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袋小路の残像

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 考えられることが二つあるのであれば、どうして一つに限定しなければいけないのかと考えるからで、あすなは後者もありだと思っていた。
 社会科の授業で習った、法律の授業で、
「疑わしきは罰せずというのが日本の法律なんだけど、国によっては、疑わしきを罰するというところもあるんだろうね」
 と先生が言っていた言葉を思い出した。
 先生がどういうつもりでこの言葉を口にしたのか分からないが、あすなはその言葉を聞いた時、減点法なのか、加算法なのかという自分の中の考えと結びつけて考えてみた。
 厳密にいえば、そのどちらとも違うのだろうが、
「オールオアナッシング」
 という考え方から見れば、減点法や加算法の考え方と併合して考えてもいいように思えたのだ。
 お姉さんはおじさんと結婚してから、一緒にいたのは二年ほどだったはずだ。それなのに、おじさんのことを健気に愛していて、他の結婚話をすべて断っているという話を両親がしていたのが、聞こえてきたことがあった。
 あすなは、
――それって当たり前のことじゃない――
 と思ったが、両親がお姉さんに対して何を考えていたのか、あすなには分からなかった。
 何が当たり前のことなのか、そのことが分からなかったのだ。自分で当たり前だと言いながら、考えがまとまらないのをいいことに、当たり前という曖昧な言葉で自分をごまかしているようにあすなは感じた。
 あすなが人のことを考えていて、自分の考えをそんな風に否定的に感じた最初だったかも知れない。
 あまり人のことを言える立場ではないと思っているあすなは、人のウワサを聞いても自分から意見を持たないようにしていた。それは、余計な考えを生むことで、もし考えと事実が違った時に戸惑う自分を見たくないという思いからであった。
 最近丸くなった両親を一番変化があったと思っているのはあすなだけのようだった。まわりの人誰の話にも両親を悪くいう人はおらず、逆に、
「よく相談に乗ってもらっていた」
 というほどの関係だったようだ。
 表にはいい顔をして、内輪では厳しい人だったのかも知れない。もっと言えば、肉親だからこそ厳しくしたと言えなくもないが、あすなにはどうしもそうは思えなかった。
 子供の頃の思い出というと、ロクな思い出はない。おじさんと遊園地に行った時の思い出も、今では色褪せてしまっていて、おじさんの顔もハッキリと覚えていないほどだった。
 遊園地に行った時は、あすな自身では楽しんでいたつもりだったが、翌日になって思い出すと、印象に残っているのは、人がほとんどいなく、寂しかったというイメージだけだった。
 おじさんは優しかったが、どこかぎこちなかったように思う。それだけ寂しかったのだし、その分、おじさんに気を遣わせてしまったということも分かっている。だが、あすなは確かにあの日、いろいろなことを考えていた。普段であれば思いつかないような発想も思い浮かんできたり、特に人の気持ちが手に取るように分かったあの日は、あすなにとって特別な日であったに違いない。
 だが、翌日になると、何をどのように考えていたのか、ほとんど思い出せない。あの日はちょっと何かに気付いたり感じたりしたことが、どんどん発想として結び付いてきて、そのために、人の気持ちが手に取るように分かったような気がしたのだ。
 翌日には、まったく覚えていないというわけではないが、思い出したことから、まったくと言っていいほど、何かの発想が浮かんでくるということはなかった。
――あの日は何だったのかしら?
 とあすなは感じたが、まるで大人を垣間見た日だったというのは、大げさな表現であろうか。
 おじさんという大人の男性を、大人として意識していたはずなのに、目上の人という意識よりも、おじさんの考えていることや、自分に気を遣ってくれていることが分かったことで、
――おじさんは、私の視線に、何か違和感を感じていたのではないだろうか?
 と感じた。
 違和感を感じていたとしても、あすなはそれはそれでもいいと思っているが、自分が今感じているように、大人の感覚になって見ていたということだけは知られてほしくないことだと思った。
 その日のおじさんは、あくまでも小学生の低学年の女の子としてのあすなを相手にしてくれていたと思っているからである。少しの違和感はしょうがないと思うが、その違和感が、
「少女の中に、大人の女性を見た」
 と感じたとすれば、その日のおじさんは、自分を子供としてではなく、大人の女性として見ていたことになる。
 それはあすなにとってあってはならないことのように思えていた。
 あすなは、自分がおじさんのことを好きだったのではないかと、しばらくの間考えていたことがあった。
 それは、中学生の思春期になってからのことで、実は小学生の頃に、何かしっくりこないことが自分の中にあり、
「思春期になれば、何らかの答えが得られるような気がする」
 と思っていた。
 だから、思春期に早く入ってほしいという気持ちが強く、その反動からか、思春期を迎えるのが怖いと思う自分もいたのだ。
 実際に思春期を迎えてみると、確かにそれまで感じていた違和感が、次第に溶解してくるのを感じた。
 答えが見つかるという感覚ではなく、しっくり来ていなかったこと、つまりは繋がっていなかった歯車が、うまく繋がるようになってきたという感覚を、溶解という言葉で表したのだ。
――大人になるって、こういうことなのかしら?
 と漠然と感じたが、どうにも曖昧な気がして、これは思春期の中の特徴の一つなのではないかと思うようになった。
 思春期にはいろいろなことがあり、子供が大人になる過程なのだから、肉体的な面、精神的な面、それらをコンビネーションで結び付けているもの。それぞれに子供が大人になるための試練のようなものがあり、しかもタイミングが問題になるものも多々あるのではないかと、思春期を超えたあすなは感じていた。
 お姉さんが両親に相談していたことは、本当に大人の世界のことで、精神論だけではどうにもならないことがあったようだ。
 だが、話をしているうちにある程度の解決は見たようで、お姉さんの表情も、来た時に比べれば格段に良くなっているのを感じていた。
 その日、お姉さんは泊まっていくことになった。両親との話も長引いて、そのせいで時間も遅くなり、このまま女性一人を帰すことに両親も気が引けたのだろう。
「私、明日有給休暇を取っているので」
 とお姉さんは言ったが、それは話が長引いてしまうことも想定した部分だったからではないだろうか。
 それだけ話が深刻だったと言えなくもないが、それだけではなかったのかも知れない。そのことをあすなが感じたのは、あすなが寝ようとしていた、日付も変わろうとする時間のことだった。
 誰かが部屋の前の通路を歩いているのは分かったが、最初は両親のうちのどちらかだと思った。
 しかし、その音はかなり静かで、抜き足差し足であった、両親ともに、こんなに遠慮して歩くわけではないので、すぐにお姉さんであることに気が付いた。
――どうしたのかしら?
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次