苦界に降る雨
吉原にとって遊女は牛馬も同然、金で買って来て逃さぬように囲い、働けるだけ働かせて、死ねば用済みとばかりにむしろに包んで捨てる。
でも、遊女にも心があることは知っている、知っていながら知らぬふりをしているから祟られることを怖れる、祟られぬように弔ってもらうために寺に寄進する、全ては金で片を付けるのだ。
しづが担ぎ出されるところは誰も見ていない、遊女の目にも、客の目にも留まらぬように密かに担ぎ出すのだ、裏と表を厳格なまでに使い分ける、それもまた吉原なのだ。
かよは思う。
天はとっとと泣くのをやめて欲しいと……せめてしづの亡骸がひどく濡れてしまわないように。
暮六つの鐘が鳴る頃、雨が上がった。
ここ数日は降り込められていたのだから、これから男たちがどっと繰り出してくるのだろう、見世には明々と灯がともされ、不夜城と謳われる吉原の華の部分が陰の部分を覆い隠す。
昼間、しづとの今生の別れに涙をこぼした朋輩たちも、すっかり遊女の顔に戻って客の気を惹こうと躍起になっている。
そんな遊女を情に薄いなどと誰が誹れよう、この華やかな苦界から抜け出すためには出世して上級遊女となり、お大尽に気に入られて身請けしてもらう幸運を待つほかはないのだ、それを嫌と言うほど知っていたしづもきっとわかってくれていることだと思う。
しかし、禿の頃からしづに目をかけてもらっていたかよは一向に気が乗らなかった、今日ばかりはお客についてもらいたくはなかった……それでも男は待ってくれない、その晩、かよには五人の客が付き、それぞれの男に媚を売らなくてはならない、その中で一番大人しそうな男と床を共にすることにしたが、見た目に反して男は激しくかよを求めて来た。
男の激しい腰の動きに体を揺らされ、偽りの嬌声を聞かせながらも、かよはしづのことを考え続けていた。
投げ込み寺ではちゃんと供養してもらえただろうか、畜生道などに堕とされずに、ちゃんと成仏できたのだろうかと……。
そうでなければ可哀想すぎる……。
生きている間に、もう充分辛い思いをしたのだから……。
二年後、旧暦五月十七日
このところ足しげく通ってくる男がいる。
大工の新八、歳はかよよりもひとまわり上の二十九だが、まだ所帯は持っていない。
自分目当てで通ってくれる客がいるのは、女として悪い気はしない、新八は男前と言うわけではないが、生真面目で口数が少なく、女郎買いに慣れている風ではない。
かよも新八のことは憎からず思う、廻しになってもなるべく最後は新八と床に入りたいと思うのだが、そうもいかないこともままある。
楼の方から『あの客をもてなせ』と言われることもあるし、かよの都合でもっと年配で金のありそうな客を選ぶこともある、季節ごとに着物を変える『移り替え』には着物を新調しなければならないし、自前で宴席も設けなければならない、それには相応の金が要る、楼から借りれば年季が長くなるばかり、そんな時に頼りにできる客が要り用なのだ。
そんな時には新八にも思わせぶりなことを言って繋ぎ留める手練手管を弄することになるのだが、相手が生真面目なだけに心苦しい。
それでもまた来てくれれば、かよの心はチクリと痛み、それとはうらはらに温かいもので満たされる。
だが、新八にはかよを身請けできるまでの甲斐性はない、どれだけ通ってくれて、何度床入りしたとしても、新八と自分は客と遊女の関係でしかない。
今日は土砂降り、こんな日は客もないだろうと思っていたが、そんな雨を衝いて新八はやって来た。
ほかに客もないので廻しもない、かよと新八は初めて二人っきりの夜を過ごした。
その晩、床の中で、新八は『お前を俺だけのものにしてぇ』と言ってくれた。
嬉しかった。
女と生まれて来たことを、初めて幸せに思った。
だが、そうはなれないことはわかり切っている……かよは新八にきつくしがみついただけで、その気持ちに言葉で答えることはできなかった。
あくる朝、階段をトントンと降りて行く新八を見送りながら、『あたしもだよ』とつぶやいたが、その声は新八には届かなかった……届かないように小声で言ったのだ……そして、それっきり新八はやって来なくなった。
情人〈いいひと〉……吉原に十年近くも過ごしていれば、ちょっとばかり気に入った客を情人と呼んで、相手にもそう思わせるくらいの手練手管は身につく。
だが、本気になってしまったらただ辛いだけ……行き着く先は心中しかない。
もし新八がそれを望んだなら、かよは応じただろう。
苦界から逃れる術はそれしかないのだから、命も惜しくはない。
だが、新八はどうだ? 新八は真っ当な職人だが自分は手練手管の女狐だ、一時の気の迷いで軽はずみなことをして欲しくはない、口数は少ないが誠実で生真面目な新八のこと、ふさわしい女と一緒になってきっと幸せになれる……そう思う。
新八が来なくなったことは寂しい、寂しいが、来なくなったことに安堵もしている。
かよは、これで良かったのだ思う……だってそうじゃないか、そう思うよりほかないじゃないか……と。
三年後、旧暦五月二十日
見世に並ぶ頃になっても、そこにきぬ姐さんの姿がない。
皆、気づいていながらそのことを口にする者はいない。
きぬは数えで三十二になる、若い頃はずいぶんと売れていたと聞くし、三十路を超えて肌の張りこそ衰えてはいたが、色香はむしろ増していたようにも思う。
格子の外から声をかけて来る客のあしらいも上手でお茶をひく(客から声がかからずに売れ残ること)ようなこともなかった。
そうやってこつこつと稼いでいたので、もうすぐ年季が明けると嬉しそうに話していた。
ほとんどの遊女は二十代半ばで籠から出られぬままに、吉原の中で生涯を終える。
梅毒と堕胎……ほとんどの遊女はそのどちらかに命を取られてしまうのだ。
年季が明けるまで、借財を綺麗に返し終えるまで命が続かないのだ、そんな中で、きぬがここまで頑張っていることは、朋輩たちの希望でもあった。
だが、『もう少しで』と思う気持ちから魔が差したのか、きぬは吉原の法に触れてしまった。
きぬは起請文を何枚も書いてばらまいていたのだ。
起請文とは、年季が明けたらおまえさんと一緒になりますと約束する手紙のこと、それはもちろん遊女の手練手管の一つでもあるが、文字にして書き残すということは寝物語の口約束とは重みが違う、奥の手の中の奥の手と言っても良い。
奥の手は使い過ぎると奥の手ではなくなるだけではない、証拠が残るだけにある意味捨て身の一手でもある、百歩譲っても、起請文を渡した男が通って来ている間にもう一枚を書くわけには行かない。
だが、きぬはそれを三枚書いて別々の男に渡していた。
少したるみ始めた体は着物で隠し、少しくすんで来た肌を化粧で隠せば、きぬはまだまだ『いい女』でいられた。
だが、床を共にしてはそのどちらも隠すことはできない。
もう少しで籠から出られる、吉原〈ここ〉から抜け出せると焦り、自分の元へと通ってくる男たちの気を捉まえておきたかったのだろうと思う。