小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

袋小路の残像

INDEX|16ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 さっきまでいた喫茶店でのことを思い出した。おじさんは他の常連客と仲良く話をしていたが、あんなおじさんを初めて見た気がした。家に来ても、ほとんど喋ることはなかったような気がする。
 それまでは、家に来た時、おじさんは結構喋っていたような気がしたのは、よほど両親が何も話さなかったからだろう。相手が何も話さなければ、自分から話をしないと、その場が凍り付いてしまうことを恐れたおじさんが、他愛のないことであっても、何とか話題をひねり出すしかなかった。だから結構喋ってはいたと思ったのだが、それが本当におじさんの意志によるものだったのかというと、疑問しか感じない。
 つまりは、口から出てきた言葉に、意志が伴っているかということである。体裁を取り繕ったような話はぎこちなかったのだろうが、両親の普段から凍り付いたような雰囲気しか知らないあすなには、取って付けたようなおじさんの話であっても、喋っていたという事実から、饒舌な感じを受けたのかも知れない。
 だが、本当の饒舌というのは、馴染みの店で常連さんとの会話から生まれるものだった。実際には、両親と話をしている時の方が口数は多かったのかも知れない。何しろ相手は何を言ってもほとんど相槌を打つだけで、意見を言わないのだから、会話を途切れさせないようにしようとすれば、口数を増やすしかなかったのだろう。
 馴染みの店ではそんな気遣いはまったく無用だった。おじさんの方が相槌を打つ方で、おじさんが聞き上手であることを表していた。
「相手が饒舌な時には聞き上手になり、相手が話題を振らない時、こちらから話題を振って場を盛り上げるという人が一番上手な人間関係を形成できるのではないかな?」
 そんな話を聞いたことがあったが、いつどこでだったのかなどは、まったく覚えていない。
 小学生の低学年の女の子に面と向かってする話ではないとは思うが、記憶にあるのだから、確かにどこかで聞いたのだろう。それこそ、
「夢で見たのかしら?」
 と思うほどだったが、夢というのは潜在意識が見せるもので、意識していないことを夢に見ることはできないはずだ。
 そう思うと、夢という言葉には信憑性は感じられない。だが、この時に目の前にいた人が消えたという認識を夢だと思う感覚は、何かの予兆なのか、それとも過去に感じた理不尽な何かが影響しているのか、その時のあすなには分からなかった。
「お待たせいたしました」
 頼んだ料理が運ばれてきた。
 あすながその間、じっと考え事をしていたはずなのに、おじさんはその間、どうしていたのだろう。目の前にいたのに、まったく意識することはなかった。それまではずっとおじさんを意識していて、その意識の先におじさんがいたという感覚はずっとあった。しかし、レストランの中でカップルが忽然と消えてしまったということを考え始めた時、あすなの中からおじさんの存在が消えていた。意識が飛んでしまったと言ってもいいかも知れない。
 おじさんへの意識が飛んでしまったことで、目の前にいるにも関わらず、まったく気配も感じなくなってしまうほど、自分が集中して考えていたということだろうか。そう考えると、目の前にいて消えてしまったカップルは、あすなが別の何かに集中したことで、気配を感じなくなったと言ってもいいかも知れない。
 本当はその場にいるのだが、気配を感じなくなって少しして、忽然と消えたと感じたとすれば、その間に二人は普通に会計を済ませて、出て行ったとも考えられる。集中していたという時間を自覚できなかったことで、夢や幻を見たと考えるのは、忽然と消えてしまったという自分の中だけの事実の辻褄を合わせようとする一種の正当性を求める考えなのではないだろうか。
 何に集中していたのか分からないことで、集中していたということ自体、我に返った時、忘れてしまってことで、残った事実としての、忽然と消えていたということをどのように正当化させるかという無意識の感情が生み出した、夢か幻かという意識だったということではないかと思うのだ。
 あすなは、また我に返って今度はおじさんを見た。するとおじさんは、あすながさっきまで見ていた方向をじっと見つめている。そこには空席のテーブルがあるだけで、おじさんが見ている虚空は、あすなが見た虚空と同じものなのか、気になってしまった。
 おじさんの表情も、まるでお化けでも見たかのような表情をしていた。それを見た時、
――私も今のおじさんと同じような表情で、あの席を見ていたのかも知れない――
 と感じた。
 しかも、あすなの方がおじさんよりも先にその場所へ意識を持って行ったはずだった。――ひょっとして私があの席を意識しなければ、おじさんがあの席を意識することもなかったのかも知れないわ――
 と思った。
――私のせい?
 とも感じたが、おじさんのこのあからさまな驚きの表情は、明らかにそこにいた人を知っていると思っていいのではないか。
 あすなの場合は、二人が忽然と消えたことを恐ろしく感じているのだが、おじさんの場合はその顔に浮かんでいるのは恐怖ではなく、意外だという意識と、それよりも歯ぎしりが聞こえてきそうなほどの屈辱感を思わせる顔に思えた。
 おじさんが、男女のどっちを知っているのか分からないが、その二人がその場にいることに屈辱を感じているのだとすれば、
「相手の女性とは付き合っていて、他に男性がいることで裏切られた」
 という思いなのか、それとも、
「二人とも知っていて、おじさんはひそかに彼女に思いを寄せていて、もう一人の男性は友達なのだろうが、その人に先を越されたことでの屈辱を感じたのか」
 というどちらかのような気がした。
 後者であれば、おじさんの屈辱感は相手に対してというよりも自分に対しての方が強いかも知れない。なぜなら行動を起こした相手は責めるという意識になるはずで、屈辱的に感じるのであれば、行動を起こすことのできなかった自分に対してであるからではないだろうか。
 あすなは、自分が大人になったような気がして、冷静にその状況を分析してみた。もうその時のあすなは小学生の女の子ではない。思春期を通り越して、大人を意識することでいろいろな矛盾や理不尽なことを乗り越えてきた女性のような感覚である。
 そう思った時、あすなは、自分が人の顔を覚えられないという感覚を思い出していた。その日に出会った人を思い出していたが、ほとんど人と出会ったという意識はない。何しろ遊園地では客よりもスタッフの方が多かったくらいで、意識する人などいなかったからだ。
 おじさんが連れて行ってくれた喫茶店でのおじさんにとっての常連仲間の人たちも、ついさっきのことなのに、その顔をすでに忘れかけている。
――どんな顔だったっけ?
 と思い出そうとすると、意識してしまって、さらに忘却の速度を早めてしまいそうで怖かった。
 あすなは、遊園地にいたピエロを思い出していた。あの顔だけはハッキリと記憶している。
 顔の表情をパーツとして意識していたからなのかも知れないが、忘れようとしても忘れることができない。
――怖いことほど忘れられないものなのかしら?
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次