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袋小路の残像

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 逆に琢磨の方とすれば、最初がピークだっただけに付き合っていくうちに、
「あすなさんて、こんな人だったんだ」
 というガッカリした気持ちが芽生えてきても無理もないことだった。
 要するに、あすなの方は加算法の考え方で、琢磨は減点法の考え方だった。それぞれちょうどいいところで折り合えばいいのだが、気が付けば立場は逆転しているようだった。
 気が付くのがどちらが先だったのかハッキリとしないが、お互いにぎこちなさを許容範囲として付き合っていたが、それを許容できなくなった時点で、それぞれに付き合いは成立しなくなる。
 別れは突然だった。
「せっかく付き合ってくれる気持ちになってくれたのに、僕の方が耐えられなくなっちゃって、ごめん」
 と言って、琢磨はあすなから去ろうとしていた。
 あすなも彼が別れを考えていること。そして自分もぎこしhなさに耐えられなくなってきていることは分かっていた。自分から言い出すことは避けたいあすなだったので、彼の口から言ってくれて、あすなは助かったと思っていることだろう。
「初恋は、淡く切ないもので、成就することはない」
 と言われているが、あすなは本当にそうだと思った。
 淡く切ないかどうか分からないが、成就しないということがこういうことなのかと感じた。
 だが、あすなの中ではこの初恋は決して自分に対してマイナスではないと思っている。少なくとも相手が告白してくれたということは、自分の中に魅力があったということを示しているのだから、後は本当に好きになった相手とちゃんと向き合えるかというだけのことである。本当はそれが難しいことなのだが、その時のあすなにはそこまでは分からなかった。
 あすなは、奥さんが訪ねてきたその日、初恋の頃のことを思い出していた。
――あの頃から、私は自分に自信を持つことができるようになったんだわ――
 ということを思い出していたのだ。
 おじさんは、あすなと遊園地に出かけてから、あすなと会うことはほとんどなかった。
 家に遊びに来ることはたまに会ったようなのだが、そんな時に限ってあすなは塾だったり、友達の家に行っていたりして留守だったようだ。
 その時おじさんがホッとした気分になっていたということをあすなは知らない。
「今日、あすなちゃんは?」
 とおじさんが家に来てから最初にいつも聞いていたというが、
「今日はいないのよ」
 と言われ、ホッとしている様子だったのを、両親は不思議に思いながら感じていたという。
 結局、おじさんが亡くなるまで、あすなはおじさんにまともに会っていない。会えなかったというよりも、避けていたと言った方がいいような気がして、おじさんにとって、なぜそんな気持ちになっていたのか、あすなには分からなかった。
 あすなは、おじさんと会うのには抵抗があった。なぜ抵抗を感じるのか分からなかったが、おじさんが来た時に自分がいなかったことで、親には残念がって見せたが、本当は安心している自分を見せたくなかったからだということを、誰にも知られたくなかった。
 おじさんは、自分があすなと会わなかったことで安心したことを、誰かに話していたのだろうか。あすな自身、そのことを知らなかったので、そう感じるまでにはもう少し後のことであったが、知ってしまうことが本当にその人にとっていいことなのかどうなのか、考えさせられることになるとは、その時には思いもしなかった。
 あすなが奥さんのことを、
「お姉さん」
 と呼ぶことに、両親は反対をしなかった。
 むしろ、親しみを込めているように聞こえるので、どこか微笑ましさが感じられ、しかも、今までのあすなからは考えられないような表現なので、却って嬉しく思うくらいだった。
 両親にとってあすなは、実に分かりにくい娘だった。
「一体何を考えているんだ」
 と思われていた。
 しかも両親ともに、同じように思っていたのだから、面白いものだ。
 だが、あすなは両親に対して、分け隔てなく接してきたつもりだ。それはいい意味なんかではなく、悪い意味でのことで、普段から自分と接しようとはしない両親に、自分の方から絶縁状のようなものを突き付けている感覚だったに違いない。
 親子の確執とは、このようにして生まれるのかも知れない。
 両親はそう感じていたが、あすなは確執を悪いことのように思っていなかったので、必要以上にお互いを避けていることについて余計なことを考えようとは思わなかった。
 しかも、あすなは成長期のいわゆる、
「反抗期」
 と呼ばれる時期を過ごしてもいた。
「これが反抗期というものなのかしらね」
 と思うと、避けては通ることのできない道という意識からか、あまり深く自分のことを見つめないようにしようと感じた。
 放っておいても、きっと自分を見つめようとしているはずだと思っていた。無意識の行動や考えは、
「気が付けば」
 と思うことで感じることだった。
 お姉さんは、両親に対して、時々相談があったようだ。
「人生の先輩」
 としての意見は、素直にお姉さんの心をほぐすにはちょうどよかったようで、あすなには分からない、
「大人の会話:
 が繰り広げられていたようだ。
 そういう意味でも、あすなが家にいないことはお姉さんをホッとさせる要因であったともいえるだろう。
 その頃には両親もすっかり落ち着いていて、それまでお互いに忙しかった仕事も、それぞれに一段落したことで、また新婚当時のような新鮮さが戻ってきたようだった。
 見た目には分からなかったが、あすなには、二人がまた仲睦まじくなっていることは分かっていた。だが、その理由が分からなかったので、手放しに喜ぶこともできず、心のどこかで疑いを持っていたに違いない。それが自分の思春期という複雑な精神状態の時期とも重なったことで、余計に信用できなかったに違いない。
 あすなが信じられないのは両親だけではない。他の大人、学校の先生であったり、近所の奥さん連中であったり、あすなに気軽に挨拶してくれる人のほとんどを、心のどこかで信用できないでいた。
 もちろん、全面的に信用できないわけではない。信用できる部分は大部分であって、ごく狭い範囲で信用できない部分が顔を出しているという感じだ。
 それだけに、顔を出している部分は目立つのだ。
 目立つ感覚をあすなはどう感じているのだろう。本当に信じられない部分が大部分を占めていると感じているのだろうか。
 これは後から考えて分かったことであるが。やはり見えている部分よりも自分で感じている部分を素直に信じていたようだ。つまりは心の中での結論は、正解を示していたということである。
 それなのに、どこか心配であった。
 思春期の精神状態は、結構単純なのだとあすなは思う。
「オールオアナッシング」
 という言葉があるが、それには二種類が存在する。
「百でなければ、ゼロと同じという考え方と、ゼロでなければ、百と同じという考え方である」
 と思っている。
 普通であれば、百でなければゼロと同じという考えを正とするものだと思うのだが、あすなはゼロでなければ、百と同じという考えもありだと思っている。
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次