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袋小路の残像

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 確かにおじさんと遊園地に行った時、何かをずっと考えていたような気がする。おじさんはそのことを分かっていて、あすなに考える時間を与えてくれていたようだ。なぜならおじさんが話しかけてくれた時は、あすなが我に返ったその時であり、あまりのタイミングの良さに、あすなはそれがおじさんのおかげだとは思えなかった。だから、おじさんのことを頼もしいとは思いながらも、どこが頼もしいのか、そして両親とどこが違うのか分からなかった。
 きっと、この気の遣い方が両親とは違ったのだろう。だがそれは仕方のないことで、親というものはどうしても贔屓目に子供を見てしまうもの。贔屓目に見てしまうと、自分の所有物であるかのような錯覚に陥ったとしても、それは無理もないことだとあすなは感じていた。
 あすなは、時計を思い浮かべてみて、ふと疑問に感じた。その疑問に感じたことをお姉さんにぶつけてみることにした。正解を求めようと思っているわけではない。お姉さんがどう考えているか聞いてみたかっただけだ。
「お姉さん、一つ質問なんだけど」
「何?」
「時計の針って、長針と短針があるでしょう? どうして分を表すのが長針で、時間を表すのが短針なの?」
「うーん、それは難しい問題よね。でも、私は以前人に聞いたお話だったんだけど、自分では納得できる答えだったので、それを信用しているんだけどね」
「それはどういう発想なんですか?」
「短針というのは、長針の回転に応じて論理的に進んでいくでしょう? つまりは時間を調整するには長針だけを動かせばいいという発想から、長針が分針になったという発想なのよ」
「どういうこと?」
「昔の柱時計なんかそうだったんだけど、時計が止まってしまった時、時間を合わせる時って、長針をグルグル動かすでしょう? 長針をどんどん回していけば、短針は勝手についてくる。だから、一番動かしたい針を長くしたという発想なのよね。短い針をグルグル回したら、長い針が邪魔になるでしょう?」
「あっ、なるほど」
「昔の時計を知っている人なら、発想できるかも知れないけど、今は皆デジタルになって、針すら意識しないようになっているから、使い勝手というのもあまり意味をなさなくなっているのかも知れないわね」
 とお姉さんは言った。
 なるほど、理論的な意味で実に納得できる回答である。
 あすなの家には、あすなが小学校低学年の頃まで柱時計があった。マンション暮らしのあすなの家には実に珍しいものであったが、父親が骨董に興味があって、時々アンティークショップに立ち寄っていたらしい。その時に見つけてきたという柱時計があり、その記憶だけはかなり衝撃的に残っていた。
 もっとも、物心ついた頃からあったものだから、
「あって当然」
 という意識が強く、自分の家にあるのだから、他の家にもあるのだろうという思いがあったのも事実だった。
 だが、実際には友達の家に行った時にも見たことがなく、逆に人が家に来た時は、相手が大人であっても、いや、大人だからこそ、
「いや、何これ。こんなの見たことがない」
 と言って、感動されたものだった。
 柱時計があった最後の頃くらいから、あすなが学校から帰ってきて一人になることが多かった。静けさの中で聞こえる柱時計の振り子が刻む休むことのない一定の時間で刻まれる振り子の音は、恐怖を煽るには十分だった。
 最初の頃こそ、そんな中にいるのがいたたまれなくなる気分だったが、次第に慣れてくると、ずっと聞こえる振り子の音がまるで催眠術にでもかかったかのように、睡魔を誘うものであることに気付くと、別に嫌ではなくなっていた。
「どうせ一人ですることもないんだから」
 と、睡魔を嫌うこともなく、その状況に身を任せることにした。
 半分くらいは、そのまま眠っていたことだろう。眠らなくても、何かをする気分にはなれず、テレビをつけて、モニターに映し出された映像を、何も考えることもなく眺めているだけだった。
 その柱時計はいつの間にか取り外されていて、家ではデジタル時計しかなくなってしまった。
  柱時計は部屋のどこから見ても見ることができるほど大きなものだったのに、デジタル時計は本当に小さなもので、近くまでいかないと時間を確認できないほどだった。
「あの柱時計は、時計としての機能というよりも、この部屋のシンボルという意味で、部屋の中でのデザイン効果は抜群だったんだわ」
 と、時計がなくなったことで感じる閉塞感を、あすなは脱ぎ諌ることはできなかった。
「そういえば、うちには昔、柱時計があったのよ」
 とあすなはお姉さんに言った。
「そうなの? 実はうちにも柱時計があったのよ。うちの主人が骨董が好きで、ふとした時に買ってきたのよね。今から思えば、ここのお宅にお邪魔した時があったんだけど、その後くらいに手に入れたって言っているのよ」
 とお姉さんは言った。
 あすなはその時、ふと閃いた。
――ひょっとして、その柱時計って、うちにあったものなんじゃないかしら?
 と感じた。
 捨てるにはあまりにももったいない。それはあすなも思っていたことだが、急になくなってしまったことへの寂しさは、今から思い出しても思い出せるほどだった。
「柱時計なんて本当に珍しいですよね。でも、あの振り子の音を聞くと、いろいろなことを思い出すことができる気がするの」
 とあすながいうと、
「私は振り子の音を聞くと、小腹が空く感じがするのよ。コーヒーを淹れて、クッキーを食べたくなるような気分になるわ」
 もろ和風の柱時計に、洋風のコーヒーとクッキー。一見不釣り合いに感じるが、明治時代であればどうだっただろうか?
 柱時計という当時としてはハイカラとも思えるアイテムと、西洋からのコーヒーにクッキー、西洋館の中での昼下がりを思い浮かべ、あすなは高貴な気分に浸っていた。
 あすなは西洋屋敷を思い浮かべていると、その向こうに何かが見えてきた気がした。そこにはゲートがあり、ゲートの向こうには大きな広場がある。その奥には西洋屋敷が、今あすなの思い浮かべた形で佇んでいる。
――あれは、遊園地だわ――
 広場は、無駄に広い、スタッフのみで客は誰もいない光景だけが思い浮かんだ。
 休日に出かけた時の遊園地を、一度平日に行ったあの時の残像が思い出させようとしないかのように、強烈な印象を上書きすることで、あすなの記憶の奥に封印してしまっているのだろう。
 あすなはそのことは分かっている。風もないのになぜそこにあるのか分からない紙屑が転がるように舞っていた。
――これって夢だったんじゃないのかしら?
 時々思い出す光景に、そのほとんどの時、感じることだった。
 どうして夢だったと思うのか、実際に見たことを、そう何度も思い出すことはないという思いがあった。しかも、思い出したとしても、その時々で感じ方が違っているというのが、あすなの理論だった。だが、あすなが思い出す時は、感覚的にブレはほとんどない。無意識の上に築かれた感覚は、無意識が作り出した虚栄のようだ。
 夢の中だからこそ作り上げられる虚栄を、起きている時に見ることなどできないとずっと思っていたのに、一度これが夢だと思うと、何度もこの光景を想像することができるようになった。
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次