「催眠」と「夢遊病」
真っ暗というのは、本当に真っ暗なイメージではなく、見えているものが見えなくなったというイメージで、自分がまわりを見えないのは分かったが、まわりも自分が見えているのかどうか分からないということが怖かったのだ。
見えているとしても、見えていないとしても怖いことには変わりない。一長一短であることで、
「前にも後ろにも進めない」
というイメージで、まわりが何も見えない暗黒の世界もイメージしてしまう自分が怖かったのだ。
断崖絶壁の上にいる自分を想像したことがあった。それが夢の中でのことだったということは分かっているのだが、それがいつ見た夢だったのか、まったく覚えていない。
小学生の頃だったのか、中学の時だったのか、あるいは高校生の頃だったのかが分からない。分かっているのは、大学に入ってからではないということだけだった。
どうしてそれが分かっているのかというと、断崖絶壁の意識は最近よく感じるもので、最初に感じたのは、高校卒業前だったことは分かっている。
断崖絶壁は普通は真っ暗なところのイメージがある。
夢に何度出てきたことか。断崖絶壁を想像するだけで、足が竦んでしまい、暗闇を想像すると断崖絶壁しか見えなくなるのだ。
足を一歩でも踏み出すと、身体が宙に浮いてしまい、あっと思った瞬間に、転落してしまう自分が想像できるのだ。
真っ逆さまに下に落ちたなどという経験をしたことがあるはずもないのに、断崖絶壁を想像すると、真っ逆さまに落ちるイメージを身体が覚えているとしか思えない状況に陥ってしまう。
夢を見ていると、何でもできるというイメージが想像できるのだが、実際にはできないことを分かっているので、何もできないことを思い知るのも夢ならではである。
「夢だから空を飛べるはずだ」
と誰もが思うだろう。
しかし、実際には空を飛ぶなどということができるわけもない。つかさ自身、高所恐怖症だということもあるが、高いところを想像することができないのだ。
断崖絶壁からだけ、高いところから落下するイメージを感じることができるのは、真っ暗な世界だからである。少しでも見えていると、落下の雰囲気を味わうことはできない。それも夢と現実との結界を感じることができるからかも知れない。
つかさは空を飛ぶ夢も、実際に宙に浮こうと思うと、浮くことはできるが、空を飛ぶことはできない。空気という水の中で泳いでいるような感じで、完全に自由からはかけ離れた世界になっているのだ。
以前、高いビルの上から飛び降りる夢を見た気がしたが、気が付けば、まったく違うところにいた。
「瞬間移動したのかしら?」
と思ったが、実際には夢から覚めた瞬間だったのだ。
つまり、無理だと思ったことができないのは、意を決したとしても、結果としては、夢の世界から引き戻されただけのことだった。
そういう意味では、現実世界で無理なことをしようと思った時、夢の世界に逃げ込むこともできるのではないかと思ったが、それはあまりにも都合のいい考え方だった。
「夢の世界というのは、潜在意識の見せるもの」
という発想があるが、まさしくその通りだろう。
夢の中にいる自分を想像することがある。そんな時はいつも夢の中にいる時だった。
「夢を見ているという夢を見ているのかも知れない」
と思ったが、その時に、夢に対しての限界というイメージを頭の中で理解している気分になる。
一度、断崖絶壁の中を歩いているイメージがあった。夢であるのは間違いないのに、どうして足を踏み出すことができたのだろう?
一度も踏み外すこともなく進むことができた。一歩踏み出すだけにどれほどの時間が掛かったことだろう。時間という意味で、
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める数秒の一瞬に見るもの」
と言われている。
一日であっても、何十年であっても、一瞬のことである。どれほどの圧縮になるというのだろう。理論的には納得のいくものではない。そういう意味では夢の中での時系列など、あってないようなものだと言えないだろうか。
夢というものをいろいろイメージしていると、自分の中で納得できるものとできないものとに真っ二つに別れてしまう。納得できるものとして把握しているものは、全体のどれくらいなのだろうか? 全体像を誰も分かっているわけではないので、つかさは、いまだに夢を見るのが怖い時があった。
「そういえば、最近怖い夢を見た記憶がないな」
と感じた。
夢の内容を覚えているのは、怖い夢の時しかない。忘れたくないような楽しい夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れてしまうようだ。
「夢を見たという意識はあるのだが、どんな夢だったのか、まったく覚えていない」
と感じた時は、まず間違いなく、楽しい夢だったと思っている。
だが、考えてみれば、内容を覚えているわけではないのに、楽しい夢だったと感じるのは一見矛盾しているように思うが、目が覚めるにしたがって徐々に忘れていくことで、全体像だけが意識して記憶されていて、思い出せないまでも、完全に忘れているわけではないという矛盾した内容で意識が残ってしまうようだった。
つかさと同じ大学で心理学の研究をしていた新垣征四郎が、つかさの存在を知ったのは、偶然だった。
新垣は、心理学の研究の一環で、一時期占いに凝ったことがあった。その時に知り合いになった手相占いの人と仲良くなり、よく占いの話を研究材料として論文を書こうと思っていた。卒業論文には早かったのだが、心理学の勉強の中で、論文を書くということは定期的に行われていて、それまでにもいくつかの論文をまとめたことはあったが、そのどれにも自分としては納得のいくものではなかった。
いつも貪欲に研究し、自分に厳しいことを自負していた新垣は、それまでの論文にしても教授から、
「なかなかよくできているよ:
と言われているにも関わらず、口では、
「そうですか?」
とまんざらでもない表情を浮かべながらも、心の中で消化不良を感じていた。
二年生の頃まで、絶えず研究にいそしんでいた新垣だったが、三年生になると、少し気分的に余裕を持つようになった。それまでは文献を中心に、あまり表に出ることもなく、籠って研究を続けていたのだが、三年生になると、表に出ることも多くなった。
「課外授業のようなものですよ」
とまわりに言っていて、半分その通りだったが、半分は籠っても研究に一段落したというのも本音だった。
最近は占い師に嵌っているが、それ以前は宗教団体に接触していた。
「お前は危険なところにばっかり接触するな」
と言われたが、本人はそれほど悪いことをしているという意識はなかった。
実際には、被害を被ったわけではなかったが、一歩間違えるとどうなっていたかと思えば、笑い事ではない。それだけ籠っての研究ばかりをして世間知らずだったと言えるのだろうが、要するに、
「世間知らずだった」
ということだったのだ。
三年生になって表に出るようになって半年もすると、それなりに怖いものへの意識も強くなってきた。それまでの世間知らずだった自分が怖いと思いもしたが、その期間に貴重な体験をしたのも事実である。悪いことばかりではなかったのだ。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次