袋小路の残像
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
待ち合わせ
中学校の頃から、
「物忘れが激しいね」
とよく言われてきたが、本人としては、
――どうしてなの? 暗記物の科目は得意なんだけど――
と、いつも思っていた安藤あすなは、確かに中学時代は、歴史を中心とした社会科の成績はよかった。
それにも関わらず、何を根拠に物忘れが激しいというのか、言われ始めた時はまったく気づかなかったが。言われ始めてから半年もしないうちに、嫌でも物忘れを意識するようになっていた。
しかし言われ始めた頃は、一人の特定の人間に言われていただけで、他の人から言われたわけではない。それなのに想像以上に意識してしまったのは、それを言った相手が自分の好きだった男の子だったからだ。
彼の名前は桜井剛。小学校の頃から結構同じクラスになることが多く、
「またお前と同じクラスか」
と何度言われたことか。
最初の頃は嫌だったが、中学二年生の頃に意識してしまって、それから剛のことが気になって仕方がなくなった。
そんな相手から、自覚していない、いわゆる短所になるようなことを言われたのだから、ショックに感じても仕方のないことだろう。しかしあすなはショックだというよりも、最近では絡んでくることを嫌だと思わなくなった自分を不思議に感じながら、くすぐったい気分になっていたのだった。
あすなが歴史の成績が他の科目に比べてダントツでいいことも分かっていた。そしてそんなあすなに、
「お前は暗記物は成績がいいよな」
とからかってきたくせに、今度は物忘れが激しいとはどういうことなのか、まったく理解に苦しむあすなだった。
――矛盾した言い方しかできないほど、私のことを気にしていると言いながら、結局は何も気にしていないということなのかも知れないわね――
と思うようになった。
あすなは自分でも記憶力はいいのか悪いのか、実際には分かっていない。歴史の成績がいいのは、確かに暗記物だからだと言えるだろう。しかし、暗記物の勉強と、物忘れが激しいことのどこに共通点があるのかと言われると、分かるわけではなかった。説明のしっかりとできないことをいかに自分にも納得させられるか、それが中学生のあすなにとって、直近での課題だった。
――そういえば、小学生の頃、いつも宿題を忘れてくる男の子がいたっけ――
というのを思い出した。
その子と先生の話を思い出していた。
先生曰く、
「どうして、いつも宿題をやってこないんだ?」
と先生に言われた男子生徒は、すぐに答えることをするわけではなく、モジモジとした態度を取りながら、
「やろうという意識はあるんですが」
とそこまでいうと、言葉を切った。
「だったら。やってくればいいじゃないか。まるでわざとやってこないかのように聞こえるぞ」
と言われた男子生徒は、
「いえ、わざとだなんて、そんなことはありません。やろうという意思はあるんですが、宿題をどうしても忘れるんです」
「だから、それをやる意思がないというんじゃないのか?」
「違います。宿題が出されたということ自体を覚えていないんですよ」
と言って、先生をしばし呆れさせた。
先生はその言葉を聞くと、それこそわざとだという思いをさらに強くしたのか、
「そんな言い訳が通用すると思っているのか? ここは学校だぞ」
と言われ、男子生徒はそれ以上の言い訳はできないと思ったのか、そこから口を開くことはなかった。
あすなはもちろん、まわりの生徒も彼の話を鵜呑みにできるはずはなかった。しかし、そんな中で一人女の子が彼に同意していたのだが、まわりは、
「あの子は、彼のことが好きだからだよ」
というウワサが流れたが、あすなにはその子が彼を好きだという意識があるようには思えなかった。
むしろ彼女は、誰か男の子を好きになることがあるのかと思うほど、男の子への感情はマヒしているように思えた。
彼女の場合は、その男の子よりもさらに物忘れが激しかった。そもそも覚えようという意識があるのかという感じを抱かせ、その表情からは、いつも何を考えているのか分からないと言ったイメージだった。
あすなの小学校には、
――どうしてこんなに似たような人たちが揃ってしまうんだろう?
と思うほど、似た者同士が多かった。
しかも、皆普通なところが似たような雰囲気というわけではなく、偏ったところが似通っているので、まるで変人の集まりのように思えてならなかった。
あすなはそんな中でも比較的普通だと自分では思っていた。つるんでいる連中を見ると、
「これほど分かりやすいものはない」
と思うほど、偏りに共通がある連中が集まっている。
だから逆にいうと、つるんでいるわけではなく、いつも孤独で一人でいるようなやつほど、普通でまともなやつだということが言えるだろう。
あすなは、いつも一人だった。それだけで、自分が、
「他の人とは違う」
と思ったのだろう。
あすなはそれから、ある意味で、
「私は他の人とは違うんだ」
と思うようになった。
それは、自分がまともだという小学生の頃の思いとは少し違って、中学に入ってからは、まともではなくてもいいから、他の人との違いを感じてみたいと思うようになったのだった。
あすなは小学生の頃から自分は変わったと思っているが、それは思春期に入ったことで変わっただけであって、本質的に変わったわけではないと思っている。
そのわりに、まわりの同年代の人たちは、自分が変わったと感じているより、あまり変わっていないように見えた。そのくせ、誰か一人を相手にすると、その人だけは、皆と違って、本当に変わってしまったような気がしてくるのが不思議だった。
あすなは小学生の頃、確かに宿題を忘れることが多かったような気がする。その中には宿題が出ていたことすら忘れてしまっていたこともあり、本人にはそんな自覚があったわけでもないのに、なぜ忘れてしまっていたのか、不思議で仕方がなかった。
そんな時、宿題が出ていたことすら忘れていたという人がいたことを知り、衝撃だった。宿題を忘れるなんて、普通ありえないことを自分がしていたということ自体衝撃だったのに、こんなにも近くに同じような人がいたということを思うと、怖くなったのだ。
確かに宿題をしなかったことを、
「宿題が出ていたということ自体忘れていた」
と言えば、相手は呆れて叱るのを忘れるかも知れない。
しかし、それによって損失する信頼や身近に感じられるという安心感は失せてしまい、まるで別世界の人のような目を浴びせられることは分かるはずだ。だからあすなも宿題を忘れていたということを決して口に出すことはしないと思っていたのだし、そんな人は他にはいないだろうという思いが強かったのだ。
だが、思いもせずに近くに同じような人がいた。
その事実はあすなをいろいろな意味で不安にさせた。
待ち合わせ
中学校の頃から、
「物忘れが激しいね」
とよく言われてきたが、本人としては、
――どうしてなの? 暗記物の科目は得意なんだけど――
と、いつも思っていた安藤あすなは、確かに中学時代は、歴史を中心とした社会科の成績はよかった。
それにも関わらず、何を根拠に物忘れが激しいというのか、言われ始めた時はまったく気づかなかったが。言われ始めてから半年もしないうちに、嫌でも物忘れを意識するようになっていた。
しかし言われ始めた頃は、一人の特定の人間に言われていただけで、他の人から言われたわけではない。それなのに想像以上に意識してしまったのは、それを言った相手が自分の好きだった男の子だったからだ。
彼の名前は桜井剛。小学校の頃から結構同じクラスになることが多く、
「またお前と同じクラスか」
と何度言われたことか。
最初の頃は嫌だったが、中学二年生の頃に意識してしまって、それから剛のことが気になって仕方がなくなった。
そんな相手から、自覚していない、いわゆる短所になるようなことを言われたのだから、ショックに感じても仕方のないことだろう。しかしあすなはショックだというよりも、最近では絡んでくることを嫌だと思わなくなった自分を不思議に感じながら、くすぐったい気分になっていたのだった。
あすなが歴史の成績が他の科目に比べてダントツでいいことも分かっていた。そしてそんなあすなに、
「お前は暗記物は成績がいいよな」
とからかってきたくせに、今度は物忘れが激しいとはどういうことなのか、まったく理解に苦しむあすなだった。
――矛盾した言い方しかできないほど、私のことを気にしていると言いながら、結局は何も気にしていないということなのかも知れないわね――
と思うようになった。
あすなは自分でも記憶力はいいのか悪いのか、実際には分かっていない。歴史の成績がいいのは、確かに暗記物だからだと言えるだろう。しかし、暗記物の勉強と、物忘れが激しいことのどこに共通点があるのかと言われると、分かるわけではなかった。説明のしっかりとできないことをいかに自分にも納得させられるか、それが中学生のあすなにとって、直近での課題だった。
――そういえば、小学生の頃、いつも宿題を忘れてくる男の子がいたっけ――
というのを思い出した。
その子と先生の話を思い出していた。
先生曰く、
「どうして、いつも宿題をやってこないんだ?」
と先生に言われた男子生徒は、すぐに答えることをするわけではなく、モジモジとした態度を取りながら、
「やろうという意識はあるんですが」
とそこまでいうと、言葉を切った。
「だったら。やってくればいいじゃないか。まるでわざとやってこないかのように聞こえるぞ」
と言われた男子生徒は、
「いえ、わざとだなんて、そんなことはありません。やろうという意思はあるんですが、宿題をどうしても忘れるんです」
「だから、それをやる意思がないというんじゃないのか?」
「違います。宿題が出されたということ自体を覚えていないんですよ」
と言って、先生をしばし呆れさせた。
先生はその言葉を聞くと、それこそわざとだという思いをさらに強くしたのか、
「そんな言い訳が通用すると思っているのか? ここは学校だぞ」
と言われ、男子生徒はそれ以上の言い訳はできないと思ったのか、そこから口を開くことはなかった。
あすなはもちろん、まわりの生徒も彼の話を鵜呑みにできるはずはなかった。しかし、そんな中で一人女の子が彼に同意していたのだが、まわりは、
「あの子は、彼のことが好きだからだよ」
というウワサが流れたが、あすなにはその子が彼を好きだという意識があるようには思えなかった。
むしろ彼女は、誰か男の子を好きになることがあるのかと思うほど、男の子への感情はマヒしているように思えた。
彼女の場合は、その男の子よりもさらに物忘れが激しかった。そもそも覚えようという意識があるのかという感じを抱かせ、その表情からは、いつも何を考えているのか分からないと言ったイメージだった。
あすなの小学校には、
――どうしてこんなに似たような人たちが揃ってしまうんだろう?
と思うほど、似た者同士が多かった。
しかも、皆普通なところが似たような雰囲気というわけではなく、偏ったところが似通っているので、まるで変人の集まりのように思えてならなかった。
あすなはそんな中でも比較的普通だと自分では思っていた。つるんでいる連中を見ると、
「これほど分かりやすいものはない」
と思うほど、偏りに共通がある連中が集まっている。
だから逆にいうと、つるんでいるわけではなく、いつも孤独で一人でいるようなやつほど、普通でまともなやつだということが言えるだろう。
あすなは、いつも一人だった。それだけで、自分が、
「他の人とは違う」
と思ったのだろう。
あすなはそれから、ある意味で、
「私は他の人とは違うんだ」
と思うようになった。
それは、自分がまともだという小学生の頃の思いとは少し違って、中学に入ってからは、まともではなくてもいいから、他の人との違いを感じてみたいと思うようになったのだった。
あすなは小学生の頃から自分は変わったと思っているが、それは思春期に入ったことで変わっただけであって、本質的に変わったわけではないと思っている。
そのわりに、まわりの同年代の人たちは、自分が変わったと感じているより、あまり変わっていないように見えた。そのくせ、誰か一人を相手にすると、その人だけは、皆と違って、本当に変わってしまったような気がしてくるのが不思議だった。
あすなは小学生の頃、確かに宿題を忘れることが多かったような気がする。その中には宿題が出ていたことすら忘れてしまっていたこともあり、本人にはそんな自覚があったわけでもないのに、なぜ忘れてしまっていたのか、不思議で仕方がなかった。
そんな時、宿題が出ていたことすら忘れていたという人がいたことを知り、衝撃だった。宿題を忘れるなんて、普通ありえないことを自分がしていたということ自体衝撃だったのに、こんなにも近くに同じような人がいたということを思うと、怖くなったのだ。
確かに宿題をしなかったことを、
「宿題が出ていたということ自体忘れていた」
と言えば、相手は呆れて叱るのを忘れるかも知れない。
しかし、それによって損失する信頼や身近に感じられるという安心感は失せてしまい、まるで別世界の人のような目を浴びせられることは分かるはずだ。だからあすなも宿題を忘れていたということを決して口に出すことはしないと思っていたのだし、そんな人は他にはいないだろうという思いが強かったのだ。
だが、思いもせずに近くに同じような人がいた。
その事実はあすなをいろいろな意味で不安にさせた。