棚から本マグロ
以前からのクセで一応褒めたつもりだった。しかし、妻は何故かシマッタという表情を浮かべたように見えた。マグロには表情筋など無いので、表情が変わる筈など無いのだが……。
「貴方、今わたしを美味しそうとか思わなかった?」
「いや、思わないよ」
私は嘘をついた。
「それよりキミがマグロになるなんて思いもしなかったよ」
「あら、何ならよかったのかしら」
妻が興味深そうに訊ねてきた。
「ううん、そうだな。デンキウナギとか?」
私は適当に答えた。
「えー何よソレ?」
マリコは怒ったようだ。有り得ない事だが本マグロのまん丸の目が一瞬吊り上った様な気がした。
「あ、えーと、なんかクネッと絡みついて、時々ビリビリって電気が走るみたいな。でもほら肌なんかは結構ツルツルしてそうだし……」
私は照れながらも弁解を試みた。
「なんかイヤラシィ。そんな風に見てたの、あたしを」
怒り口調で私を非難する割に、妻の声は喜んでいるように聞こえた。
「そんな風って言われても――。キミはいつだって魅力的だったよ。僕には勿体無いくらいだっていつも思ってた。
それより――、何故キミは突然出て行ったんだ?
やっぱりアイツと一緒だったのか」
学生時代のちょっとした友人で、仕事関係で再会したアイツは大層図々しい男だった。適度な距離感の気軽さで、最初は外で時々酒を飲む程度の付き合いだったのだが、最近では時々家にまでやってきて飲み食いするようになっていた――。
「誤解だわ、貴方は疑ってたみたいだけど違うの。それより何だか息苦しいわ、おフロに水を張ってわたしを入れてくれないかしら」
苦し紛れで無く、本当に苦しそうに見えたので私は直ぐに言われた通りにした。
身体を伸ばせるおフロが良いというマリコの望みを取り入れて探した家だった。おかげで浴槽に水を張ってマグロを入れても窮屈そうな感じは少しもしなかった。