる。
「一歩踏みとどまって考えることが一番いいんだ」
 とあすなに感じさせたのは、この時の思いがあったからだ。
 別にあすなは慎重派だというわけではないが、まわりから見れば、
「石橋を叩いて渡るタイプの女の子」
 というイメージが強いようだ。
 悪いことではないのだろうが、小学生のように無垢で無邪気なのがかわいいと思われる年代なので、まわりからそう見られることが果たしていいことなのか、あすなには分からなかった。
 だが、あすなはそれでいいと思っていた。
「しょせんまわりからどう見られようとも、自分は自分」
 という思いが強く、それがあすなの基本的な性格を形成しているように思えた。
 それは自分でも感じていることだし、まわりも思っていることだった。もちろん、まわりがあすなも自覚しているなどということが分かるはずもなく、むしろ、本人はこんな性格を分かっているとしても、
「嫌いな性格なんだ」
 と思っているに違いなかった。
 あすなは学校でもどちらかというと孤立していて、あまり他の人と話すことはない。小学生というと、結構グループを作っているというイメージだが、彼女はどのグループにも所属していない数少ない人の一人だった。
 ただ、無所属の人たちを大人の目で見ていると、
「彼らには確固たる信念のようなものはまだないような気がする」
 という風に見えるようだった。
 中学生より大きくなって無所属であれば、確固たる信念のようなものが見え隠れしているのだろうが、小学生の間で無所属というと、
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次