袋小路の残像
もちろん、母親もその人だという意識は持っているのだろう。チラチラとその人の方ばかりを意識して見ているからだ。あすながその人を意識したのも、そんな花親の気配を感じるからで、それだけ母親がその人を意識している感情があすなにも伝わるくらいにビンビンと伝わってくるものがあったのだ。
あすなは母親から伝わってくる緊張感が、昨日の自分にもあったような気がした。どこからか、普段は掻くことのない場所から汗が滲んできていたような気がしていた。少なくとも額や脇から汗が滲んでいるのは感じたが、もう一つ気になったのは、掌だった。
掌に汗を掻くなんて今までにはなかったことだった。それがあすなに限ってのことなのか、他の人も同じなのか分からないが、ある日、母親と一緒にどこかに出かけた時、あすなは別に何ともなかったのに、握手した時、母親の掌がぐっしょり濡れていたことがあった。
その時、別に汗を掻く必要など何もないシチュエーションだったはずなのに、どうして汗を掻いていたのか分からない。ひょっとすると、あすなと一緒にいること自体が緊張に結び付くのか、それとも表に出るだけで緊張に繋がっているのか分からなかった。少なくとも母親はあすなが思っているよりもかなり臆病なのではないかと、その時は感じたのだった。
そんな母親と同じように、おじさんと一緒にいるだけで汗を掻いてしまった自分を思うと、やはり母親はあすなと一緒にいることで汗を掻いていたのかも知れないと思った。相手があすなだということが重要で、赤の他人などでは汗を掻くこともなかったに違いないからだ。
あすなは汗を掻くことで発生した感情、つまりは緊張感が、そのまま人の顔を覚えられないという弊害を生むのではないかと考えていた。
その日のあすなは、そのまま眠ってしまい、それからどれくらいの時間が経ったのか、気が付けば、部屋に差し込んでくる朝日を顔に浴びる形で目を覚ました。
「う〜ん」
身体を目いっぱいに伸ばしてみた。
その日の目覚めはさほど悪いものではなかった。今までのように喉がカラカラに乾いてしまったかのような目覚めではなかったからだ。ベッドのそばにある目覚まし時計を確認すると、時間は午前十時を過ぎていた。
「あっ、学校」
と思ったが、冷静に考えるとその日は日曜日で、学校は休みだった。
もう少しで、
「どうして、起こしてくれなかったのよ」
と母親に詰め寄るところだったことを思い、思わず苦笑してしまった。
――あれ?
何か違和感があった。
「今日って、日曜日よね?」
と声に出して確認してみたが、時計を見ると確かに日曜日だった。
あすなの感覚としては、昨日おじさんと遊園地に行った曜日から、今日が日曜日であるはずはないと思ったからだ。
だが、意識がハッキリしてくるにつれて、昨日おじさんと一緒にいたという記憶がはるか昔の記憶に思えてきた。これってどういうことなのだろう?
意識が完全にしっかりしてくると、今の自分が高校二年生であることを思い出した。目が覚める過程において、あすなはまだ自分が小学校の低学年であるという意識のまま、目覚めを迎えたことになる。
感じた違和感は時系列への矛盾だったのだ。ということは、
――目が覚めるまでに感じていたことは夢だったのかしら?
ということだ。
夢だということにしてしまうと、すべてにおいて辻褄が合ってくる。辻褄さえ合えば、それ以上余計なことを考える必要もない。
「不思議な夢を見た」
というだけのこととして片づけることができるからだ。
だが、あすなはそんなに簡単に割り切ることができなかった。その理由は、
「夢にしてはリアルだった」
というもので、そのリアルさにも不可解な面があった。
というのは、小学校の低学年にしては、考えていたことがまるで大人だったからだ。感じ方もそうだったし、冷静になって考えることができるのも、大人の証拠と言えるのではないだろうか。
あすなは目が覚めて、意識がハッキリしてくるにしたがって、身体を動かすことができなくなっているという意識を感じていた。
――このまま金縛りに逢ってしまいそうだわ――
という意識だった。
それまであすなは金縛りに逢ったことが一度か二度はあった気がした。だが、その感覚がどんなものだったのか覚えていない。それは金縛りが解けた瞬間に、それまでの感覚が消えてしまったからだった。
あすなの場合悪いことが起こった場合には、その悪夢をすぐに取り払うことができた。忘れてしまったといえばそれまでなのだが、本当に忘れてしまったのか、自分でも分かっていない。ただ、
「喉元過ぎれば熱さも忘れる」
ということわざもあるが、本当に覚えていないというのが本音だった。
都合がいいというべきなのか、本当は覚えていなければならない戒めなのかも知れないのに、それを簡単に忘れてしまうというのは、本当にいいことなのか、あすなは自問自答したこともあった。しかし、出るはずのない結論をいつまでも追いかけるなど愚の骨頂、「堂々巡りを繰り返すだけ」
と思った時から、すぐに追いかけるのをやめていた。
あすながどうして目が覚めるまで感じたのが小学生の低学年のことだったのか、そしてそれがおじさんと出かけた時のことだったのか、考えてみたが、その結論も出てこなかった。
ただ一つ気になっているのは、あの日眠ってしまう時、
「明日になって、おじさんの顔を覚えていないかも知れない。もし覚えていなかったら……」
と考えたのを思い出した。
覚えていなかったら、というその先がどう思っていたのか、あすなには分からない。
覚えていないのか、それともそんなことを考えたわけではなかったのか、今となっては分からなかった。
「とにかく、おじさんの夢を見たというのは、何か意味があったのかも知れないわ」
と感じた。
実際のおじさんは、今はこの世の人ではない。
今から二年前、つまりあすなが中学三年生のちょうど受験生だった頃、おじさんが事故で亡くなったという話を聞いた。
受験生ということもあり、通夜や葬儀には参加しなかったが、あすなには、何か引っかかるところがあった。
高校に入学してからおじさんの家に行って仏壇に手を合わせたり、墓参りをしたこともあったが、そのどちらにしても、おじさんのイメージは思い出すことができないでいた。
「あすなちゃんは、あまりうちの人と関わることがなかったからね」
と、叔母さんはそう言っていた。
「そんなことはないですよ」
という言葉が喉元まで出てきたが、声に出すことはなかった。
いまさらそれを否定してどうなるものでもないし、叔母さんがそう思っているのであれば、それはそれが正解なのかも知れないと思ったからだ。そこには自分がおじさんの顔を思い出せないということが影響しているということを、あすなは意識していたのだ。
あすなは仏壇を目の前にしながら、小学校の低学年の頃のことを思い出していた。
――あの遊園地に行った次の日、おじさんとは会えたのかしら?
と思ったからだ。
おじさんは、あの頃、まだ結婚していなかった。叔母さんと一緒になったのは、あすなと遊園地に遊びに行ってから二年後のことだった。