袋小路の残像
気が付けば、レールを見ている。枕木はせわしなく走り去っていくので、横の線として見えるわけではなく、斑な部分を残像として残して見えるところが気になっていた。
「中心に向かって数十分割に区切った縁を七色に塗った時、それを高速で回すと、次第に色が消えていき、真っ白に見えてくるんだよ」
と、学校の図画工作の時間に習った。
「それは色が混じるってこと?」
と誰かが聞くと、
「ああ、そうだよ。色が高速で混じりあうと、色が消えて真っ白になってくるんだ。やってみるといい」
と言って、授業時間の課題として七色に塗った円盤を作り、実際に高速でまわしてみた。
原理はコマ回しのようなもので、糸を通して回した部分を引っ張ることで、高速回転の円盤になった。
「ああ、本当だ。真っ白になった」
そう言って、教室が感動に包まれたことを思い出した。
「小学生の君たちには理論を説明するのは難しいけど、覚えておくといい。何かの役に立つかもよ?」
と先生は言っていた。
――あの時の先生の言葉、本当だったんだ――
と、早くもあすなは感じることができたのだった。
斑であったとしても、七色と同じような高速による変化が起こる。真っ白ではないが、
「限りなく白に近い色」
が完成されたと言ってもいいのではないだろうか。
その日は家の近くのレストランで夕食を摂った。おじさんが時々利用しているというレストランで、イタリアンのお店だった。
「私、こんなところあまり来たことがないので、どうすればいいのか分からないんですけど」
と戸惑ってるあすなを見ておじさんは笑顔で、
「大丈夫だよ。難しいテーブルマナーなんかいらないので、気にすることはない。極端に失礼なことをしない限り大丈夫だからね」
と言ってくれた。
なるほど、まわりを見ると、別に正装をしてきている人がいるわけではない。かしこまった場所ということではないようだ。
レストランに来る前、少し時間があったので、これもおじさんの馴染みだという喫茶店に寄った。
そこは気さくな人が多く、常連さんでもっている店のようで、マスターをはじめ、常連さんと思しき人がおじさんに次々に話しかけてきた。
内容は他愛もないもので、おじさんの照れる姿はあまり見たことがなかったので意表を突かれた気がしたが、親近感があって好印象だった。
「おいおい、いつのまに娘なんかいたんだよ。確か独身って言ってなかったかい?」
と一人がからかうと、
「そうそう、独身だって言っていたはずなよな」
ともう一人が煽るように話しかけた。
その様子は完全に面白がっていて、本当に娘だと信じていないかのようにも見えるが、子供のあすなにはそんな難しいことが分かるはずもなかった。
おじさんは確かに独身だった。
以前に一度結婚を考えた人がいて、一度あすなの家にも連れてきたが、いつの間にか別れたという話を親がしているのを聞いて、こんなに優しいおじさんがどうして別れなければいけなかったのか、分からなかった。
実際に家に連れてきている時も、相当照れていた。おじさんは照れる癖があるのは分かっていたことであり、自分の話をされて照れているおじさんを見て、女性を連れてきた時のおじさんを思い出した。
その女性はおじさんとは不釣り合いではないかと直感した。
地味さが売りのおじさんに、少し派手な感じのする女性だったので、照れているおじさんを見ながら、複雑な気分になったのを思い出した。
それは、おじさんがかわいそうに思えたからだ。なぜかわいそうに思えたのか、今となっては分からないが、明らかにおじさんの照れ顔に対してかわいそうだという印象を持ったのだ。
――おじさんは、この店にもその女性を連れてきたのだろうか?
普通なら連れてきそうに思えるが、あすなはその時、
――おじさんなら、連れてくることはなかったような気がする――
と感じた。
根拠も信憑性もあるわけではない。あすなの直感だった。
何よりもあの女性がこの店に似合うはずがなかった。後で来たこのイタリアンレストランであれば連れてくることもあっただろうが、あの喫茶店に連れてくることはなかっただろう。
あの喫茶店はおじさんだけの、「隠れ家」のようなお店なのかも知れない。
以前テレビドラマで、一人のサラリーマンが会社の同僚も家族も誰お知らない隠れ家のような場所を求めているというドラマを見たことがあった。そのドラマで辿り着いたところはいかがわしいお店だったが、おじさんが連れてきてくれた喫茶店はそんなお店ではない。馴染みの客もおじさんに似合いそうな人たちであったが、皆自由気ままであった。好き勝手なことをしているように見えるところが「隠れ家」のようでいいのだろうが、あすなは子供の頃から自分だけのお店というものを持ちたいと思っていたのだったが、その原点がこの時だったということを、大人になると忘れているようだ。
「それにしても、こんなに大きな子供がいたとはね」
と言われて、
「いえいえ、ただの親戚です」
と答えると、
「そうかい? 結構顔の輪郭なんかソックリなところが多い気がするけどね」
と言ってからかった。
あすなは、自分がおじさんに似ていると言われて実は嬉しかった。
自分の親に似ていると言われると、苛立ちを覚えていたが、おじさんに似ていると言われる分には、正直嬉しい。
――何かの間違いで、本当は私はおじさんの子供なんじゃないかしら?
などという妄想を抱いたこともあったが、それは願望から抱いたというだけのことで、そんなことあるはずないという意識は、当然のごとく持っていた。
おじさんと似ているところを指摘されて、鏡を見ることも何度かあった。しかし、次第に鏡を見ることもなくなってきて、似ているということを言われたということが素直に嬉しいと思うようになった。
別におじさんの娘でなくてもいい。おじさんとは親子というよりも、友達感覚の方がお似合いのような気がしてきたからだ。
おじさんの方はどうなんだろう?
おじさんはあくまでも、
「私はおじさん」
という態度を示しているだけだった。
それ以上でもそれ以下にも感じない。優しさは感じることができるが、それ以上のものは感じなかった。
それだけおじさんは冷静な性格である。
両親にも爪の垢を煎じて飲んでほしいくらいだった。
だが、一度両親が話しているのを聞いたことがあった。
「あいつは、この間連れてきた女性と別れたらしいぞ」
と父親が母親に話している。
「へえ、そうなんだ。結構ウマが合っているように見えたんだけど、気のせいだったのかしらね」
という母親に対し、
「そんなことは他人が見ただけじゃ分からないよ。しかもこの間初めて少しだけ会っただけじゃないか。それに緊張していたから、本性が見えてくることなんかないんだろう」
と父親は言った。
「そうね、私たちもそうなのかしら?」
という母親のセリフに対し、父親はしばらく黙っていて何も答えようとはしなかった。
この時、二人の間に険悪なムードが立ち込めた気がしたので、あすなは緊張してしまった。
だが、少しして、
「やめましょう。こんな話」
と母親が切り出すと、