袋小路の残像
ただ前に会ったのは、半年ほど前のことであり、小学生の頃の半年というと、かなり昔のことのように感じられる。
それは自分が成長しているという意識があるからなのか、それともまだまだ思春期の成長期には程遠いという意識がありながら、それでも今も成長期だという意識があるからなのか分からないが、成長の度合いの勘違いがそのまま時間の感覚を想像以上に長引かせているということに気付いていなかった。
意識としてはあっても、気付いているわけではない。この複雑な感情は、この頃から培われたのかも知れないと思っているあすなだったが、小学生の頃を中学生、高校生になってから思い出したくないと感じるのは、前だけを向いていたからなのか知れない。
前ばかりを見ていると後ろにあったものを否定してみたくなる傾向にもあった。
「小学生の頃の自分なんて」
と思ったことも何度もあった。
小学生の頃の自分を、お世辞にも好きだったと思えないあすなだったが、それは、
「小学生の頃から、いつも本心とは別の感覚を思い描いていたような気がして仕方がない」
と思ったことだった。
もちろん、小学生の頃の自分にそんな自覚があるわけではない。しかし、素直になれない自分がいたことは自覚していた。その性格がそのまま思春期に入ってしまったことで、余計な感情を抱いてしまい、素直になれない自分を演出してしまうことも、しばしばあった。
あすなはそんな自分をあざといという風に感じていた。そこには打算的な計算があり、しなくてもいい計算をしてしまったことで、余計な感情に火をつけてしまったという思いである。
あすなは成長期にこの時のおじさんとの待ち合わせをふいに思い出すことが何度もあった。
それは、ふいに思い出すのであって、別に何かの前兆を感じるわけでもない。
「気付けば思い出していた」
という感覚に似ていて、思い出したことに何かの理由があるとは思えなかった。
あすなは、おじさんを待ちながら、いろいろなことを頭に描いていたような気がする。その感覚が約束の時間まで、長いものに感じさせるのだろうが、その理由には、
「待ち合わせの相手が、約束の時間までくるということはありえない」
という思いがあるからである。
約束の時間までには間に合わないということを前提に考えていては、実も蓋もないとは思っていたが、実際には、
「十五分は必然の時間」
と思っていたのである。
その思いは最初の頃よりも後になってからの方が強く、それは小学生の頃に絶頂を迎え、中学以降では、飽和状態のまま平行線を描くようになっていた。
待ち合わせのその日は、なぜかいつもよりも時間を長く感じた。それは一秒、一分という単位が長かったというよりも、時間の流れはいつもと変わりはないのに、その日だけはさらに時間が長くかかった感じがした。
いつもの十五分を長く感じる時というのは、一秒、一分という単位で長さを感じていたはずなのに、その日は違っている。子供の頭で考えると、
「どこかに時計が止まった時間があったんじゃないかしら?」
という思いだった。
「子供の頭で」
と言ったのは、大人であれば、
「こんなバカバカしい考えは」
ということで、最初から、あるいは早い段階で、その考えを否定する動きを頭の中が見せるからだった。
しかし、子供の無垢な頭で考えると、大人がバカバカしいと思うようなことでも素直に考えてしまう。それをいい悪いという判断で片づけられないとは思うが、あすなは実感として、
「時計が止まった時間があったのではないか?」
と感じたのだ。
子供の頃に感じた実感というものは、大人になっても残っていた李する。忘れることがあったとしても、ふとした拍子に思い出すことが多い。しかも、そのふとした拍子というのが、結構な割合であったりするから、大人になって、子供の頃のことを思い出して、
「前にも同じような感覚に陥ったことがあったような気がする」
という、いわゆるデジャブ現象を引き起こす原因になっているのかも知れない。
待ち合わせの時間までこんなに時間があるとは思ってもいなかったので、思わず人間観察をしてしまうあすなだった。
普段からこの場所によくいるのだが、こんなに待ち合わせをしている人が多いとは思ってもみなかった。いつもはほとんどが素通りなので、駅前に人がタムロしていることは分かっていても、そこにいる人のことをいちいち意識まですることはなかった。
年齢的にはやはり十歳代から二十歳代が多いだろうか。友達を待っているのか、それとも恋人を待っているのだろうか、今日初めて意識したあすなには、すぐには分かるものではなかった。
だが、十五分という時間を結構長いと意識していると、時間の感覚がマヒしてくることもあって、時系列を逆に意識することで、自分が彼らと同じ待ち合わせをしているような感覚になった。
自分も待ち合わせをしているのだが、お互いが決めた待ち合わせではなく、親から、
「おじさんが来てくれているから、駅で待ち合わせなさい」
と言われただけなので、明らかに他の人とは違う。
まだ小学生の低学年なので、自分から一人で人と待ち合わせをするなど考えたこともなかったので、一人で待っていると普段考えないようなことを考えているようで、少し大人になったような気がしてきた。
まわりを見ていると、一人気になる男の子がいた。
――いくつくらいなんだろう?
小学生の低学年から見れば、中学生でもかなり大人のお兄さんというイメージである。
その人は意識しなければまったく目立たないタイプの男性で、なぜあすながその人を意識したのかは自分でも分からなかったが、意識してしまうと、意識を他に持っていくことはできなかった。
その人は、最初まったく微動だにせずに立ち竦んでいた。まるでそこだけ時間が止まってしまったかのように感じられ、彼を見ていると自分まで固まってしまいそうな錯覚を覚えるくらいだった。
あすながその男性の顔を覗き込むように見ていたが、相手はまったくあすなに気付くことはなかった。一定の距離があり、意識しないのも分かるのだが、それをいいことに、あすなはその人から視線を逸らすことはできなくなってしまった。
ずっと見つめていると、自分の首が硬直してくるのを感じた。首筋が冷たくなっていくようで、凍り付いてしまったかのように感じるのは、顔をそむけたくないという意識からなのだろうか。
その男の子はきっと彼女を待っているのだろう。しかも今日が初デートかも知れない。あすなは自分がまだ小学生の低学年だという意識を持っていながら、そんな大人の考え方をするという複雑な心境になっていた。
思わず、
――私って二重人格なのかしら?
とも感じた。
もっとも、その頃、二重人格などという言葉も知らなかった頃なので、あくまでも感じたまま、言葉を当て嵌めることもできるにいただけのことだった。
あすなは目の前にいるその青年のことを、
――前にもどこかで見たことがあるような気がする――
と思った。
だから、普通なら気にすることもないその人のことを意識してしまったのだと、自分で理解していた。
その男性の行動は、最初こそ、