棚から本マグロ
「どうしたの、考え込んで。それよりわたしをもう少し高いところに移してくれないかしら。床の上がなんだかホコリっぽいわ」
家の中は散らかってはいなかったものの、掃除機など妻が出て行ってからは一度も掛けていなかった――。
「ごめん、気がつかなかったよ」
私は自分を妻だと言う本マグロの身体の下に手を入れて持ち上げた。マグロはくすぐったいわと言って身をよじらせた。私はこれが人間の身体ならお姫様抱っこと言うやつだな、などど考えてみたが、直ぐにある事に気がついて、そのままバスルームへ向かった。
「キミ、随分重くなったんじゃないか。ほら」
私は上手く重心を見ながら妻である本マグロをそっとヘルスメーターに乗せた。
「六十五キログラム」
「やーだ。二十キロ近くも増えてるじゃない」
私がメーターを読むと本マグロのマリコは恥ずかしかったのか、ビチビチと暴れてヘルスメーターから落ちた。
「あ、あのね。海はね、とってもお魚が美味しかったのよ、新鮮でね。わたし、この二週間で、随分沢山のお魚を食べたわ」
マリコは太ってしまったのが余程ショックだったのか、早口で弁解を始めたが、私にはそれがマグロに変わってしまった身体より、ひいては妻がこの家を出て行った事より重大な事であるとは思えなかった。
「イワシとかアジは本当に沢山食べたわ。もうごはんとかパンとか、主食の気分よね。それで飽きると他のお魚、サンマとかトビウオとか、イカなんかも。
サンマってちょっと長いでしょ? だから尻尾に食いついたりすると頭から飲み込むのが大変なの。向きを変えようとして口を離すと必死で逃げようとするし。でも慣れればどおって事は無いんだけど――。
あと、イカはね、飲み込もうとすると吸盤で口の周りや口の中に吸い付こうとするのよ。でもそれが何だか気持ちイイの。フフフ、キスされているみたいで。
でもさすがにマグロは食べなかったわ。大き過ぎるんですもの。本当は一番好きなのに……」
そういう問題なのか、という突っ込みは入れなかった。
「そうか、それでそんなに太っちゃったんだね。そう言えば胸のあたりなんかは脂がのってそうでなかなか見事だよ」