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袋小路の残像

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 ゴミのほとんどは紙ゴミで、それ以外はあまりなかったように思う。薄暗い広場に白い紙が散見されることで、余計に喧騒とした雰囲気を感じさせたのだろう。
「これは片づけなければ」
 と自分の部屋であればあまり考えることのないことだったが、あすなは意識の中で、一人ゴミを拾い歩いていた。
 どうして自分の部屋だと躊躇ってしまう掃除を、この場所では簡単にできてしまうのか、ちょっと考えれば分かることだったが、その時はなぜか分からなかった。きっと夢を見ているという意識があったからだろうが、どうしてここだと簡単に掃除ができるのか、分かってしまうと、目が覚める気がしたのだ。
 目を覚ましたくないというよりも、少なくともゴミをすべて拾った後を見てみたいという意識があったからだ。あすなは膝まづいてゴミを拾い歩く。夢の中だからだろうが、ゴミ袋はちゃんと用意されている。
 拾ったゴミをゴミ袋の中にどんどん入れていく。自分の思っているようにゴミは次第に片づけられていき、掃除をすることが結構楽しいということに気付かされた。
 あすなは、自分の想定していた時間内にゴミを拾うことができ、広場はゴミ一つ残っていない綺麗な広場になっていることだろう。立ち上がって敢えて広場を見ないように少し離れた場所に前だけを見て歩いていった。
「このあたりでいいかしら」
 と思い、後ろを振り返って、広場を見た。
 あすなが振り返った場所は、ちょうど広場全体を見渡すにはちょうどいい場所であり、全体を見渡せる場所としては一番近いところに位置していたのである。
 あすなは振り返って愕然とする自分を感じた。思わず、
「なっ」
 と口走った。
 言葉にはなっていないのは、絶句していたからである。何か言うつもりだった言葉を飲み込んでしまったため、絶句の中から絞り出したような声しか発することができなかったのだ。
 あすなが見た光景は、今まで確かに拾ったはずのゴミが、ほとんど手つかずで残っていた。
「どうして?」
 と思ったが、まず考えたのは、最初に見た光景と同じ状態だったのかということであった。
 しかし、最初に見た光景は衝撃ではあったが、すぐに忘れてしまった。残像が残っていたはずなのだが、その残像は上書きされてしまい、消えてしまっていた。上書きとはもちろん、ゴミをすべて拾った後の整然とした光景を思い浮かべてしまったことによるものである。
 だが、ゴミはほとんど減っていないことは分かった。あれだけ拾ったはずだったのにと思うと、
「そうだ、ゴミ袋の中は?」
 と思って、ゴミ袋を確認したが、確かに拾ったゴミは入っている。
 つまりゴミ拾いという行為は間違いなく行われたのだ。
 では、一体目の前にあるこのゴミは一体なんだというのだろう?
 夢を見たという意識はあるので、不可思議な出来事も、
「夢なんだ」
 と思うことで忘れてしまうこともできるはずなのだが、あすなはそれでは納得できない自分がいることに気が付いた。
 もし夢だというのであれば、この夢が自分に何を教えようというのだろう?
「夢というのは、潜在意識が見せるもの」
 という話を聞いたことがあった。
 夢を見るということは、潜在意識、つまりは自分の中にあるものを表現しているということで、逆にいえば、自分が意識していないことを夢に見ることができないということを意味している。
 しかも、夢は自分が不可能だと思っていることを見せることはない。夢を万能のものだと思っているとすれば、それは大きな間違いだとあすなは常々感じていた。
「夢だから、空だって飛べるはず」
 と思ったことがあった。
 子供の頃には潜在意識などというものを知らなかったので、
「夢の中では何でもできる」
 と思っていた。
 寝る前に、
――夢を見たら、空を飛んでみよう――
 と思って、実際にその日に夢を見た。
 その日の夢は、空を飛ぶという意識を感じさせるに十分な夢だった。好都合だったと言ってもいい。夢が潜在意識が見せるという意味では、自分に都合よく見せるというのも頷けるものなのだが、そう好都合な夢を見ることはできなかった。肝心な夢の中で、完全に自分の思惑は忘れてしまっていたのだ。
 夢が終わり、目が覚めている途中で、
――しまった――
 と感じた。
 やはり、夢の世界と現実世界の間には隔絶たる結界が存在しているのでhないかとあすなは思っていた。
 その頃は夢と潜在意識の関係など知る由もなかったが、潜在意識を意識するようになってから、見た夢の中で、今度は空を飛ぶシチュエーションがあった。
 その時夢の中で、
――これは夢なんだから、空を飛べるはず――
 と思って、空を飛ぶシチュエーションにアタックした。
 ただ、このアタックは必然の行動であり、実際に空を飛ぼうとした。だが、空を飛ぶという行為に及んだその時、
「夢って潜在意識のなせる業なのよね」
 と自分に言い聞かせているもう一人の自分の存在に気付き、ハッとしてしまった。
――そうだわ。夢の中なんだわ――
 と思うと、飛ぼうと思った空を飛ぶことはできなかった。
 だが、宙に浮くことだけはできた。それで十分だった。空を飛ぼうと高層ビルから飛び降りた瞬間だったので、宙に浮くことができれば、無事に地上に降り立つことはできる。自由に空を飛べなくても、自分を助けることはできたのだ。
 そして次に感じた思いは、激しい後悔だった。
 もしこれが夢でなかったらと思うと、恐ろしさから後悔の念が襲ってくる。またこんな行動をした自分の気持ちを誰にも悟られたくないという恥辱の思いが頭をもたげていたのだ。
 あすなは夢に対して自分が何を感じているかということを、その時の夢を通して看破した気がした。だからと言って、夢のすべてを分かったわけではない。
「百里の道は九十九里をもって半ばとす」
 という言葉があるように、分かったつもりでいると、実際にはまだまだ先は長いということになるだろう。
 そう思うと、あすなはまたハッとした気分になった。
 遊園地の広場でゴミを拾ったはずなのに、目の前に残っているゴミを見た時と同じシチュエーションのようなものではないかと思うのだ。
「何かが堂々巡りを繰り返しているようだ」
 と感じた。
 それが負のスパイラルというものなのかと考えたが、どうも負ではないような気がした。前に進んでいるわけでもない。同じところをグルグル繰り返しているだけで、いいことなのか悪いことなのか分からない。
 前に進めないのは悪いことなのだろうが、悪い方にいくこともない。成長を考えると悪いことに思えるが、成長期がピークを迎え、人生も下り坂に向かうようになると、この心境は変わってくるのではないだろうか。
 あすなは、夢というものが潜在意識という掌の上で踊らされている自分を想像する材料のように思えた。
――dそう、夢って何かの材料なんだ――
 と感じた。
 夢は単独で存在するわけではなく、何かの材料として存在している。だから、現実世界とは隔絶された結界が存在しているのではないかと思うのだ。
 あすなは、自分が人の顔を思い出せないことに対して、
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次