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袋小路の残像

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 その人は一人ではなかったが、さっきまでなかったスポットライトに包まれたその一団の中心にいるその怪しげな人物に目が奪われた。テレビでは見たことがあったが実際に目の前で見るのは初めてだった「ピエロ」だったのだ。
 某ハンバーガーチェーンのマスコットにも似たそのいで立ちは、髪の毛は黄色かかっているパーマをかけていた。鼻は丸い球がついていて、口元はこめかみあたりまで裂けて見えるのは、その独特の化粧によるものだった。
 おじさんは、口を半開きにして、呆れているのか、それともあまりのまわりの変化についていけていないのか、表情は硬直していた。今話しかけてもおじさんから返事をもらえる気がしなかったあすなは、自分もそのピエロを見つめているしかなかった。
 ピエロのまわりには確かに人がいるのだが、ピエロの雰囲気に圧倒されているせいか、それとも逆光になっているせいか、その表情を図り知ることはできない。
――ピエロも逆光のはずなんだけど――
 とあすなは思ったが、だからどうなのか、それ以上の発想が思い浮かばなかった。
 さすがにまだ小学生の低学年である。発想は的を得ているのかも知れないが、結論を導き出すまでの考えはない。発想は持って生まれたものなのかも知れないが、結論を導き出すのは、育っていく中で培われていくものなのだろう。それが大人と子供の違いだと言えばそれまでだが、あすなは大人になるまでには一歩も二歩も足りないことを自覚していたようだ。
 ピエロは奇抜な行動をしていた。それは予想を逸脱したもので、前に進んでいるように見えて、巧妙に後ろに下がってみたり、右に進むように見せて、前に進んで見たりと、ことごとくあすなの発想の裏を行っているようだった。
 いわゆる「チンドン屋」という雰囲気ではなく、どちらかというと、サーカスにいるピエロの雰囲気の方が強かった。どちらも、今は普通に生活していては見ることのできないピエロであるので、遊園地とはいえ、こんなところで会えるというのは、実に稀なことなのであろう。
――それにしても、何を考えているんだろう?
 化粧を施したその顔から、表情を読み取ることなどできるはずもなかった。
 表情を見られたくないから、ピエロはあんな化粧を施しているのだと思うのだが、それも無理もないことだった。
「おじさんは、一度ピエロの恰好をしたことがあったんだよ」
 ピエロが少し離れたところで誰を相手にしているというわけではないパフォーマンスを演じている時、おじさんがおもむろに言った。
「どういうことなの?」
「あれはおじさんがまだ大学生の頃だったかな? 大学の学園祭で仮想大会というものがあって、おじさんはピエロの恰好をしたんだ」
 おじさんはピエロから視線を逸らすことなく、そう言った。
「どうしてピエロなの?」
「実は、前からピエロを演じてみたいと思っていたからなんだけど、それは前に見たピエロの印象が頭に残っていたからなんだ」
 おじさんは、ピエロを見てそこから視線を離すことができないのは、初めて見たという物珍しさからではなく、自分の過去にその理由を抱えていたのかも知れない。
「それは、いつ、どこでだったの?」
 とあすなが聞くと、
「実はそれが覚えていないんだ。確かに見たという記憶はあるんだけど、その時のまわりの環境をまったく思い出せないんだ」
「それは夢だったという可能性は?」
 というあすなの言葉を聞いて、おじさんは一瞬ビックリしたような表情をした。
 ひょっとすると、おじさんの中に夢だったという発想がなかったからなのかも知れない。それよりもピエロを見た、そしてそれをいつどこで見たのかまったく覚えていないという自分の中の矛盾に戸惑っていたのではないだろうか。
「ないんじゃないかって思うだけど、言われてみるとちょっと自信がないかな?」
 とおじさんは言った。
 それを聞いてあすなは、
――おじさんがピエロの記憶がなかったけど、今思い出したということは、私も今の光景をそのうちに忘れてしまうんだろうか?
 と感じた。
 これだけセンセーショナルな光景を目の当たりにして、あすなはこの光景をそう簡単に忘れることはないと思っている。忘れることがあっても、完全に忘れてしまうことはないだろうし、おじさんのように、まるで初めて見たかのような驚きを持って感じることはないだろうと思えた。
 ピエロは相変わらず無表情で踊っている。その踊りも滑稽なもので、
――本当に初めて見たのかしら?
 と感じさせるものだった。
 ピエロに集中していると、さっきまで客はほとんどいなかったはずなのに、ピエロに集中していた間のわずかな時間で、人が集まってきていることに気が付いた。
 それは、
――どこからこれだけの人が集まってきたんだろう?
 と思うほど結構な人数で、ざっと見ても、数十人はいるようだった。
 そのほとんどは子供で、物珍しいピエロを見るために集まってきたことはよく分かるが、親がほとんどいないのことも気になっていた。
――皆、どこから湧いてきたんだろう?
 湧いてきたなどというと、失礼な言い方だが、まさに甘い砂糖にたかっているアリのようで、
「自然の摂理」
 を思わせるほどであった。
 あすなはピエロに群がる子供たちの無邪気な表情を見ていると、この光景も初めて見るものではないという錯覚に見舞われた。
 そのうちに、
「ピエロが子供たちに何かを囁いているのではないか」
 と思うようになり、その言葉が今の自分なら分かりそうな気がして、ピエロから余計に目が離せなくなった。
 ピエロの様子を眺めていたおじさんは、一瞬咳払いをした。あすなはその咳払いに一瞬驚いておじさんの方を見たが、おじさんはバツの悪そうな表情であすなを見た。その姿が滑稽で、思わず笑ってしまったあすなだったが、急に何を思ったのか、すぐに目の前でパフォーマンスを演じていたピエロの一団に目を戻した。
 すると不思議なことに、今まで目の前にいた人は一人として残っていなかった。煙のように忽然と消えてしまったのだ。
 今まで目の前で踊っていたピエロの一団、そしてそれに群がっていた子供たち、本当に煙のようにいなくなっていた。
――どうしたのかしら?
 あすなはおじさんに聞いてみた。
「ピエロは? 今まで目の前で踊っていたピエロは?」
 と落ち着いているつもりだったが、完全に声が裏返っていた。
 無理もない。目の前の人が忽然と消えたのだから、動揺しないなど考えられないことだった。
 すると、おじさんはきょとんとした表情で、
「ピエロ? 何のことだい?」
 とおじさんは、何もなかったかのようにそう答えた。
 もし目の前で忽然と消えたという事実がなければ、おじさんが自分をからかっているのではないかと思うのだが、おじさんの言動と目の前で起こったことは、信じられないことではあるが、辻褄が合っている。そう思うと、
――何を信じればいいのかしら?
 と思うのも無理もないことであり、それこそ、
「夢だった」
 として、片づけてもいいことと言えるのではないか。
作品名:袋小路の残像 作家名:森本晃次