袋小路の残像
あすなが宿題があることを忘れていたその時、同じように宿題があることを忘れていたと言ったクラスメイトも、どうやらその一度きりのことだったようだ。
その日、宿題をしてこなかった人はあすなを含めて五人いたのだが、もう一人は、宿題があることを忘れていたと言った人であり、他の三人は何も答えなかった。
あすなのまわりの人は優秀だったというべきか、それまでもそれからも、宿題を忘れてくる人はあまりいなかった。忘れてくることがあったとしても、いつも同じ人ではない。本当に忘れていたのだろう。だが、それが宿題があることを本当に忘れていたのだとは思えなかった。
本当に宿題が出たことまで忘れていたという時は、明らかに他とは違っていた。実際にあすなも宿題があったと学校に来て言われた時、自分の中から変な汗が滲んできたのを感じていた。
――何かしら? この感覚は――
と感じた。
そして、宿題があったこと自体を忘れていたと告白した人も、明らかにその日の挙動はおかしかった。精神的に尋常ではなかったのか、おかしな汗を掻いていたのは否定できないことだろう。
あの日の宿題を忘れた五人のうちの三人は、本当にただ忘れただけなのだろう。
「あっ、しまった」
という表情が感じられた気がした。
それは忘れていたことへの驚きではなく、忘れてしまったことで先生に叱られること、そしてその後の課題をこなさなければいけないという罰への思いが強かったことから感じたことだった。
つまりは彼らには明らかに自戒の念があり、
「忘れてしまったことはすべて自分に責任がある」
と感じていたことであろう。
あすなは宿題があったことを覚えていなかったのを自分のせいだとはまったく思えなかった。
――覚えていないんだから仕方がない――
という思いがあった。
その代わりに、
「忘れてしまっていたこと自体に自分の中で大きな欠陥を感じさせることに恐怖を感じる」
という思いを抱かせたのも事実なのだ。
あすなは、その日以降何が肝心なことなのかを考えるようになっていた。
物覚えに関しては、小学生の頃は特記するようなことはなかったと思う。別に暗記科目が得意だったとかいう意識はなく、成績も万遍なかった。
とは言っても、万遍なく成績がよかったというわけでもなく、平均より下であったことは確かだ。だから余計に成績に関して何が得意だったかとか、苦手だったとかいう意識は低く、勉強ができたわけではないという漠然とした意識が残っていただけだった。
ただ、一つ言えることは、
「人の顔を覚えるのが苦手だ」
ということだった。
人の顔を覚えられる人を尊敬するくらいに人の顔を覚えることはできなかった。そういう意味では、自分以外の皆すべてを尊敬していると言ってもいいだろう。それだけ人の顔を覚えることに関しては致命的に苦手だったのだ。
それは自分の小心者だという性格が起因しているのかも知れない。
あれはいつのことだったか。小学校の三年生くらいの頃だっただろうか。ある日、親戚のおじさんがあすなを遊園地に遊びに連れて行ってくれるということになったことがあり、その約束の場所にあすなが一人で出向くことになっていた。
父親も母親も、その日はどうしても外せない予定があり、あすな一人となるので、おじさんがその日、あすなを引き受けてくれることになったのだ。
約束は近くの駅で待ち合わせるところから始まった。
「朝の十時に、おじさんが駅まで来てくれるから、あすなはそれまでに駅に行っていて、おじさんを待っていればいいわ」
と、母親からは簡単にそう言われただけだった。
あすなもその頃までは、自分が人の顔を覚えられないなどと思っていなかったこともあり、気軽に、
「はい」
と了承した。
普段から、両親以外の親戚の人とどこかに行くなどなかったことなので、少し緊張していた。その緊張は喜びの緊張であり、楽しみで半分眠れなかったと言ってもいいだろう。
家族で旅行に出かける前の日、寝付けない感覚と同じだった。相手がおじさんというだけで行き先が遊園地と言っても楽しみは倍増する。ちょっとした冒険心のようなものだった。
駅に十時でいいのに、九時半くらいには駅についていた。父親はその日、前の日からの出張で家にはおらず、母親も町内会の出事で、早朝から遠方へ出向くことになっていたので、目が覚めた時には、すでに母親はいなかった。
「レンジで暖めて食べなさい。後は今日、おじさんに失礼のないように」
という置手紙とラップにくるまれた朝食が置いてあった。ハムエッグにトースト、コーヒーはお湯を入れるだけになっていた。
今までには、朝食時に母親がいないなどということはほとんどなかったが、寂しいというよりもその後のおじさんとの時間を考えれば、ウキウキした気分になっていた。
朝食は思ったよりも早く食べられた。いつもであれば母親や父親がいて、部屋にはテレビがついているのが恒例だったが、一人だとテレビをつけようなどとは思わなかった。
この感情は、あすなが抱いていた思いとは実は反していた。
あすなは、リビングに一人でいるという感覚を意識したことが今までに何度かあった。その時、部屋にはテレビがついているのが当たり前だという意識でいた。今までの感覚から、
「テレビがついていないなど考えられない」
という考えがあったからだ。
実際に母親がいる時、テレビがついていない時もあったが、すぐに母親が気付いてテレビをつけた。
「本当に殺風景よね」
と一言言って、テレビをつけたのだ。
どちらかというと社交的で、いつも誰かと一緒にいるというイメージの強い母親は、家でも殺風景を嫌う。かといって部屋を派手派手にするという意識はないようで、シックな中に、寂しさを感じさせないセンスを持ち合わせていた。それが母親の長所であり、いつも誰かがまわりにいるということが日常茶飯事に感じられる母親の大きな特徴なのかも知れない。
家で一人で朝食を食べていると、
――もっと寂しく感じると思ったのに――
と感じたが、実際にはそうでもなかった。
表から差し込んでくる朝日が、ちょうど心地よく、下手にテレビなどついていない方が優雅な気分にさせてくれそうな気がしたのだった。
今までに一人で過ごす朝食の時間がなかったわけではない。両親とも共稼ぎで、それぞれに忙しいというのは分かっていた。だから、あまりわがままは言えないという意識があすなにはあった。
ただ、その思いが強いせいか、一人でいてもさほど寂しさを感じないようになった。寂しいという意識はあるのだが、
「だから?」
と思うのだ。
寂しさという感覚がマヒしているのかも知れない。そのうちに一人でいることも悪いことではないように思えてくると、一人でいることを孤独と思うよりも自由なのだと思うことの方が強くなった。
それは、あすながポジティブに物事を考えているからではない。どちらかというと消去法の中で、自由だという感覚が残ったのだと言ってもいいかも知れない。
自由という感覚と孤独という感覚が同居しないものだとは言えないだろう。
――ひょっとすると別次元での同居なのかも知れない――