袋小路の残像
「どの団体にも入ることのできない中途半端な気持ちしか持っていない」
というように思われているようだった。
そういう意味であすなは、大人から見ると、内容までは分からないが、何か自分の中で信念のようなものを持っているように見えることで、数少ない中でもさらに希少価値に値する人に見えているようだった。
いい意味でも悪い意味でも、
「変わり者」
と言っていいのかも知れない。
しかしあすなにとっての変わり者という称号は、自分としては嫌ではなかったに違いない。
もちろん、まわりからそんな風に思われているなど思ってもいなかったので、普段から一人を嫌と思うこともなく、孤立を楽しいんでいたと言ってもいいだろう。
負け惜しみというわけでもなく、あすなはその証拠に、まわりを見る目に関しては、他の人には負けないとまで感じていたのだ。
まわりを見るというのは、主観的にではない。あくまでも客観的に見ることができることが肝要だと思っていた。まわりに気付かれず、気付かれてしまったとしても、変な気遣いをさせないことが、大切だと思った。だから、そのためには客観的に見ることで、まわりを広く浅く見ることができると思ったのだ。
別に深く知る必要などない。一つのことだけを深く掘り起こしても、まわりから見えなければまったく無意味だと思っていた。
あすなはあまり自己分析をするタイプではないのだが、それは中学生になってからのことだった。今から思えば、小学生の頃は結構自己分析をしていたような気がする。
そんな小学生時代の自分をあすなはあまり好きではなかった。自己分析をするから好きではなかったわけではなく、中学に入ってから小学生時代のことは思い出したくないと思うようになったからだ。
その理由は五年生の頃くらいから、クラスメイトに苛めを受けていたからで、そんなに厳しい苛めではなかったが、思い出したくない思い出としては十分だった。
だが、そんな時でも自分を客観的に見ることができ、そのおかげで、それほど自分を嫌いにならずに済んだと思っている。そういう意味であすなは自分を客観的に見ることができる自分を、
――これが私の長所なんだ――
と感じていたが、実際には短所でもあった。
「長所と短所は紙一重」
と言われていることは知っていたが、まさかこれが短所であったなどという感覚はなかった。
「人の性格はよく分かる気がしていたのに、自分の性格が分かっていない」
それが中学生の頃のあすなだったが、中学生の頃の自分は決して好きではなかった。
その理由は、後から考えて、この考えが間違いだったと分かったからだ。本当は人の性格がよく見えていたわけではなく、客観的に見ただけで、奥までは見ることがなく、自分のことを分かっていないと思っていたが。それは自分から目を逸らしていたからだという逃げの感覚が自分の中にあったからだ。
――私は、これでいいのかしら?
成長期特有の精神的な堂々巡りを繰り返していたのだ。
人が少ないところにいるのは、好都合だった。いつも人が多いところにいることが多いので、あまり気分のいいものではなかった。あすなにとっては人が少ないのはありがたかったが、おじさんがどう思っているのか、よく分からなかった。
その思いがあったから、おじさんの顔を覗き込んだのだったが、その表情からは感情を思い知ることができない。
――人の表情から感情を読み取ることは難しいので、読み取れないのも仕方がないと思うが、今日のおじさんの気持ちが分からないのは、ちょっと嫌だな――
と思っていた。
なぜなら、おじさんと二人きりだからである。二人きりでいることで、今までおじさんには気を遣うことがなかったのに、その日初めて気を遣った気がするのは、大人の気持ちを思い図ろうという思いがあったからなのだろうか。
おじさんにとってあすなと一緒にいるのはどんな気分になるのだろうか。あすなはあまり気にしたことはなかったが、この時、おじさんが無表情だったことで、そのことも気になるようになってしまったのだった。
「そういえば、おじさんは今日、お休みなんですか?」
と聞くと、
「うん、今日はこの間休日出勤したので、その代休なんだよ」
と答えてくれた。
会った時に比べて、少し顔色も悪くなったような気がしたのは、最初におじさんに出会った時、出会えたことに安心したような気がしたからだ。
館内は静かだったが、遠くの方からBGMのようなものが聞こえた。遠くの方から聞こえたと感じたのは、音が小さいからというよりも、スピーカーから聞こえてくるからなのか、音が籠っているように聞こえるからだった。
音楽はクラシックだったように思う。行進曲のような感じで、まるで運動会のような音楽に、イメージはあまりよくはなかった。運動音痴のあすなには、行進曲は嫌いな部類の音楽だった。
籠って聞こえるのは幸いだった。
「聞こえないようにしておこう」
と思えばできないこともなかったからだ。
遊園地のアトラクションを二つくらい乗ってからのことだっただろうか。時間的には入館してからまだ三十分も経っていなかっただろう。あすなとしては、もっと時間が経っているかと思ったが、おじさんから、
「まだ入ってから三十分も経っていないんだね」
という言葉があったからだ。
あすなとしては自分が時間を気にしたことよりも、おじさんが時間を気にしていることの方が気になっていた。
――私と一緒にいると、時間ばかり気にするのかしら?
という思いがあったからだ。
最初に遊園地に入った時、あすなが感じたようにおじさんもきっと、
――これだけ人が少ないと、本当に自由に何でもできる――
と思っていたに違いない。
しかし、あすなはそんな思いはすぐに薄れてしまって、寂しさを感じるようになっていた。確かに休みの日にしか来たことがなかったので、こんなに少ないのは願ったり叶ったりのはずなのに、どこか物足りない思いになるのはなぜなのだろう?
親の都合でおじさんが駆り出されたという事情が分かっているだけに、おじさんに余計な気を遣わせることはあすなには喜ばしいことではない。そんなおじさんを見ていると、たとえ三十分くらいとはいえ、もっと時間が経っていたような気がしていたのだ。
おじさんも、あすなと同じように時間がなかなか経ってくれないことを気にしている。それはきっと自分の身の置き所を戸惑っているからなのかも知れない。
あすなは、まわりに活気のないこの環境の中で、いかに時間を有効に使うべきか、考えあぐねていた。きっと何か新しいことが起こってくれればいいのだが、何も起こりそうにないこの状況に気を揉んでいるのを感じていた。
そんな時だった。さっきまで動いていなかったアトラクションの一つが動き出した。そこには誰かが乗っている様子は見受けられなかったので、何か不思議な感じを受けたが、おじさんも同じように不思議な感覚を抱いているようで、じっと、そのアトラクションを眺めていた。
すると、その反対方向で物音が聞こえたかと思うと、さっきまで何もないと思われたその場所に色鮮やかな服を着た、怪しげな人影が見えた。