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袋小路の残像

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 きっと両親のところに出向いて行ったものだと思っていたあすなは、足音を感じながら、自分には関係のないことだと思っていた。
 あすなはすでに期末試験も終わって休みに入っていたので、寝ようと思ってはいたが、ベッドにもぐりこむだけで、眠ってしまおうとは思っていなかった。本を読んだり音楽を聴いたり、ベッドの中でできることも結構あるからだ。
「コンコン」
 扉を叩く音がした。
――お姉さんだ――
 あすなは直感し、
「はい」
 と答えた。
 すると、表から、
「あすなちゃん」
 という自分を呼ぶ声を聞いたあすなは、
「はい」
 と言って、扉を開けた。
 そこにはパジャマ姿のお姉さんが立っていたが、そのパジャマには見覚えがあった。
――お母さんのだ――
 と思うと同時に、それがよく似合うということは、お姉さんは母親とサイズが同じであるということだった。
 だが、母親とお姉さんと見比べて母親の方が一回りくらい小さく感じていたのを思い出し、それが違和感となっていた。
 だが、
――いつもお父さんと一緒にいるところばかりを見ているから、お母さんは小さく見えていたんだわ――
 と思うと、一応の納得があった。
 しかし、これはもう一つの疑問を思い起こさせた。あすなは、今まで両親はいつも単独行動をしているものだという認識でいたからで、両親が揃っているところの方が印象としては薄かったはずなのに、どうして思い返してみると、いつも二人だったという意識しか残っていないのかということである。
 お母さんとお姉sなは体系的には確かに似ている。
「お姉さんの縮小版が母親だ」
 などと言ってもいいくらいだとあすなは認識していた。
「あすなちゃんは、まだ起きてる?」
 お姉さんは、両手にコーヒーカップを二つ抱えるようにして持ってきた。
 どうやら、あすなの部屋で二人きりで話をしたいという様子だったが、その表情はスッキリとしているのが分かり、少し安心させられたこともあって、あすなもぜひお姉さんと話をしたいと思った。
「ええ、せっかくなので、どうぞ」
 と言って迎え入れた。
「ありがとう」
 と言って部屋の中に入ってきたお姉さんは、コーヒーカップを部屋の中央にある小さなテーブルの上に置いた。
 そして、腰を下ろして、部屋を見まわしていたが、
「なかなかかわいいお部屋ね。私の高校の頃よりも片付いている気がする」
 と言って、感心していた。
 確かにあすなは普段から小綺麗にはしている。特にあまりものを置くのは好きではなく、特に物を捨てるということにはお構いなしだと思っているので、余計なものが残ったりはしない。
 それは小学生の頃からの癖のようなものだった。
 最初は、なかなか捨てられずに、いらないものが残ってしまって、どうしようもなくなり、
「あんた、たまに掃除くらいしなさい」
 と言われていたものだったが、捨てることを怖がっていたあすなは、半分聞いて、半分は聞き流していた。
――どうせ、言われたってできるわけではないんだから――
 という思いがあったからだ。
 どうしてできなかったのかというと、あすなという人間が根本的に怖がりであり、性格的にも整理整頓ができないと思ったからである。
 もし、無意識に捨ててしまって、それが本当に必要なものであったり、必要なものではなくても、後になってずっと後悔しなければいけないことだったりすれば、あすなに後悔が残ってしまうのは必至だったからである。
 それがいつから物を捨てられるようになったのか、最初は分からなかった。
 しかし、今ではそれがいつからだったのか分かるようになった。そのきっかけを与えてくれたのが、
「おじさんの死」
 だったのだ。
――おじさんは、もういないんだ。会いたいと思っても会うことができないんだ――
 と思うと、自然と悲しくなってきた。
 だが、悲しくはなるが、涙が出てくることはなかった。悲しいはずなのに涙が出てこない。そんな不思議な感覚に陥ったのは初めてだった。
 あすなは、基本的に他人のことをあまり気にしない方だった。それは肉親であっても同じことで、この際の他人という言葉の中には、肉親、つまり両親やお姉さん、さらにはおじさんも含まれている。
 あすなにとっておじさんのことは、基本的に他人だった。両親ですら他人なのだから当たり前のことで、逆にいうと、
「両親を他人だと思うためには、たとえおじさんであっても他人として認識していなければいけない」
 つまりは自分以外は皆他人という認識なのだ。
 この思いは子供の頃の方が強かった。思春期の頃くらいになると、両親を他人と呼ぶことを恥だと思っている自分がいた。両親はあすなが自分たちのことを他人だと認識していたことを知っていたような気がする。だから、娘に対しての態度の中に、
「どうせ娘もそう思っているのだから」
 と感じさせるものがあった。
 それは態度で認識したというよりも、両親の自分に対するテンションで感じたと言ってもいい。
 こちらからアクションしても、相手からこちらが想定している反応が返ってくるわけではない。何らかのアクションを感じるのだが、その正体を見極めることができないのは、きっとテンションの違いが影響していると、あすなは思っていた。
 モノを捨てられない性格は、怖さと整理整頓ができないことだと感じていたが、モノをどんどん捨てるようになってから、怖さや整理整頓のできないことが解消されたという意識はない。
 むしろ、その二つは自分の中で固定してしまったという意識である。
 感覚がマヒしてきたとでもいうべきであろうか、悪い意味で慢性化してしまっているのだ。
 あすながモノを簡単に捨てるようになったのは、結構早い時期からだった。だが、明らかに自分で意識するようになったのは中学に入ってからのことで、ただ、
――捨てることができるのではないか――
 と感じたのは、もっと前のことで、そこに寂しさが影響していたように思えた。
 モノを捨てる時にいつも思い出している光景があった。
 それはおじさんと一緒に行った遊園地での、あの無駄に広い場所だった。客よりもスタッフの方が多いそんな状況で、あすなは広さを無駄だとは思ったが、無駄だと思った瞬間に感じたことは、
――思ったよりも狭かったんじゃないか?
 という思いだった。
 この広さで、休日のあのごった返した状況だと、人がひしめいているようで、どこにも逃げられないというまるで朝の通勤ラッシュを思わせると思えたからだ。
 もっと広いと思っていた遊園地の中の広場を狭いと感じた時、それまで無駄に広いと思っていた場所が閑散としているわけではなく、どこか喧騒とした雰囲気に感じられた。
――気のせいかしら?
 とあすなは感じたが、決して気のせいではなかった。
 喧騒とした雰囲気というよりも、何かの煩わしさがあすなを襲った。そう思って広場を見ると、さっきまではなかったはずのゴミが散見されるようになっていたのだ。
――なんて汚い場所なのかしら?
 と感じたが、風もないのに、紙が宙に舞っている。中には作家が気に入らない作品を手でグシャグシャにして、部屋の中に散乱させているかのようなゴミもあった。
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次