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袋小路の残像

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「でも、人の顔を覚えられないんじゃなくて、覚えていたことに対して、他の残像が入り込んでしまったことで上書きされてしまったって考えたことはなかった?」
「というと?」
「人間の目は二つあるけど、脳は一つしかない。二つの目で見ても記憶している残像は一つしかないの。だから、人の顔を残像として意識している間、他の人の顔を見ても残像として残してしまう衝動に駆られるんじゃないかしら?」
「どういうことなんですか?」
「残像を意識するあまり、残像として残しておく必要のない人の顔を残像として残してしまうという癖のようなものと言えばいいかしら? 習性なのかも知れないわね」
「それは、お姉さんにもあると思っているんですか?」
「ええ、私にもあったのよ。今あすなちゃんが言ったように、残像として残そうとしているのに、結果としては残っていない。だから、残像が残っていないと考える。一種の三段論法の類だと思うの」
「なるほど、それだったら分かります。四角形の対角線を行くような感じですね」
「ええ、ワープとでもいうのかしら?」
「なかなか難しい表現をするんですね」
「私は大学で理工学を専攻したので、実は考え方がどうしても物理学や理工学に偏ってしまうことがあるの。でも学校を卒業してから、学生時代とまったく別のことを勉強してみたくなったのも事実かしら?」
 あすなも、高校生になって、今は大学受験のための勉強を詰め込みという形でやっているが、そんな勉強を面白いと思ったことはなかった。
「私も受験勉強しかしていないので、勉強を面白いとか楽しいとか思ったことはないわ」
「じゃあ、勉強って面白くない?」
「面白いか面白くないかというよりも、達成感のためにやっているという感じかしら?」
「達成感?」
「ええ、自己満足と言われるかも知れないけど、今日はここまでやると決めてやれば、面白くない勉強でも、達成したという一種の満足感に浸ることができる。受験勉強をしている中での唯一の充実感とでもいえばいいのかしら?」
「それはいいことだと思うわ。世の中のことでどんなに楽しいことでも、百パーセントの楽しみがあるわけではない。逆にどんなにつまらないことであっても、何か楽しみを見つけることはできると思うの。それは視点を少し変えてみるだけでできることであるんだけど、本当はそれが難しいのよ」
「どうしてですか?」
「それは自分が納得しなければ感じることができないものだからよ。どんなに人から言われても、自分で感心しない限り、その人が言っていることは一般論として受け取ってしまう。一般論としてしか感じることができなければ、それは相手の押し付けであったり、相手の自己満足に自分が付き合わされているだけというマイナスの気持ちしか生まれてこない。そうなってしまったら、話を聞いていることさえ苦痛に思えてくることでしょう。それを思うと私も同じ道を歩んできたということをいまさらのように思い出すことができるのよ」
 とお姉さんはしみじみと語った。
 まさにその通りである。あすなは話を聞きながら自分でもそう思っていたことに気付かされた。ただそれを言葉にして話をするということは自分にはできない。きっとまだ自分を納得させるだけの材料と経験が自分にないからだと思った。その二つがないことは、まだ自分が子供であるということの証明のような気がして、人に話すことは相手にも失礼だと思うのだった。
「まさしくお姉さんのいう通り。でも私にはそれを口にできる資格もなければ、自信もない」
「それでいいのよ。今のあすなちゃんは、いろいろな人から話を聞いたりして、自分の中で充電する時期なのかも知れないわね。でも、この時期って大切なものなのよ」
「どうして?」
「情報をたくさん詰め込むわけでしょう? 詰め込んだ情報の何が大切で何が大切でないかなど、今はまだ分からない。だから頭の中の整理整頓が必要になってくるの。そういう意味で、今のあすなちゃんはそれができるようになった。だから、私は敢えてあすなちゃんにこのことを話しているのよ」
 と言ってお姉さんは、今度はホッとしたような表情になった。
 このホッとしたような表情に対しあすなは、
――言いたいことをいうことができたという達成感と満足感からのホッとしたような表情なんじゃないかしら?
 と感じた。
 そこには、
「やっと言えた」
 という感情が先に立っているから、ホッとしたような表情を感じるのかも知れない。
「あすなちゃんは、本当は記憶力は悪くないと思うの。だから余計なことを考えず、つまりは人の顔を覚えられないということを必要以上に悪いこととして考えず、それよりも整理整頓という意識が身に付いたことを喜ぶべきだって思うのよ。そういえばあの人も言っていたわ。製紙整頓ができるようになると、別の世界が見えるようだって」
「別の世界?」
「ええ、あの人はそれを時計の針で例えて話していたのよ」
「時計の針? っていうと、時間を表す短針と、分を表す長針のこと?」
「ええ、その針のことよ」
「どういうことなのかしら?」
 あすなは、頭の中で時計を思い浮かべていた。
 デジタル時計を見る機会が多いので、なかなかアナログの針が付いた時計を見る機会もない。それだけにたまに見かけると何かが気になる気がしていたのだが、それがどこから来るものなのかまではハッキリと分からないので、ついつい時間を忘れて無意識のうちに時計を見ているという皮肉めいたことになっていることがあった。
 さっきお姉さんが、理工学的な考えをよくすると言っていたが、あすなも時計を見ていると時間に対しての理工学的な考えが浮かんでくる。
 そもそも期間や時間というのは、どうして十二という単位が多いのだろう?
 一年は十二か月、一日は二十四時間だが、昼と夜を分けると十二時間ずつとなる。だから時計も十二時間で一周するように作られているのだろう。そこにどんな意味があるのか調べたことはなかったが、疑問としては絶えず持っているような気がする。
 絶えず潜在的に持っているために、いちいち気にすることはない。まるで目の前にあっても誰にも気にされない「石ころ」のようなものではないか。
 あすなは時間などの普段生活するにあたって、切っても切り離せないものの中に、単純には割り切れないものがたくさんあることを意識していた。
――そういえば、私って子供の頃から、いつも何かを考えていたような気がするわ――
 そんなことは分かっているはずなのに、我に返ったかのように改めて考えてみると、そのこと自体が不思議に感じられる。
 あすなはお姉さんの話を聞きながらも、お姉さんの話に共鳴しながら、自分独自の発想を頭の中に描いていることを分かっていなかった。我に返って分かったことであって。あすなは、自分が我に返るという感覚を、定期的に感じているということに、その時初めて気づいた気がしたのだ。
 絶えず何かを考えるようになったのはいつ頃からだったのだろう?
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次