袋小路の残像
たとえば、宿題があること自体を忘れていたなどというのは、普通ではありえないと思っていたのは自分の勝手な考えであり、実際にはもっと普通に起こるべきことだったのではないかということである。
しかし、考え方としては皆あすなと同じように、宿題が出ていたこと自体を忘れるなど稀であると思っていると、それを公開することを恥だと思い、誰にも言わないという風潮になるだろう。そのためにタブーが生まれ、そのタブーは公言するということになってしまう。
ただ、この考え方が一番ありえそうな気がしているのだが、一番認めたくない事実でもあった。なぜならそれまで宿題を忘れてしまった自分に対して、別の考えを持っていたからだ。
宿題が出ていたことを忘れるなど、本当に稀なことであって、他の人ではありえないことだと思っていた。そんな自分を納得させるためと、まわりから変な目で見られないようにするために、このことは公言してはいけないと思うようになっていた。
あすなには、誰でも一つはあすなが宿題が出ていたのを忘れてしまっていたということのような、人には言えないことを一つは抱えていると思っている。それが自分を納得させる材料の一つにもなっていたし、その方が自分が救われると思ったからだ。
それは同じことであってはならないという勝手な考えもあった。これだけ人がいるのだから、同じようなことを感じている人も中にはいるだろうとは思っていたが、まさか身近にいるはずなどないと思っていた。それは思っていたというよりも、言い聞かせていたと言った方がいいかも知れない。
やはりまわりに同じような考えの人がいれば自分が怖くなるという思いがあったからだ。自分の考えを根本から否定されたような気がして、それが恐ろしいのだ。
だからあすなは、クラスメイトの女の子という、身近すぎるくらい身近な存在に同じような考えの人がいたことで、恐怖を覚えたのだ。
――どっちなんだろう?
偶然身近にいただけと解釈すればいいのか、それとも、宿題が出ていたことすら忘れてしまうという状況はあすなにだけ起こることではなく、いつ誰に起こっても無理もないことであり、稀なことではないと考えるべきなのか、まったく分からなかったからである。
あすなは、宿題が出ていたことすら忘れてしまったことを、物忘れが激しいと言えることなのかどうか考えていた。
あすなが宿題が出ていたことを覚えていなかったのは、頻繁にあることではなかった。たった一度だけのことだったのだが、まわりに自分と同じような人がいることで恐怖を感じなければ、自分を物忘れが激しいなどと思うこともなかっただろう。
たった一度のことが、その人の(あすなにとって)心ない告白のために、あすなにとってトラウマのようになってしまった。
「また同じようなことが起こるんじゃないだろうか?」
という思いが募ってきて、たった一度のことだったはずが、頭から離れなくなってしまったことで、自分の性格に見えない何かの力を与えてしまっているのではないかと思うようになっていた。
あすなは、小学生の頃から確かにうっかり何かを忘れてしまうということが多かった。授業では、時間中ずっと緊張して聞いていたので、ほとんど忘れることもなく覚えていると思っていたのだが、その時の授業で習った中で一番肝心なところを忘れてしまい、それがテストに出て、答えられなかったということもあった。
「あすなにしては珍しいわね。こんなところを間違えているなんて」
と、算数のテストで、円周率から計算する計算問題を間違えたのだ。
テストの時は、
――あれ? 円周率って?
と、問題を見るまでは覚えていたのだという自覚があったのに、問題を見た瞬間忘れてしまったせいで、間違えたのだと思っていた。
しかし、答案用紙が採点されて戻ってきた時、友達にそう指摘されて初めて自分が授業中聞いていたはずなのに覚えていなかったのだということを思い知らされた気がした。
円周率という言葉は分かっていた。小学生の頃なので、そんなに難しく考えないように、円周率は「三」として覚えていた。
それなのに、答案が返ってきて、友達から、
「あすなは、円周率が三だってこと、分かってなかったの? それとも単純な計算間違えなの?」
と聞かれたが、明らかに円周率が分かっていなかったことは分かっていた。
なぜなら計算の答えは、円周率を五として計算すれば求まる答えだったからだ。円周率という考え方は分かっていて、それが三という数字だということを自覚していなかったことで、当てずっぽうに求めた円周率が五だったというわけだ。
三で計算すれば求まる答えをどうして簡単に求めることができなかったのか、納得させることができず、結局、
「算数の授業で、肝心なところを覚えていなかったというだけのことなんだ」
と思うしかなかった。
だが、
「覚えていなかっただけ」
という、この「だけ」というところが問題だった。
たったそれだけのことだという意識があるから、あれだけ他のことは覚えているのに、本当に覚えなければいけないはずの肝心なことを覚えていない。
「円周率という言葉は覚えているのに、三という数字を覚えていなかったんだ」
ということをトラウマのように思っていた。
だが、実際にはそうなのだろうか?
学年が進んで五年生くらいになると、それまで三だとして覚えていた円周率を、三・一四だとおぼえなおさせられた。
一度間違えた、いや忘れていて答えられなかった答えは二度と忘れないようにしっかりと覚えていた。それなのに、せっかく覚えた三という数字が今度は小数点がついて、その第二位まで計算しなければならなくなった。それを思うと、
「円周率というのは、その存在自体が問題なのであり、いくつで計算するかというのは、さほど問題ではない」
と言えるのではないか。
つまり、三であっても、三・一四であっても問題ではなく、円周率というものが円の周囲を求めたり面積を求めるうえで必要だというやり方とその理屈が大切だということになるのだろう。
自分が低学年の頃に答えられなかった答えは、一体何を意味するのだろう。自分は円周率という意識は持っていたのだから、それはそれで悪かったわけではない。それを思うとトラウマとして捉えている自分がバカバカしくなってきた。
あすなは、そのトラウマから解放された気がした。
トラウマというのが、そんなに簡単に解消されるものではないということは分かっているつもりである。それなのに解放されたと思ったのは、何を根拠にしてなのか、自分では意識していなかった。
トラウマが解消せれることに、そもそも近峡などいるのかどうかすら分からなかったからである。
円周率をしっかり把握できるようになると。円周率の数字を忘れていたということすら、意識から消えていた。おそらくトラウマから解消されたという安心感が、そうさせたのだろう。
宿題があることすら忘れてしまっていたというのは、一度きりのことだった。だが、このことは円周率を忘れていたということよりも簡単に忘れることはできなかった。